資格試験に失敗してしまいました。
私は大学卒業後1年間資格取得のためアルバイトをしながら勉強をしてきました。先日試験があり採点したところ不合格の点数でした。
私の家は母子家庭で母は苦労しながら大学に通わせてくれました。私も少しでも負担が減ればと思い奨学金を借りました。
なのに今回このような結果になり母に大変申し訳なく、親不孝者だとつくづく思いました。母は来年も受けてみたらとは言ってくれました。しかしまた落ちたら…と思ってしまう自分もいます。心が重く辛いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
失敗のままにさせておかない
失敗した…、と思うから心が停滞するのです。
こう考えましょう。
この失敗は、
学びになった。
経験になった。
力になった。
軌道修正の場になった。
そして、まだ通過地点であり、過程であり、再スタートだ。
何かの終わりは何かの始まり。
とりあえず、評価「落ちた 失敗した」というネガティブな一か所にしぼらない。
学んだことだってある。落ちてる人だって他にも沢山いる。
その中で、私はいつまでもクヨクヨしているべきだろうか。進まなくちゃいけない。
ならば、一刻も早く、次に向けて一歩を踏み出して、心残りや悲しみに縛られないようにしなくちゃ!
お母さんには素直に謝ってみましょう。決してあなたを責めることはないはずです。
あったとしてもそれはあなたに何と言っていいか初めての経験だから分からないだけです。
世間で立派な人たちは、みなイチロー、二浪していますし、挫折感を味わったからこそ成功している人もいます。今のひと時の状態を人生のジ・エンドだと思わず。
落っこちたって、病気になったって、フラれたって、ウマくいかなかったって、ただ、自分の思い通りにならなかったちゅうことがあるだけで、それも学び。
その後も続いていくのが人生です。
続いていること、転じている事に目を向けましょう。
あれ、さっきほど、もう落ち込んでいないでしょう?
それは、あなたが一歩踏み出したからです。一歩踏み出すことができれば、心はちゃんと動き出します。
よく頑張りました。
現実は現実として受け止めましょう
とこさん、ご質問ありがとうございます。
お母さんの苦労にも報いたい。
アルバイトをしながら勉強した自分の苦労も実らせたい。
きっと、是非とも合格を、という意気込みでの受験だったのだろうと思います。
発表が出たわけではないようですので、それを待ってということもあります。
できなかったと思っていたのに合格ということも、あります。
しかし、「不合格」という事実が出たならば、それは動かすことのできない事実です。
来年の受験を勧めてくださっているのであれば、
この事実をきちんと受け止め、分析した上で、努力を続けられるというのが最上のように思われます。
あなたの心の重さを、私も想像致します。
「天命に安んじて人事を尽くす」(清澤萬之)という言葉もあります。
どちらの結果になるかは、仏様にお任せです。
でも、最善の努力を致しましょう。
失敗したって、親不孝じゃない
はじめまして。亀山純史と申します。今回の質問の中で、自分を親不孝者だと言っていますが、決してそんなことはありません。お母さんは、あなたのアルバイトをしながら勉強に打ち込んだ姿を見て、また来年も頑張ったらと言ってくれているのです。お母さんはそのようなあなたのひた向きさを喜んでいるのではないでしょうか。もちろん、試験に合格すれば、それは最高に喜ばしいことであることは確かです。そして、それに加えて、あなたのお母さんに対しての思いやりが、お母さんには十分に伝わっているのではないでしょうか。だからこそ、苦労しながらも、あなたを大学に通わせてくれたのだと思います。
人生には失敗はつきものです。そして失敗をするから人は成長します。何もかも順調にいく人生であったならば、自己中心的になり、他人からの思いやりの心など感じることが難しくなるでしょう。様々な環境のもと、全ての人が自分の夢の実現に向けて何年もかけることは難しいことですので、私から来年も頑張りなさい、とは言えません。でも私のまわりには、5,6年かけてやっと学校の先生になったという人がたくさんいるのも事実です。どうか、自分の納得のいく進路を見出してください。
質問者からのお礼
相談を親身に聞いてくださりありがとうございました。まだどうしてもふと悲しくなってしまいますが、気持ちを切り替えて今できることをやって進んでいけたらと思っております。本当にありがとうございました。