高校3年の次男の事で悩んでます
次男は小学生の頃より将来人を助ける仕事をしたいと言ってました
最近は人の話しを聴く態度も悪く
自分の目指してる職種は報告、相談大事と言ってましたが、受験の申し込みを予備校で済ませたのに報告、相談がない為
次男にお前、おかさくないかと咎めました
次男は詳細が決まったら話すつもりだったと言いましたが
私は、それはおかしいだろ!
親には報告、相談しないと、どうなってるか心配もしないといけないしお金の準備もしないといけない
前もって、予備校の先生とこうこうして
こういう話になってるから
受験の申し込みも今日済ませたから
また詳細が分かったら言うなって
親に報告しとくのが本来の姿やないのかと それが報告で相手もそうなんかと安心できるのと違うのかと投げかけましたが
次男の態度は、俺は詳細が分かって言うつもりやったし間違ってない!
そんな横柄な態度だったので
それが人の話を聴く態度かと胸ぐら掴み顔を私に向かせ様としたのですが
次男は感情的なとこもその時あり
殴ってきました
私としては男同士取っ組み合いとか
あってもしかりという部分はあるのですが、その後も人の言ってる事がどういう事言ってるのか理解しようともせず
感情で行動する
アホやないかと言いましが、次男は
そのまま家を飛び出したのですが
私は殴られた際に口が切れたのでそのまま病院に行き縫う事になり次男を追いかけ捕まえる事ができませんでした。
その日は祖母が近くに住んでいたので
そこに行ったのですが
次の日の朝、電話がかかってきて次男は
昨日した事謝ってきましたが
私は、
人を助けたいと言ってた者が
人を助ける為でもなし
己の身を守る為でもなしで
ただ感情で暴力振るう、そんな物が
公務員である消防士を受ける資格があるのかと次男に問いました
次男も自分もして事、値しないと昨日話しました
私としては、今の次男は受ける資格ないと思い、一般就職に切り替えた方が良いのかと思うのですが
僅かにやり直しの機会考えた方が良いのかと迷ってます
人としてどうあるべきか大事だと思うのですが、どの様な考えを持てば良いのでしょうか?
お教え下さい。宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
頑固おやじさんのおっしゃることは正論です。
しかし、人間正論を振りかざされると反発したくなるものではないでしょうか。
特に高校3年生の多感な時期でもありますし、
おやじに手を上げたことを
謝れる息子さんですし、素晴らしいと思います。
許してあげてください。
父親の愛で、でっかい背中を見せてあげてください。
つい、おやじに手を上げてしまったことは勿論良くはないですが、
これ以上は資格がないなどと、どうか責めないであげてください。
人間過ちやミスはあります。
息子さんの消防士への歩みをどうか応援してあげてほしいと思います。
高い志を持った立派なご子息様ですね。文面を拝見しておりますと、お父様の実直なお人柄故の事と、得心致しました。
お父様の仰ることは、全てが正論だと思います。
「報告、相談がない」「横柄な態度」「感情で暴力を振るう者に、試験を受ける資格はない」等々、今回の件に限らず、お父様は事ある毎に息子さん達と向き合い、諭されて来たのだろうと思います。
しかし、正論が押し付けのようになってしまうと、反発でしか返せなくなってしまうのも事実です。相手が誠実であればあるほど、正論を振りかざすことにより相手の心を支配してしまいます。
息子さんからすれば、「正しいことを言われている」と分かっていても、どうにも吹っ切れない気持ちのまま、理詰めの正論に首根っこを押さえつけられているような感覚があったかもしれませんね。
「そりゃ、おかしい」「こうあるべきだろう」と、物事をあまり二極化し過ぎると、人間関係もギスギスしたものになってしまいます。日本文化の特徴に、日本家屋独特の「外でもない内でもない縁側」的価値観に代表される、曖昧さの美学がありますね。
そんなところからエッセンスを頂戴して、日常の会話に用いてみることも一つの方法かもしれません。
息子さんはお父さんのことが、(頑固だけど)好きなんでしょう。乱暴で感情的な所も、人命を守る公僕として任務に当ることで、十分に昇華出来る真直ぐな青年だと思います。
是非、前に進ませてあげて下さい。
頑固おやじさま
私たちの世代は、祖父ちゃんが白いものを「黒っ!」て言ったら、黒として認めていた世代ですから、頑固おやじさんの気持ちが分からないでもありません(笑)
息子さんと向き合って、よく話し合われて下さい。このサイトでのやり取りも、息子さんには参考になるんじゃないかと思うのですが。
頑固おやじ様
釋 慧心と申します。
拝見させて頂きました。
『恕』(じょ)
これは、私の好きな言葉で、論語にある言葉です。
このようにあります。
子貢 問うて曰く
「一言にして以て終身之を行うべき者有るか」
(一生を貫く一言があるとするならば、それは何でしょうか?)
子 曰く
「其れ恕か。己の欲せざる所人に施すなかれ」
(それは、恕だろうか。自らに引き当てて、自らに欲しないとすることを人にも施さず、及ぼさず。)
私、これがすごく好きで、大事なことだなと思っております。
意味も大して難しいことでは御座いませんが、これを常々貫徹する、また心掛けるのは難しいことです。
高3というお歳と、人生の岐路にある次男様。
頑固おやじ様の思いとは少々異なったのかも分かりませんが、
きっと、思い悩む中、よし!と腹をくくれた時点で、ご自身の志とお伝えする内容をまとめて、最期には必ず親御様にご報告されよえとしておられたのではないかと推測ですが、そう思います。
取っ組み合いの喧嘩、男同士、全く問題無いと思います。
私にも心当たりが御座います。
頑固おやじ様も、次男様がご心配でとった言動、それは真剣な眼差しで必ず伝わってます。
我々は、大人になれば大人の視点、親になれば親の視点、皆私の物指しでものを見ていってしまいます。
それが凡夫の私の知恵と教えて頂きます。
大人になってしまいますと、なかなか18歳の進路に悩む心を、私に引き当てて見ていくことが出来ません。
この度のタイトルにさせて頂きましたのは、
「親」という字の成り立ちでございます。
難しいことでは御座いますが、少し高いところから、次男様の過去、今、未来を、その立場になって見てあげて、その上で応援してあげて欲しいと思います。
何やら選らそうに申してしまいましたが、応援申し上げます。
皆様御回答感謝致します
私は人は白、黒だけでなくグレーもあると理解してます。
自分もグレーない事ないです
ただこれまではできるだけ白なら白へ黒なら黒認めと思ってきました
できるだけグレーにならないと
しかし、改めて皆様のお言葉噛み締め
次男とじっくり考えていこうと思います。
ありがとうございました