整形が成功したけど後悔
春から大学生になる者です。高校を卒業してすぐに目を二重まぶたにする整形をしました。
自分ではそんなに変わってないと思っていましたが、高校の時の同級生に会うとみんなから変わったと言われました。
二重まぶたになれて嬉しかったけど何かを失った気がして後悔しています。
昨日は死にたくて眠れないほどでした。
ずっとブスと言われて、整形を後悔することなんてあり得ないと思っていたのに今は後悔しかありません。
思い出せば、顔をからかってきたのは一部の人たちだけで、整形する前から優しくしてくれた男の子もいました。
ちやほやされたかったけど偽りの私としか仲良くしてくれないと思うと、もう人生を終わらせたいくらい辛いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
しあわせはいつも自分の心が決めます。
いままでブスと言われても、それを乗り越えて頑張ってたんですよね。
整形を考えなきゃいけないほど傷ついていた自分もいたんですよね。
まずは今まで頑張ってた自分を偉かったねと誉めてあげてください。
そしてこれからの人生を決めるのは、人から言われたことでなく自らの行動。
誰かへの優しさや思いやりがこれからのあーーさんを決めます。
外見だけでなく行動が変わったならば、それは整形のせいではなく心がけのせい。
人の為とかいて偽りといじわるな人は言うけれど、
人のためだけでなく、自分の為にもなっていると気付いたとき、行いが本物になります。
今までの自分のためにも、これからの生活が豊かになりますよう願っています。
恥ずかしい心をさらけ出せたら、解放されるかと思います。
なかなか辛いお話ですね
あーーさんを整形させたものは
ずっとブスと言われてきたことにあるのだと思います。
ちやほやされたかった気持ち良くわかります。
そのため整形をした。
整形をしたらしたで
整形してまで、ちやほやされたい心を問われてしまった
ブスは整形すれば直せたかもしれませんが
ちやほやされたい心は見栄っ張りの心ですから、
指摘されたら恥ずかしいものです。
あーーさんは今そこに立てない
整形してまでも、ちやほやされたい自分であった
問題は顔ではなく心であったなと
愚かな自分に立てるか立てないかです。
これは極端な例かも知れませんが
変わったと言われた時に
実は整形したんだよ でも後悔していると
恥ずかしい心をさらけ出せたら
あーーさんは解放されるかと思います。
もしくは時間の経過を待ってみて下さい。
眼に教わる
眼というものは不思議ですね。
瞼を閉じている時は何も見えません。
一切見えません。
瞼がどんな形であろうともまるで気にもしません。
自分の眼の形すら見えません。
只それがそう映るだけです。
そしてみたものを嫌わない。
みたものにたいしてあれこれ思うのは必ず後からです。
眼が教えてくれます。
「あ、本当にそうだ。眼って、そうだなぁ。そうだ、たしかにそうだ。
なにもかも映してくれるけど、この眼は、だれのなにを見ても、どこをみても、みた時には、見えたという事がおこなわれるだけで、そこには絶対に好き嫌いだとか、よいわるいだとかも入る余地すらない。」
結論 あなたはものを見ながら 好き嫌いを起こしているのです。
本当にそのままをみてください。
そこに後悔も、良いも悪いも、離れているはずです。
見えるのが先、思うのはアトから。
大切となるのは心のありよう
あーー様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
この度は大学へのご入学おめでとうございます。いよいよこの春からの学生生活、どうか充実したものにして下さいませ。
「自分ではそんなに変わってないと思っていましたが、高校の時の同級生に会うとみんなから変わったと言われました。」・・
恐らくは、二重まぶたになされたことも、もちろんその理由としてあるでしょうが、一番は、二重まぶたにされたことで、あーー様の表情や雰囲気が変わられたことが一番大きいのではないかと存じます。
正直、毎日顔を合わせていない限り、人はあまり正確に顔の細かいところまでいちいち覚えていることなどできません。やはり、一番印象に残るのは、その表情や雰囲気となります。
多分、変わられたと思われているのには、二重まぶたにされたことからの嬉しさや期待が、自信にも繋がって、より良い表情や雰囲気となられたこともあるのではないかと思います。
しかし、今度はそれを後悔なさられて、つらく、苦しく思われてしまいますと、表情や雰囲気が悪くなってしまい、悪循環に陥られてしまわれる可能性があり、誠にそのことを危惧致しております。
大切となるのは、心とその心が投影される表情や雰囲気であります。
例え整形してしまった顔であっても、大事なのはやはり、心とその表情、雰囲気となります。
名女優さんであれば可能かもしれませんが、心とその表情、雰囲気はなかなか偽ることはできません。
人がお付き合いしてくれるのは、あなたの「顔」によるのではなく、心とその心の現れとなる様々なことにおいてとなります。
その心の状態がより良いものであれば、より良い人との繋がりができ、より良いご縁にも恵まれてくることになるでしょう。
とにかく、仏教でも、このいずれ捨て去ってしまわなければならない肉体などよりも、心のより良い変容が大切となります。
是非、これを機会として、仏教を少しずつでも学び修されることにて、心のより良い変容に取り組んで頂けることにもなりましたら有り難くに存じます。
拙生はご回答できておりませんが、以前の下記問答も是非ご参考下さいませ。
問い「整形してしまったことへの後悔と罪悪感」
http://hasunoha.jp/questions/981
川口英俊 合掌