人間のクズが許せない
人間のクズが許せません。
僕の言う人間のクズとは、平気で人が嫌がることをする人や悪いことをしても罪悪感のない人のことです。
例えば、本人に聞こえるような声で人をバカにする人や、公共の場でのマナーを守らず周りに迷惑をかける人、人を陥れてお金を稼ぐ人(当たり屋や痴漢のでっち上げをする人等)等です。
こういった人達には倫理観や人としてのプライドのようなものがないため、自分達さえ良ければ何をしてもいいと思っています。
その結果周りが嫌な思いをしようがお構いなしです。
例え自分と関係のないことでも、こういった話を見かけたり聞いたりするだけで僕まで嫌な気持ちになります。
本当ならこういったクズは全員殺してやりたいくらいなのですが、それは現実的ではありません。
彼らの行為に対する怒りと、それをどうすることもできないもどかしさでモヤモヤします。
世の中からこのような行為をなくしたいです。
こういった人を撲滅させるにはどうしたらいいと思いますか?
また、クズを許せない気持ちと上手く付き合うにはどうしたらいいでしょうか?
回答よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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クズの種
ささおさんこんにちは。
私はこう思うのです。
誰もが『クズの種』を持っていると。
私自身『クズの種』を持っているなぁ。
とすごく自覚するんです。
この『クズの種』は
種が机に置かれていては芽を出さず、
土に埋める、水をやる、適度な温度になる、太陽光が当たる。
などの様々な条件が重なって芽を出すように
悪い友達がいた、家庭環境が良くなかった、虐待を受けていた、人に裏切られた、何の不自由もなく挫折もなく育った。
などの様々な条件が重なって
『クズの種』が芽を出してしまったのではないでしょうか。
人間みんなこの種を持っているけど、
『あの人はかわいそうに、芽が出てしまったんだなぁ』
と思ってみませんか。
同時に、芽を出さずにおれている、そのような条件が重なっていない。
そんな自分を喜んでみてはどうでしょうか
梅のトゲが転じて花となる
私のようなクズでも花を咲かせる肥やしくらいには転ぜられるものです。
私も今も昔もクズです。
ハスの葉(hasunoha)の花を咲かすクズ活動をしています。
「梅のトゲ 転じて花となるものあり ならぬものあり」
人は何の教育もないままですと首輪の無い狂犬と変わらんものです。
テレビでは報道されないレベルで今日もどこかで痛ましい事件が起こっています。
無差別殺人、快楽目的の殺人、女性軽視の性犯罪、これらは正直、外道、人間のクズの所業と言わずしてなんと言えましょう。
大般若経の守護神十六善大神は元々、極悪人。
柿渋も熟して甘みとなる。
ウメもとげが転じて花を咲かせる。
毒も転じてクスリ。クズも転じて肥やし・養分・チカラとなる。
とがった生き方をしているから刺さる人がいる。
今はクズでも一生クズになるか、クズが転じて肥やしになるか一生クズで終わるかは本人たちの自己責任。
もし、あなたの言うクズたちを改心させたけらばあなたが彼らを憐み、彼らの人格を変えるべく布教の活動につとめるべきです。仏教を広めることや宗派の教えを広めることが布教ではありません。
人が人として最高の生き方を広める。それが布教。
「クズども、クズども」と文句言うよりは、あなたが1人のクズを改心させた方が価値があるからです。
人が何かを欲するのは、その欲するもの自体、欲し方自体を間違えているだけです。
あなたのクズを撲滅したいという欲がある。
それではまだ欲し方を間違えているのです。全員処刑することなんてできましょうか。
だから、本当に撲滅させるには人の心を変えていく必要がある。
人の求めるべきものを変えていく。
それを彼らに悟らせることです。それが仏国土の建国のために必要な導きです。
いくら金をためても権力をもっても、歴史的偉人?¿偉人とは思いませんが、偉人と言われた人間たちの権力やお金の使い方はどうか。
本人の小さなクズ欲を満たに大建設をしても根柢がスケールの小さいクズ欲。いくら大造営をしても人を苦しめるだけ。
だから欲を持つなら、聖なる欲へ昇華させなければならない。
小さな欲はいくら、なにをかき集めても際限がありません。
だからこそ。あなたが自分の欲望の質を高めること。これがとげが転じて花となることです。
クズといわれる憐れな悪党も改心させて仏心の大切さを悟らせれば、彼らも人や世を救いに導く力となります。
無明の対治
ささお様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がございますが、仏教では、その真に厭い憎むべきものを「無明」(むみょう)(根本的な無知、根本的な愚かさ)と考えます。
