結婚式の服装
友人の結婚式の参列で似合う服を探していました。
なかなか気に入ったのがみつからず、ある生地を選んだのですが、
出来上がってから、親族が勝手に"生地が貧乏臭い"と別の生地に変更していたことを知りました。
色んなお店を回りました、でも見つからずに仕立てになったんです。
もう前日で時間もありませんでした。
結局、新婦本人に電話確認して気にしないと言ってもらえたので仕方なく着て行きました…。
母の"誰もあんたのことなんか見てないわよ、主役は新婦なんだから"も決め手になりました。
しかし、ある友人が、私が座っている時にヒソヒソと私のマナー違反について話しているようでした。
事情を知らずに陰口を言う友人も、勝手なことをしてこういう状況にした親族も、なによりもっと色々考えて回避できなかった自分が恨めしいやら悲しいやら…。
どう折り合いをつけたらいいでしょうか。
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考えても時間は戻らない
あぁ、心苦しいですよね…お坊さんの世界にもあります。黒の衣が作法の法要だから黒の衣で行ったらなぜか全員、色の衣。。。え?なんで???
会場のご住職が「ウチの教区はユニフォームみたいな感じで統一色の衣を仕立てて、全部それでやってるの。」
オーマイガー!そういうことかぁ!事前に調べておくんだった!!お坊さんの世界の常識はちっとも常識じゃないって嫌というほど分かっていたのにまたやっちまったぁ!!!
……もう慣れました、こういうの。。。開き直るしかないです。もう終わったことに関しては。だって考えたって仕方ないもの。終わっちゃったもんは終わっちゃったんだもの。事前に聞いたら聞いたで「は?黒でやるのが作法でしょ?そんな常識も分からないの?」とか言われたりして面白くないことこの上ないのですが、考えたら考えただけ引きずってしまうので生温かい心で「そーですね」と流すしかありません。
でも失敗したからこそ許せるということもあるのですよ。
私が修行道場での生活に区切りをつけて帰って間もないころ、修行仲間と一緒によそのお寺さんのお手伝いをさせていただきました。大法要では結婚式のお祝いのような感じで一封納める習わしがあります。その時に一緒に行った仲間がおっちょこちょいな奴で、「謹上何々」「おいくら万円」「どこどこ寺 誰々」と書くのを全部左右逆に書きてきましてね、私は呆れてモノが言えませんでした。
しかし、お手伝い先のご住職は大笑いで、「ワハハハ、おいおいやってくれたなぁ。実はな、俺が初めてよそのお寺のお手伝いに行ったとき、全く同じミスをしたんだよ。アハハハハハ!」我々の沈痛な雰囲気を吹っ飛ばす痛快な笑いでした。
このように自分も失敗したからこそ許せるということもあるのです。だからこの体験は真理さまの財産ですね。そうして日本人の心が厳選から寛容へと向かった時、お互いに気持ちよく、住みやすい社会になっていくでしょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
ただ、知らなかったわけではなく、知っていたのに、そういう状況になったのが悔しかったのです…。
服装については、事前に式場に電話したり、マナー辞典を買ったりして、かなり調べました。
でも、どうにもならなかった上に、陰口までされたのが悔しいのです…。