二つ質問があるのですが、まずはお墓についてです。
『お墓』の相談なんですが、
時々『お墓を買いませんか?』という電話がかかってきます。
そのたびに『ありますから結構です』と断っていました。
ですが、会社の人かたが言うのには、
「これからはご先祖のお墓は近くにあったほうがいいですよね?歳をとってくると、行きたくても行けなくなるから、近くにあったほうが便利ですよ」と。
気持ちはわかるのですが、
私としては、やっぱり生まれて育った所に墓を作ってあげたほうがいいかなと思うのですが。どうなんでしょう。
うちにある仏壇は、父方の祖父母です。
因みに、父は毎日、仏壇に手を合わせています。ですが、私の場合、わけがありましてできないんです。
友人が言ってました。
『生きている人の声は亡くなった人には届かない。亡くなった人の声は生きている人には届かない』と。そうなんですかね?
二つの悩みは、改めて
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お墓について
お墓についての考え方は、宗派によって、お寺によって対応が違うところがあると思われます。
まずはお手つぎのお寺のご意見もお聞きになってみてはいかがでしょうか。
浄土真宗では、お墓を亡き人のすみかと考えるわけではありません。
阿弥陀様のお浄土にお生まれになった亡き人のお骨を納めているのであって、亡き人はお浄土にいらっしゃるのです。
お墓にお参りするという点では確かに近くにお墓があることは便利でしょうが、亡き人はお浄土にいらっしゃるのですから、お墓がどこにあっても同じということもいえます。
そういうふうに考えると、お仏壇に手を合わせるということで充分。
いけるときに故郷のお墓へ。
とも言えます。(お仏壇にお参りできないという事情がよくわかりませんが・・・)
また、お墓を移すとなると、改葬の手続きも必要です。お寺様の合意も必要となるでしょう。
友人のお言葉、『生きている人の声は亡くなった人には届かない。亡くなった人の声は生きている人には届かない』
これもどういうシチュエーションで言われたものなのか不明ですので、真意がわかりませんが、浄土真宗の考え方でお答えいたします。
亡き人は阿弥陀様のお浄土で諸仏となっておられます。
そして、阿弥陀様の元から、私たちをお導きになります。
ですから、亡くなった人(諸仏)にも、きちんと私たちの思いは伝わっています。
とどく思い
かおりさま
はじめまして。眞宗大谷派正徳寺の平松と申します。
よろしくお願いします。
>友人が言ってました。
>『生きている人の声は亡くなった人には届かない。亡くなった人の声は生きている人には届かない』と。そうなんですかね?
藤堂師がお答えになったように、どういうシチュエーションでお話になったかわからないと何とも言えませんが。
亡くなった方でも、本でしか読んだことのない先達でも、もっと言えばお釈迦様の声でも、いま現在の生活に響いてくるときがあります。
むかしおばあちゃんに言われたことや、おじいちゃんに遊んでもらったこと。
ふと思い出して、懐かしさとともに、いま現在・現実のわが子などに、されてうれしかったことなどをしたりします。
また、祖父の知り合いや叔父から生前のことを聞いて、影響を受けたりもします。
自分はこれらすべて、いろいろなものを超えて届いた声だと思いますし、届いた思いだと思います。
それに応えようとする私の思いもまた、すべてにとどく思いだと思います。
「亡くなったらすべておしまい」「死んでも生きている」これらの考えを、仏教では「有無の邪見」として偏った考え方としてきました。
亡くなったら、亡くなった方との新しいお付き合いが生まれるものと思います。
>私の場合、わけがありましてできないんです。
お仏壇にお参りできないわけ、少し気になります(^^)
かおりさん、こんにちは。
セールスの電話、たまに掛かってきますよね。なぜかお寺にもかかってきます(汗
”私としては、やっぱり生まれて育った所に墓を作ってあげたほうがいいかなと思うのですが。どうなんでしょう。”
というお墓についてもご質問ですが・・・。
スタンダードとしては、一家に一塔。お墓がある・・というものが日本のメインストリームです。
「遠くの親戚 近くの他人」・・ちょっと意味が違いますが、言葉を変えてみましょう。
「実家近くのお墓 自宅近くのお参りどころ」
いざとなったら拝むとき、というものが来ます。そんなときに「近くにあったらどうですか」、とセールスはかけてくるのでしょう。
それならば、こちらで用意してしまいましょうか。近くの成田山とか、神社とか、仏壇とか。
家の近くに墓を作り直すこと・・・大変です。ご無理なさらず。
”『生きている人の声は亡くなった人には届かない。亡くなった人の声は生きている人には届かない』と。そうなんですかね?”
というご質問ですが・・・。
私は、生きている人の声は亡くなった人には届いているか”確認はできない”。亡くなった人の声は生きている人には届いている。と思います。
届いているときはありませんか?虫の知らせ、草葉の陰が見えないでしょうか。
亡くなった人は声を”伝え”ようとはしていないと思います。生きている人に”伝わる”だけ、と言えるのかなと思います。
かおり様。
先ずは、貴女の御友人が仰る 『生きている人の声は亡くなった人には届かない。亡くなった人の声は生きている人には届かない』…は、藤堂 尚夫師や、釈 理薫師がお答えになったように、
どういうシチュエーションでお話になったのかが判らないと何とも言えませんが、ちゃんと届いているものですよ。声というより、心として…ですが。
お墓については、今は貴女が其れを観る代ではないのでしょうから、今暫くはお考えに成らなくとも良かろうと存じます。行く行くは、お考えに成るとしても…
時期の問題ですから。
質問者からのお礼
ありがとうござました。
お墓について真剣になりすぎた部分もあります。
何度も「お墓を買って欲しい」という電話が来たので、
家の近くに墓を作り直すのってどうなの?と
やっぱり人は死んだら生まれたところに帰ったほうがいいと。
でも、両親も「どうなんだろう」と悩んでいました。
向井さんへ、
ありがとうございます。
お墓について投稿した後、いろんな人に聞いてみました。
お墓をどうしようか考えていた方がいまして、その方の両親が足腰が弱っているのと、
子供達にも毎年、墓参りに来て欲しいのと、墓参りについて知って欲しいからとのことでした。
私のところは、今のところ、このままでいいとのことでした。^^;
雑談;さきほど、「梅コンポート」を作りました。
スイーツでも手芸でも作るのは凄く癒されます。ストレス発散にもなります。^^;