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ママ友達が悪口

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私は、いまだにショックで落ち込んでいます…。

今年から幼稚園行きはじめた娘がいて、その関係で仲良くなったお母さんがいます。

何回か誘われてそのママ友達のお宅に子供連れて遊びに行かせてもらいました、

私は仲良くしているつもりだったのに相手はそうではなかったみたいで、 私の知ってるお母さん、その友達(私の知らない人です)が話しているのが聞こえて 〇〇ちゃがね(ママ友達の名前)△△ちゃんが(私の名前)こないだ家遊びにきたんやけどもう呼びたくないしんどかった…。と言ってたょってのが聞こえてきました…。

なんで私の話になったのか不明です。

でももうすごくショックで落ち込んでいます…。
人柄もよくそんなこと言う人じゃないと思ってたしずっと仲良くしたいと思ってたのでショックが大きいです。

私が、強くなるしかないんでしょうか?もうモヤモヤします


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人が言っていると特に刺さるがそれは不安の量が増すから

私も幼稚園に子供が二人通っています。幼稚園がお寺のすぐ歩いて4分の所ですので時間のある時は妻に代わってお迎えによく行きます。ママ女子たち99・99%の秘密の花園の中たった一人だけのツルツル頭男、花より男子ならぬ花中の団子アタマ丹下と申します。
ママ友さんたちとも良くお話しいたしますが、本当に、日々様々な不安の中で生活しておられますね。
子供のこと、子供の友達のこと、ママ友交流のこと、夫のこと、収入、仕事、義理の母、親のことテーマ一つで幼稚園のお迎えさえなければファミレスでランチから深夜閉店まで時間をつぶせます。
本人がいない中でドラマを増やすのが楽しくてしょうがないザマスのよ。
推測だけでモノを言っている人も居ますから実際にそうでなければ、情報や風評に負けずに胸を張ってあなたという真実を貫き通してください。噂は噂。本体は本体。仏像もうんちくはうんちく。ご本尊は御本尊。でも所詮仏像は仏像。リアル仏はリアル仏。木や金物のホトケに悟りがある訳ではない様に、真実と情報とは別物です。
ですが、そんな中でもまるで群れない❝トラ女子系❞ママがいます。
私は数多くのママ友の中で全く「群れない・媚びない・迎合しない」ママ友さんこそ最強のママ友スタイルであると感じています。トラ女子系になるには次のように念じてください。
ぶっちゃけ、どのみち小学校~高校・大学に入れば別々です。小学校に入ったからといっても一生涯の友達でもありません。今まで深い付き合いがあった訳でもありません。大半は愚痴や文句や陰口仲間、傷のなめ合いです。(💀ママとも発言から引用👹)お互いに子供が園や学校に世話になっている関係性というだけで、そんなしがみつくべきお友達でもないのではないでしょうか。そこを明らめてしまうとサッパリします。もっとサラサラさばさばできるものです。人間の心理というものは、何か穴があればつんつん突きたがるものなのです。あなたにさほど非が無くてもその悪口陰口の発信者はおそらく別の生活面でイライラしていていて劣等的立場を必要としていただけだと思います。
人は人のことを悪しざまにいうのは様々な心理がありますが、いきなり何の脈絡も無しに悪く言われるという事は、正当な理由でなかったりするものです。本当につき合っていくべき人が誰か分かったという獲得だと思いましょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

噂は噂、真実とは違う

スマイルさん

あくまで噂話。本当かどうかもわからないし、あなたのことではなく、人をと家に呼ぶこと自体負担だとかんじていたのかも知れません。

そのお友達のママさん自体は冷たいのでしょうか?そうでなければそれが真実。あなたにもし、相手を嫌な思いをさせてしまう節があるなら謝ればいいし、思い当たるところがないなら、今まで通りでいいのでしょう。

気にしなくていいのではないですか(^_^)

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

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