回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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どう生きるかという問いは、苦しいけれど、大事な問いです。
タイノさんが思う、生きてる実感とはどのようなものでしょうか。たとえば、谷川俊太郎さんは「生きる」という有名な詩を書いています。それはこのような言葉から始まります。
生きているということ 今生きているということ それはのどがかわくということ 木もれ陽がまぶしいということ ふっと或るメロディを思い出すということ くしゃみをすること あなたと手をつなぐこと
谷川さんの詩と、タイノさんが思う生きてる実感とは、どの程度重なりますか。私もタイノさんの問いを頂いて、自分自身を振り返ってみました。谷川さんのように、日常生活の一つ一つを「生きてる」という感動・実感をもって歩んできたかというと、そうではありませんでした。むしろ、淡々と、そんなことは当たり前だと思って歩んでいた時間の方が圧倒的に多かったように思います。「朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、学校に行く・・・。」の繰り返し。つまり、人生の大部分は「あたりまえ=つまらない」ことを淡々と積み重ねていく時間だということです。では、その積み重ねが意味が無いかというとそうではなく、積み重ねができること自体、すごいことなんだとこの最近感じるようになりました。
むしろ、話し相手がいなく、自分の生き方に?がついている点について、いろんな試行錯誤ができるように思います。昔から読み継がれている有名な小説を読んだり、映画を見たりする中からも、生き方のヒントは発見できると思います。仏教を開いた釈尊や高僧の人生をたどっていくことも、大きなヒントになりますよ。なぜなら、釈尊も高僧も、そしてどの時代の人々も、「生きる」ということに悩み、だからこそ真実を求めることにもつながってゆくのですから・・・。タイノさんも、自分の大事な問いから目をそらさず、その問いに真っ正面から向き合っておられるのです。これは、とても苦しいことですが、実はとても大切なことなのです。大切なことを問うことで、タイノさんの人生の幅は広がり、根っこは深くなります。自信を持って悩み、自信を持って問いかけてください。話す相手が見つからない間は、このハスノハ僧侶をどうぞ話し相手になさってください。そして、少し元気が湧いてきたら、お坊さんとのリアルな出会いを求め、直接タイノさんの問いをぶつけてみてください。このハスノハへ勇気を持ってお声かけを頂き、有り難うございました。ご縁に感謝!!合掌
質問者からのお礼
ありがとうございました。
いろいろなことに悩み考えていきたいと思います。
心が軽くなりました