日々の乗り越え方
病気になってしまったのは、天からの罰でしょうか?
日々、首の痛みに耐えています。
痛み方は首吊られて、絞めつけられている感じです。拷問です。
こうなったのも、私の今までの悪い行動をすべて反省しなさい!と言われているように感じます。
私が今すべきことは何でしょうか?
前向きに考えられるようになりたいのですが、もうそろそろ限界です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お辛いですよね。
私も先週の土曜日に地元のお祭りでうちのお寺を使って頂いたのですが、沢山の方々がお越しくださってその人たちが本堂にあがっておられました。靴を踏んではいけないと思いその時に階段を踏み外して靭帯をいためました。脚一本痛めるだけでこんなに不便なものかと痛感している日々です。ましてや首でしたら頭に近い分さぞかしお苦しいことと存じます。
私はこう考えました。
一生もんと言われましたが、痛い時はイタイ。本当に痛い。
今の時期はお盆で正座も困難です。
ですが、痛くない時は痛くないのだと。
だから痛くない時は患いません。
また、痛い時は「イタイ」だけになり切ります。
イタイだけになりきるとは、痛いことに抗わない。
「何でこんな目に合うんだろう。」
「私だけどうして。」
「ああ、治らないかな。」
ということを一切思わないようにするのです。
何故なら、こういう事を思い起こすと心の中でネガティブガスが発生するからです。
どうせ治らんものは治らない。
治るものは治る。
でも、イタイは痛いのですよね。
だったら、イタイ以上に苦しみはない方がいい。
だから自分の痛みや病気を責めない様にしてみてください。
私も、イタイだけになりました。
それから、誰かを手助けしたり、救う活動を無心に勤めてみてください。
損得勘定なしに相手に喜んでいただけることをやるだけです。
そうすると、キセキが起きますよ。お釈迦様やキリスト様の話ですが、病人が急に治ったとか、そういう話があるでしょう。あなたが代わって善行を勤めるのです。できることを。
ただし、無我無心に努めなければいけません。その人を手助けすることで喜びを感じるまでになってみてください。痛みも消え、回復も早くなります。