失恋して、吹っ切れることが出来てるのかわからない
失恋して、元カノのことが忘れられずにいます。
自分から振ったくせに、未練やら悪口やら言ってしまい、完全に人間関係を一つ潰しました。
付き合ってる時も自分のエゴで無理をさせて、一方的な愛の暴力を振りかざしてしまった気がします。これでは彼女も楽しいわけありませんよね。私のために一生懸命になってくれていたのに、無茶苦茶な事を言って苦しめてしまいました。
吹っ切れようと思い数ヶ月が経ちまして、もう彼女のことを諦めて恋愛対象としてみることは無くなりました。
しかし、楽しかった思い出は消えず、やってしまったことに対して自分がすごく情けなく思えてしまいます。
今、彼女には自分がみても立派な彼氏がいます。自分よりよっぽど幸せそうで、よかったと思いますが、様々な気持ちが交錯して苦しいです。
先日ひょんなことからまた連絡をとることがあり、今までのことを反省し、謝ることが出来たのですが、いい加減吹っ切れて、私はもう吹っ切れてると言われ、楽しかったと思うこともダメなのかなと思い、相談しました。喝を入れていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
失恋とは何が失われたのかを見極める
既に別れたという事はその彼女はもうあなたの前にはいない。
そもそもが元々居なかった。
失恋とは言うものの、いつ何をどう、どのように「失った」のだろうか。
それは本当に失いだろうか。
何をもって失いと思い込んでいるのだろうか。
それは、きっとあなたの中で、膨らんだあなたの中の独自の夢やまぼろしが失われ滅したのかもしれません。
失ったのではなく、失った感なのかもしれないね。
幻滅という言葉がそれを物語っている。
幻が滅したんです。
その幻とはなんだろう。
誰がいつどこで思い描いた非現実=マボロシだろうか?
元々、非現実だったのだ。
つまり、元々無かったってこと。
僕の頭の中。そしていまはその残響音。
だからあなたの失いは、失いであるように思っているけど、本当は彼女を失った空虚感ではなくて、あなた自身のまぼろしが失われただけだという事に目覚めたその時、あなたはもう、何も失われていなかったという真実に目覚め、その瞬間から、喪失感というマボロシさえも見破ることができて、真実の強さを手にするだろう。
真実の強さを手に入れろ。
真実の強さとは、
失い、失われ、損ない、損なわれる心、自分の思い描くマボロシが無くなることだ。
自分が自分の中で思い描いていただけだったと正しく知れば、そもそもそれが脳内セルフ・ストーリーでしかなかったことに目覚める。人は、その失われを恐れるのだ。
あなたは勇気をもって、むしろ脳内ストーリーをこそ自分の中かわ失わせるべきです。
目の前にない、非現実=まぼろしに支配されなくなった心は、全てにまさる強さだから。
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菩薩を見倣いをしたければ、大学の本や講義、アタマの中ばかりではなく当山の坐禅会で己を見つめ、己の中に生きた菩薩、仏を見い出してください。
自らを懺悔して
拝読させて頂きました。恋愛を忘れること吹っ切ること難しいですよね。
であれならばいっそのことこの夏は山にこもり自らの行いを深く懺悔して仏様に帰依なさってみてもいいのではないでしょうか?文面に高野山とありましたから宿坊等でご自分の人生をじっくり見つめ直して頂きたいと思います。
そして吹っ切って新たな人生を歩んで頂きたいと思います。
日々自らを懺悔して日々を新たな気持ちでこれからの人生をしっかりと歩んでくださいね。かげながら応援させて頂きたいと思います。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
やはり、自分の心の修養が足りていなかったとよくよく思い知らされました。
実は、夏にお山に行く予定がありまして、彼女とは高校時代の人ですし、始まりに戻り、心を鍛え直そうと思いました。
大学でも仏教を学ぶ身ですので、しっかりと学び励みたいと思います。仏典を読み、釈尊の言葉が心に突き刺さりました。
日々懺悔し、在家なので僧侶にはならないのですが、仏教をもって自他共に救えるような人間になれるように精進します。
合掌
さらなる回答ありがとうございます、拝読しました。
真実の迷いなき心を見出すには執着心を離れ、とらわれない心をつけるべきということと理解しました。
ただ自分の頭の中でしかない、不確定なことを考えるよりも、さらに上の次元から自分の心を観察し、向き合っていきたいと思います。
菩薩見習いというハンドルネームをつけたのは、あるお坊さんから人を救いたいと思ったのならもう君は菩薩なんだ、ただ自分も幸せにできないと人は救えない、と教えていただいたことを思い出しそのようにつけております。
確かに私は勉強し、研究する教相ばかりに目を向けていましたが、実際に心をトレーニングする事相も取り組まないといけないですね。
できれば坐禅も組んでみたいと思いました、もし予定が空いたらお寺を訪ねたいとおもいます。
合掌