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夫の妹の自死 友人にどう伝えたらいいか分かりません

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有り難し有り難し 14

私は、なかなか結婚を決意してくれない彼と、今年に入って夫の妹の死をきっかけに結婚しました。
去年、夫の妹が自死しました。
夫は、お通夜、お葬式の前に、
私に『友人には妹の事を言わなくていいかな?』と、聞いてきたので、私は、
『無理に言う必要はないんじゃないかな?』と言いました。
義妹さんが亡くって、一年経つ前くらいに、私達は結婚式を挙げました。
結婚式を挙げる前に、私は何度か夫に、
『友人には、妹のことは伝えたの?』と聞くと、
『まだ…』と言っていたので、
結婚式では、夫の友人は義妹さんのことを知ったら、驚くだろうなという思いと、夫が友人に説明するのが辛いだろうなと思いました。
結婚式では、夫の家族が義妹さんの遺影を持っていたり、新郎父の挨拶で、義妹が去年亡くなったことを話していました。
なので、夫の友人と私の友人は、そこで夫の妹が亡くなったことを初めて知ったので、驚いていました。

私は結婚式を挙げる前から、いつかはお互いの友人に、夫の妹が亡くなったことが知られてしまう!ということが分かっていたので、その時に、
友人にどう話したらいいか悩んでいました。
案の定、結婚式後に、友人に会ったりすると、
『聞きにくいことだし、言いたくないんだったらいいんだけど…義妹さんは、どうして亡くなったの?』と聞かれます。
私は、『亡くなったのが急な事だったし、夫の家族もすごくショックを受けてるので、亡くなった理由は聞けてないんだよね…落ち着いたら聞こうかなとは思ってる』と言っています。
私は、正直、これから先、友人などにどう答えたらいいか分かりません。
あと、初対面の方や、友人から、
『夫は何人兄弟?』と聞かれることがあります。そういう時は、亡くなった妹さんも人数に含めた方がいいのか、含めない方がいいのか悩みます。
人数に含めた場合、『今、何してるの?どこに住んでるの?』など聞かれてしまいます。
夫の妹が亡くなったことを伝えて、相手が困ってしまう場合もあるので、どう言ったらいいか悩みます。
長文になってしまい、申し訳ありませんが、回答の方どうぞよろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どうやって死んだかより、どう立派に生きたか「尊厳を重視」。

確かに妹さんはこの世に存在していました。そして立派に生きて亡くなられたのです。
だから本当は何も隠すことはありません。
「亡くなられてしまった」という事実は事実なのですから。
ですが、それは家庭によって「その最期の死に方」を秘密にしておきたい方も多くあります。
「亡き方の本当の尊厳とは何か。」
これを機会にあなた自身が妹さんをはじめ「死者に対する姿勢」「死者への尊厳」をどうとらえていくかを一つの課題になさって頂きたいと思います。
亡くなってからも生きている人として扱う。
ですが、度が過ぎれば生きている人たちが亡き人の事で心を騒がせて無間地獄に落ちる。
ある宗教では人は死んだらそこで物質として観るそうです。抜け殻。天国いったから大丈夫と言った感じで実にドライ。その後、その人の事を語られる事もありません。
ドライすぎるのもどうかと思いますが、その反対にいつまでも亡くなったことを肯定できない姿も心苦しいものがあります。
大切なのは最期どのように死んだかより、どのように生きてきたか。
何をしようとしてきたか。
生きている間にどうであったのか。
それが彼女の尊厳を重視する事です。
よって深く事情を聴かれた場合と、話すに値する相手である場合に限ってお話すればよいと思います。
私の幼馴染のMくんは20代の若さで亡くなられてしまいました。病気でした。
ある時に同窓会で彼の話になった時にそこではじめて10年以上たった後に知った人もいました。
相手が噂話のネタ程度にしかしない人には語るべきではありません。その程度の付き合いでしかなかった訳ですから。
その方にとって本当に関わりのある人であれば自然に耳に入っていくものです。
その人を愛する人たちの間で語られるその人の人間像こそ、その人を尊重している尊厳のカタチです。
「どんな風に死んだ」という事は、さほど重要ではないです。
ご主人と話し合って、妹さんの素晴らしかったところをお伺いしてご主人の心のケアをしながら(←こっちの方大切)、あなたが妹さんと本当の意味で家族になれるきっかけになさればよいと思います。
☆あなた自身が妹さんに対する踏み込みが届かないため、親しみが沸かない。親しみがわく存在になれば自ずから答えは出ます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下 覚元先生、ご回答ありがとうございます。
私自身、亡くなった妹とお会いすることなくお別れしてしまいました。
なので、義妹の雰囲気や声、性格、どんな方だったのかなどが分かりません。
妹になるはずたった人が、若くして亡くなるのは、とても辛いことでした。
これからは、少しずつ義妹の話を聞いて、私も家族の一員になれるように頑張ります!
そして、先生からおっしゃられた教えを今後に活かしていきます!
心が救われました!
本当にありがとうございました!!

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