自分の存在価値がわかりません
自分の存在価値がわかりません
顔も性格も頭の良さも悪く、価値のある人間には程遠いです
病気なのかと思うくらい不器用で沢山もがいても時間がかかるし、皆についていく事しかできません
こんな私が人から必要とされたいと思うのは贅沢なことでしょうか?高望みでしょうか?
正直、生きるのも辛いです。
生きづらいです。こんな私が居ることで迷惑をかけているのが申し訳なくて。
どうしたら価値のある人間になれますか?
価値のある人間はどういう人のことですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「一水四見」
雪乃様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
本来、価値や評価、意味、理由というものに、「これ」と決められる、決めつれられるような実体的なものは、ありません。
また、各々の立場や都合、偏見等によっても、様々に異なっていってしまうものになります。
一つの物事でも、立場に応じて見方、捉え方が変わってしまう。例えば、仏教でも「一水四見」という言葉がございますが、私たち人間にとっては「水」であっても、天人にとっては宝石のようなもの、魚にとっては住処、餓鬼にとっては火と、それぞれで捉え方が異なってしまうものとなります。
あるいは、「手を打てば 鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ 猿沢の池」というように、池のほとりで、パンと手をたたくと、鳥は驚いて逃げ飛び立ち、鯉は餌がもらえるものだと寄ってきて、茶屋の女中は呼ばれたと思い注文を取りにくる・・一つの行為でもそれぞれの立場で捉え方が異なってしまう例でございます。
とにかく、価値や評価、意味、理由というものは、「これ」であるとして、あまり、とらわれてこだわってしまってもいけないということでございます。
もちろん、価値や評価、意味、理由が全く無いと言っているわけではありません。良い因縁(原因や条件)によれば、良いものとなるでしょうし、悪い因縁(原因や条件)によれば、悪いものにもなるでしょう。
悪いものであっても、自分の考え方、心の持ちよう一つで、実は良くなったりもする、そんな程度のものなのです。
「人間万事塞翁が馬」、「禍福は糾える縄の如し」といったこともそうです。何がどうなるのかは、本当に考え方、捉え方次第。
できれば、短所や劣っていると思えることでも、考え方一つで、それを前向きに捉えて、良い方向へ、長所へと向かえるようにしていくことだってできるかもしれません。短所をチャンスに変えることだって。
あまりご自身を卑下なさられ過ぎずに、そして、焦らずに、できることを一つ一つ増やして、自分に自信をつけていって頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