まさにこの「無明」というものが、大乗さんもおっしゃられていますように、「クズの種」であり、数々の煩悩の原因、悪業の原因となっているものであります。
厄介なことに、拙生もささお様も、ささお様がおっしゃられるようなクズたちも、そして、この輪廻において迷い苦しむ衆生の全ても、実はこの「無明」に侵されてしまっています。
何とかして皆の迷い苦しみの原因となっている無明の闇を晴らしていかないといけません。その闇を晴らすための光が、仏教の智慧となります。
是非、自分も、クズたちも、そして皆も、悪しき行為をなさないようにしていくために、その根本的な原因となっている無明を対治していけるよう、これを機会に、仏教を修習していって頂けましたら有り難くに存じます。
共に頑張って、自分、そして、皆の無明を対治して参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
僕の質問に丁寧に答えていただき、ありがとうございます。
以下、それぞれのご回答に対しての返信といたします。
唯称寺 大乗さん、回答ありがとうございます。
説明が分かりやすく、とても読みやすかったです。
>人間みんなこの種を持っているけど、
『あの人はかわいそうに、芽が出てしまったんだなぁ』
と思ってみませんか。
僕もそういった柔らかい考えを持てるようになれば、ある程度のことは許せるようになるのかも知れませんね。
僕もできるだけそのような柔らかい考えを持つよう努めてみます。
ただ、それだけだとどうしても行き詰まってしまうケースがあります。
と言いますのも、自分が人に傷つけられた場合なら、自分さえ気にしなければそれでいいかも知れません。
ですが、傷つけられたのが自分以外の誰かの場合、柔らかい心だけでそれを見過ごすのは難しいと思うんです。
例えば、質問で例に挙げました痴漢のでっち上げ等の場合です。
痴漢は無罪を証明するのが非常に難しく、疑いがかけられた時点でほぼ有罪になってしまいます。
世間から見られる目も厳しくなってしまうため、それが原因で自殺してしまう人もいるそうです。
痴漢のでっち上げは、示談金目的で行うことが多いようですが、そんなことのために人生を壊された人たちのことを思うと、どうしても痴漢のでっち上げをするクズたちを許すことができません。
確かに、クズがそういった行為に走ってしまったのには様々な理由があるのかも知れません。
ですが、その事によって傷ついたり嫌な思いをしている人がいると思うと、そのような行為を簡単に許すことができないんです。
幸い、僕自身がそういった被害に遭ったことはありませんが、こういった話は聞いているだけで腹が立つし、許すことができません。
こういった場合でも怒りの感情と上手く付き合うにはどうしたらいいと思いますか?
質問続きになってしまい申し訳ありません。
このサイトを利用するのが初めてなので追加の質問をしていいのか分かりませんが、もし追加の回答が難しいようであれば、また質問し直そうと思います。
ありがとうございました。
安穏寺 了叡さん、回答ありがとうございます。
>人が何かを欲するのは、その欲するもの自体、欲し方自体を間違えているだけです。
心に響きました。
僕ももう一度自分の欲しているもの、その欲し方について見つめ直してみようと思います。
>クズといわれる憐れな悪党も改心させて仏心の大切さを悟らせれば、彼らも人や世を救いに導く力となります。
やっぱり、クズを改心させることができればそれが一番ですよね。
ただ、「人の考え方を変える」と言うのはとても難しいことだと思います。
相手が悪い考えを持つ人たちの場合は特に。
例えば、非行少年が少年院にいる間に更正されず大人になってからまた犯罪を犯す、なんて話はよく聞きます。
クズを更正しようとしたところで、それは無駄なことなのではないか?と言う疑いがあるのも正直なところです。
また、多くのクズを改心させるための良い方法が僕にはあまり思い浮かびません。
人が人を改心させるには具体的に何をするのがベストなのでしょうか?
質問続きになってしまい申し訳ありません。
このサイトを利用するのが初めてなので追加の質問をしていいのか分かりませんが、もし追加の回答が難しいようであれば、また質問し直そうと思います。
ありがとうございました。
川口 英俊さん、回答ありがとうございます。
>「罪を憎んで人を憎まず」
なるほどと思いました。
感情的になると思わず人そのものを憎んでしまいがちですが、本当に憎むべきなのはそんなことが起こってしまう根本的な原因の方なんですね。
世の中そのものを変えていかなければクズの撲滅は難しいのかも知れませんね。
「無明」と言う考え方、頭の片隅に置いておこうと思います。
ありがとうございました。