ペットを失ってしまいました。
もう2か月前のことですが、未だに立ち直れません。 二か月前、飼っていたインコが家族の不注意から逃がしてしまいました。
お店で大変弱っていたところを救ってあげたいという思いから家族で相談して飼うことにしました。
それからとても元気になって成長しました。
いつも動物から嫌われてしまう私に、その子だけは懐いてくれました。
帰宅すると一番に喜んでくれる子でした。私に一番懐いていたのです。その分思入れがありました
しかし、二ヶ月前に窓から逃げてしまいました。何キロも歩いて探して見つからず、たまたま見かけた方から情報をいただき、近くにまでいって何度も呼びかけたりしました。
しかし保護できる距離に近づいた途端、私を怯えた顔で見てそのまま飛んで行きました。あの時の怯えた顔が今も脳に焼きついています。
いま思うと、あの時に保護できたはずなのに、と何度も何度も思います。保護できなかった私が悪いのです。
もう生きているとは思いません。外にはカラスや猫などいます。諦めたくはありませんが、最近は豪雨が続いていて生きるのは難しいです。
それだからこそもっと可愛がってやればよかった、幼いのに怖い思いをさせてしまったと悔んでばかりです。自然と涙も出てきます。
二ヶ月も経つのにまだグズグズと悲しんでいるばかりです。心に穴が空いたようです。そうしている自分がめんどくさくて嫌になります。
大変長くなって申し訳ございません。
どうしたら立ち直れるのでしょうか。
些細なことでも傷つきやすく、それが忘れられない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悲しまない人間になりたいですか?
私の所属する真宗大谷派のある先生の言葉です。
「あなたは、隣の人が、悲しい、苦しいと叫んでいても、自分は悲しまないような人間になりたいのですか?」
とのお言葉です。
仏教では、「愛」は基本的にはあまりいい意味では使いません。
愛しているから、失ったときに苦しむのです。
家族を失ったら、悲しいから、出家する。
異性と恋愛したら、それも渇愛といって、渇望するような愛であって、失ったら苦しい。だから恋愛もしない。
これが、仏教の基本形です。
仏教は、愛や悲しみといった「煩悩」を修行することによって、「苦しくない自分」になろうというのが、原型だったと思います。
しかし、仏教の歴史のなかで、ヘンテコリンなものが出てきます。
「浄土教」というのです。
出家して、家族をすて、社会的地位を捨て、異性を捨て、財産を捨て、修行して、煩悩をなくすことによって、苦悩からの解放をうる、というのが仏教の基本形です。
今の時代でも、それを目指す出家者はまだまだたくさんいます。
しかし浄土真宗は、そうではないのです。
「煩悩をたたずに、涅槃(さとりの世界のこと)を得る」というのが浄土真宗です。
ただ、ひとつだけ言えることがあります。
私も小さい頃、小鳥を飼っていて、猫に食べられたり、病気で亡くなったり、そのたびに、泣き、悲しんできました。(やはりインコでしたよ)
私は、自分が、家族やペットを愛することを、やめたいとは思いません。
愛する限り、失ったときは、必ず悲しみます。
私は、大事に飼っている、小鳥や猫が死んだ時に、悲しまないような、泣かないような人間にはなりたくありません。
どうぞ、思いっきり泣いてください。
悲しいという感情は、「起こす」ものではなく、「起こしたくても、起こしたくなくても起こってしまうもの」です。
親鸞はこんな和讃を残しています。
・・・こおりおおきにみずおおし さわりおおきに徳おおし(親鸞。高僧和讃)
悲しみや苦しみ(氷、さわり)が大きいほど、喜び「水、徳」も多いのですよ、といった感じの和讃です。
再び巡り会います様に
拝読させて頂きました。本当に愛情を注いでそしてなついてくれていたコと離れ離れになってしまうのは悲しいことですよね。できうるならば再び巡り会いまた共に仲良くご生活なさりたいですよね。私からもそのコが再びあなたのもとにとお戻りなさることをお祈りさせて頂きます。あなたからもどうぞ又会えます様にとお願いなさってくださいね。又あなたとそのコとのご縁は切れてはおりません。仮にこの世では巡り会えなくともこの世での生命が全うされた時には仏様のもとにて再会できます様にと心を込めてお祈りなさってくださいね。必ずや仏様はそのコもあなたもお導きなさって頂き必ずや再会できますので。
質問者からのお礼
きっとどこかで会えると信じて、短い間でしたがあの子と過ごせたことに感謝をしたいと思います。
辛い時はたくさん泣きたいと思います。
本当に大好きだったからこそ悲しい、ということですね。辛いことがあったら幸せなことがあるはず。これを忘れません。
今回相談をさせていただき、貴重なお言葉をいただいたことで、少し心が楽になりました。
あの子と暮らせて良かったと切実に思います。この度は、本当にありがとうございました。