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整形が成功したけど後悔

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春から大学生になる者です。高校を卒業してすぐに目を二重まぶたにする整形をしました。
自分ではそんなに変わってないと思っていましたが、高校の時の同級生に会うとみんなから変わったと言われました。
二重まぶたになれて嬉しかったけど何かを失った気がして後悔しています。
昨日は死にたくて眠れないほどでした。
ずっとブスと言われて、整形を後悔することなんてあり得ないと思っていたのに今は後悔しかありません。
思い出せば、顔をからかってきたのは一部の人たちだけで、整形する前から優しくしてくれた男の子もいました。
ちやほやされたかったけど偽りの私としか仲良くしてくれないと思うと、もう人生を終わらせたいくらい辛いです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

しあわせはいつも自分の心が決めます。

いままでブスと言われても、それを乗り越えて頑張ってたんですよね。
整形を考えなきゃいけないほど傷ついていた自分もいたんですよね。
まずは今まで頑張ってた自分を偉かったねと誉めてあげてください。

そしてこれからの人生を決めるのは、人から言われたことでなく自らの行動。

誰かへの優しさや思いやりがこれからのあーーさんを決めます。
外見だけでなく行動が変わったならば、それは整形のせいではなく心がけのせい。

人の為とかいて偽りといじわるな人は言うけれど、
人のためだけでなく、自分の為にもなっていると気付いたとき、行いが本物になります。

今までの自分のためにも、これからの生活が豊かになりますよう願っています。

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hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

恥ずかしい心をさらけ出せたら、解放されるかと思います。

なかなか辛いお話ですね

あーーさんを整形させたものは
ずっとブスと言われてきたことにあるのだと思います。
ちやほやされたかった気持ち良くわかります。

そのため整形をした。

整形をしたらしたで
整形してまで、ちやほやされたい心を問われてしまった

ブスは整形すれば直せたかもしれませんが
ちやほやされたい心は見栄っ張りの心ですから、
指摘されたら恥ずかしいものです。
あーーさんは今そこに立てない

整形してまでも、ちやほやされたい自分であった
問題は顔ではなく心であったなと
愚かな自分に立てるか立てないかです。

これは極端な例かも知れませんが
変わったと言われた時に
実は整形したんだよ でも後悔していると
恥ずかしい心をさらけ出せたら
あーーさんは解放されるかと思います。

もしくは時間の経過を待ってみて下さい。

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おきもち

眼に教わる

眼というものは不思議ですね。
瞼を閉じている時は何も見えません。
一切見えません。
瞼がどんな形であろうともまるで気にもしません。
自分の眼の形すら見えません。
只それがそう映るだけです。
そしてみたものを嫌わない。
みたものにたいしてあれこれ思うのは必ず後からです。
眼が教えてくれます。
「あ、本当にそうだ。眼って、そうだなぁ。そうだ、たしかにそうだ。
なにもかも映してくれるけど、この眼は、だれのなにを見ても、どこをみても、みた時には、見えたという事がおこなわれるだけで、そこには絶対に好き嫌いだとか、よいわるいだとかも入る余地すらない。」
結論 あなたはものを見ながら 好き嫌いを起こしているのです。
本当にそのままをみてください。
そこに後悔も、良いも悪いも、離れているはずです。
見えるのが先、思うのはアトから。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

大切となるのは心のありよう

あーー様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は大学へのご入学おめでとうございます。いよいよこの春からの学生生活、どうか充実したものにして下さいませ。

「自分ではそんなに変わってないと思っていましたが、高校の時の同級生に会うとみんなから変わったと言われました。」・・

恐らくは、二重まぶたになされたことも、もちろんその理由としてあるでしょうが、一番は、二重まぶたにされたことで、あーー様の表情や雰囲気が変わられたことが一番大きいのではないかと存じます。

正直、毎日顔を合わせていない限り、人はあまり正確に顔の細かいところまでいちいち覚えていることなどできません。やはり、一番印象に残るのは、その表情や雰囲気となります。

多分、変わられたと思われているのには、二重まぶたにされたことからの嬉しさや期待が、自信にも繋がって、より良い表情や雰囲気となられたこともあるのではないかと思います。

しかし、今度はそれを後悔なさられて、つらく、苦しく思われてしまいますと、表情や雰囲気が悪くなってしまい、悪循環に陥られてしまわれる可能性があり、誠にそのことを危惧致しております。

大切となるのは、心とその心が投影される表情や雰囲気であります。

例え整形してしまった顔であっても、大事なのはやはり、心とその表情、雰囲気となります。

名女優さんであれば可能かもしれませんが、心とその表情、雰囲気はなかなか偽ることはできません。

人がお付き合いしてくれるのは、あなたの「顔」によるのではなく、心とその心の現れとなる様々なことにおいてとなります。

その心の状態がより良いものであれば、より良い人との繋がりができ、より良いご縁にも恵まれてくることになるでしょう。

とにかく、仏教でも、このいずれ捨て去ってしまわなければならない肉体などよりも、心のより良い変容が大切となります。

是非、これを機会として、仏教を少しずつでも学び修されることにて、心のより良い変容に取り組んで頂けることにもなりましたら有り難くに存じます。

拙生はご回答できておりませんが、以前の下記問答も是非ご参考下さいませ。

問い「整形してしまったことへの後悔と罪悪感」
http://hasunoha.jp/questions/981

川口英俊 合掌

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