真言宗と浄土真宗の関係性について
真言宗では真理を第十住心として、
全てそこに向かう道の半ばであるように説かれていると、
理解しているのですが、
浄土真宗は第一住心から第十住心の中のひとつなのか
全く別の道なのか、また、たどり着ける真理に違いが有るのか
お教えいただけると有難いと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
聖道門と浄土門
ぽこたん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
真言宗と浄土真宗の関係性についてですが、主として依拠する仏典が異なるため、この度の問いとして、弘法大師「十住心論」において、特に浄土三部経としてある「仏説無量寿経」・「仏説観無量寿経」・「仏説阿弥陀経」の教えが「十住心論」のどこに配することができるのかというのは、正直、現在の拙生においては分かり得ないというところでございます。
真言宗と浄土真宗の相違については、「聖道門」と「浄土門」が簡単な説明として有名ではないかとは存じます。
聖道門-ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/聖道門
浄土門-ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/浄土門
様々な聖経・仏典についての教相判釈は色々とございますが、私たちが最終的に目指すべきところは、もちろん「悟り・涅槃」であることに変わりはないものであるかとは存じております。
教相判釈-ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/教相判釈
個人的には、弘法大師と親鸞上人が龍樹大師の空思想をどのように捉えたのかというところには興味があり、今後学びを深めていければとは存じております。
また、龍樹大師の論書(それぞれ異説あり)として弘法大師が「十住心論」・「秘蔵宝鑰」を著す上においても重視した「釈摩訶衍論」と、親鸞上人が重視した「十住毘婆沙論」の思想的受容内容からそれぞれの宗旨の相違について考えることが少しなりともできるのではないだろうかとは浅学菲才の未熟者ながらにも存じております。
あとは、主尊として、真言宗・大日如来様、浄土真宗・阿弥陀如来様とそれぞれの体現なされておられる教えが少しの手がかりにもなるのではないだろうかとは存じます。真言宗・密教において阿弥陀如来様は「五智如来」の一尊でもありますので、真言宗・密教における阿弥陀如来様の位置付け、役割について考えてみることも少しくは参考となるのではないだろうかとは存じてます。
補足追記・・浄土三部経において説かれる阿弥陀如来様への「信」へのいざないに関して、「十住心論」が説く各境地においてはどのように捉えることができるか(無理なのか)ということを考えてみるのも一つかもしれません。
川口英俊 合掌
ぽこたん様。
先ずは、当方真言の僧分と致しましてはご相談にご回答します前に、
貴方様が僧分であられるのか、はたまた未得度者で御座居ますか、
此処をお伺いせねば成りません。
何故ならば、弘法大師の御著作『秘密曼陀羅十住心論』をご説明するには、
受者の機根の其れに合わせて解く事が求められておるものですから、お訪ね致します。
また、貴方様の仰る「真言宗では真理を第十住心として、
全てそこに向かう道の半ばであるように説かれている…」と御座居ますが、
此のご理解とて、本来の其れとは異なります事をご理解下さいませ。
なお、貴方様の仰る「浄土真宗は第一住心から第十住心の中のひとつなのか
全く別の道なのか、また、たどり着ける真理に違いが有るのか …」に就いても、
今の段階では、且つ此の場でのご回答は差し控えるべきと存じております。
悪しからずご理解願います。
質問者からのお礼
川口英俊 様
浅墓な知識で質問させていただいたのに、丁寧にご返答下さいまして、有難う御座います。
参考に掲載していただいた
聖道門・浄土門・教相判釈を読んで理解を深めたいと思います。
沙門 密富 様
早速の御回答有難う御座います。当方、僧籍では御座いませんが、
画を描いておりますので、色界には在ると思っております。
近代以前は西洋も東洋も宗教と芸術は密接に関わり合っていたと思いますが、
今の時代、芸術の役割として宗教との関わりを再度深めていかなければならないと思っています。
松長 有慶先生の著作「理趣経」を読み、 真言に興味を持ったと言うことと、
実家は浄土真宗の檀家なのでその関係性にふと、興味を持ち、
失礼ながら、乱暴なご質問をしてしまいました。
平にご容赦下さいませ。