hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

母のアルコール依存症

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

先日質問したものです。
保健センターに連絡を入れ、サポートの仕方も教わりましたが、やはり病院受診も一応した方がいいとの事。
そこで、家族一丸となって、サポートしながらやっていこうと、家族会議を開こうと母親に伝えました。

すると、泣き出し、「人の気持ちを分かってない。あんたの気持ちを押し付けているだけ。みんなで集まって、どうするの。攻められているみたいで、嫌だ。
今頑張って減らしているんだから、それでいい。
なぜすぐに病院に連れていきたがるのか。なぜ信用してくれないのか。
共通理解をしたところで、何が変わる?今一人でゆっくりやっているから、そっとしてほしい」

と、もっと険悪な形になってしまいました。
私はただ、みんなで協力して頑張りたかったんです。それを伝えても、

「おおごとにしすぎてる」

と全然ダメでした。今、母は毎日の飲酒から3日1回の飲酒になり自分では頑張っているとの事でした。

私が急ぎすぎてしまったのでしょうか。保健センターからは、アルコール依存症になってしまったら、減酒ではなく断酒をしないと意味がないと言われました。

一回病院受診をして、見て頂けてら、もっとすっとやめられるのではないかと思ったのですが。そして、私たちも頑張りを理解し、応援し、家事も協力できたらと考えたのですが。

「仕事も家事もやってる。そんなにおかしい?そんなに信じれない?」

正直、信じれません。朝からベロベロに酔っている事は、おかしくないですかね。キッチンで寝てしまう、それも普通ですか?お酒を飲んでそのまま運転するのは普通ですか?
断酒すると言って、何度失敗して同じ事になったことか。戻ったことか。

私がやろうとしてた事は、プレッシャーになってしまったんですよね。
母の気持ちもくみとって、まずはそっとしておけばよかったですね。
焦って気持ちも押し付けすぎたんですよね。

親だからこそ、もう見て見ぬ振りをするのは嫌だったんです。

そもそも、アルコール依存症と決めつけている私の心がいけないのでしょうか。

私はどうしたらいいでしょう。ここまで、踏み込めて、ここまでやろうとしたのは、母が今まで一番頑張ってるって分かったから。だから、一緒に頑張りたかった。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

真の理解者と真の解決法によって真実の自己を自覚させる

ういー、もう一杯。♨
「酒は裏切らない」とお酒仲間が語っていました。
お酒をよりどころにしている人は人に傷ついてるんですよ。
傷の痛みを消すガツンと来るものに頼ってしまう。
ぐびび、あー、うめぇ。もう一杯。
おっと、失礼しました。
私もよくお酒を飲みます。お寺って、結構お酒頂く機会多いもんでねぇ。(´▽`*)
楽しく飲めば、残りもんはありません。
飲んでも平気、飲まんでも平気、呑まれない、くらいがちょうどよい。
毎晩ワインを一升瓶飲み干すというご夫婦がおられました。
ぎゃははー!(笑)と隣に声が聞こえるくらい(´▽`(´▽`*)と楽しく飲むんだそうです。
そうすると「健全な飲み」になって体に残らないそうです。
ところが、奧様が亡くなられて👼から一人で飲むと二日酔いするようになったそうです。
陰鬱なお酒、元気のない、なぐさみの酒は体に毒です。
たとえしんみりしても最後で明るく終わるのがイイお酒、いいブルーズです。
https://www.youtube.com/watch?v=7k07j7LcLqw(アル中を救う神曲)
お母さんのお酒の呑み方は暗く沈んでいませんか?
それはきっとSOS信号です。
呑むにしても「ワル酒」にさせないように数日間、対話・会話のお付き合いをしてあげることです。
受け止め相手がいて、自分の中の矛盾が解消すれば酒に頼らんで我が道を歩むようになれます。
孤独なんですよ。あなたも前に例のお相手に受け止めてもらって尊敬すらしていたでしょう。その役割をあなたが罪滅ぼしを兼ねてやることです。
ポジティブに呑まれん程度に量を決めてシラフ飲みすることです。
明日は地元のお祭りで毎年樽酒が出ますが、お酒そのものに罪はありません。
呑む人がお酒によってどう影響されるかは本人次第ですが、みんなシラフ飲みです。楽しく飲む分には潤滑剤。健康にすらなる。おかあさんのアルコール依存は、その表面だけをみるのではなく、心で抱えておられるどうしても消すに消せない苦しみがあると知るべきです。それを娘としてを聞いてあげたり引き出してあげてください。その問題が母からするとどうしても娘に言えないこともあるでしょうから、いざという時は専門家やお寺にお越し頂き胸の内を明かして楽になるよう勧めてみてください。
今度お母さんとお越しください、トコトン話聞きますよ。お酒は自前で。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

回答、ありがとうございました!

仕事柄少し精神科の勉強もしていました。表面だけじゃだめで、何か言えない母の思いがあることは感じていました。だから、電話したりしょっちゅう会いに行ったり、仕事の愚痴を聞いたり。本当に心が開いてくれるまでざっくばらんに話したり。母の大変だと思う家事を手伝ったり、一方からではなく、いろんな方向から見て少しずつ進めて行こうと。でも、ベロベロに酔っている所を何年も見ていると、もう逃げたくて仕方がありません。1人ではもう難しく、兄弟や父親の協力が必要だと感じたんです。だから、みんなで協力して、ポジティブに仲間だって、味方だよって伝えたかったんです。しかし、これは私の考えであって、母は望んでいなかったんですよね。
私ももっと柔軟に考えられるようにしていきたいです。赤ちゃんのためにもって、やっきになってたかもしれません。

煩悩スッキリコラムまとめ