大切な家族
先日父方の祖父を亡くしました。私にはいとこもおらず、親戚も少ないため祖父を失ったことは想像以上にショックでした。父は元々家族と仲が悪かったために私達家族はほとんど祖父母に会うことがありませんでした。でも私自身は祖父母に何かされたわけでもないので、嫌いではありませんでした。たしかに祖母は頑固でワガママな所があったので幼い頃から付き合いづらい事は何となく感じてはいたのですが、祖父は穏やかでとても優しい人でした。しかし5,6年会っていなかった私達家族は祖父が余命宣告を受けていたことすら知らされておらず、亡くなった日にようやく知らせを受けました。とても悲しいです。どんなに疎遠でも私にとってはただ1人の掛け替えのない祖父でした。祖父は長生きだったので私は可哀想だったとは思っていません。ですが、死ぬ前に一度でいいから元気な私(孫)の姿を見てもらいたかったです。きっと本人もそう願ってたに違いありません。私は祖父が死んだ日(まだ知らせを受けていなかった時)祖父の夢を見ました。久しぶりに会った祖母は元気でしたが、祖父は庭の掃除をしていました。夢だったのでその時は特に気にとめませんでしたが、後で考えると祖父は私に何かを伝えようとしていたのかもしれません。私は祖父に会わせてくれなかった家族を恨んでいるわけではありません。気難しい父の家族を憎んでいるわけでもないです。悪意があったわけではないし、突然のことだったので仕方のないことです。でももしあと一度だけ祖父に会えていたのならこんな思いはしなかったでしょう。祖父が孫に会えずに死んでいった孤独と悲しみを考えると涙が止まりません。まだ子供の私はどうすればよかったのでしょうか?そして残された私達はどうやって生きていけばいいのでしょうか?死んだらそれで終わりなのでしょうか?お別れを言えず死んでいった祖父は私のことを見ていてくれるでしょうか?
夢でもいいからもう一度会いたいです。そして言えなかったありがとうとさようならを自分から伝えたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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善い行いは後から追加することができる
Hannahさん、はじめまして。
Hannahさんの父方の祖父が亡くなられたのですね。
寂しくなられたことと思います。お悔やみ申し上げます。
さて、Hannahさんは祖父に最後のお別れが言えなかったことが気になっておられるのですね。
Hannahさんの想いは供養を続けることで故人に伝えていくことができます。
仏教では追善供養(ついぜんくよう)と言います。故人が生前に行った善い行いに加えて、遺族が供養を通じて善い行いを追加していくことができます。
ここで言う善い行いとは、故人を想い続けることも含まれます。
Hannahさんが故人に対して追善供養を続けていかれることを祈念しております。
亡き人に出会う
ご相談拝見しました。
まずもって祖父様のご命終、謹んでお悔やみ申し上げます。大変さみしい思いをしているのですね。
しかし、「死んだらそれで終わり」ではありませんよ。だからこそ、Hannahさんの胸の中には今も祖父がおられるのでしょう。そして寂しい思いをさせたのではと自分を責めているのでしょう。
それでも後悔先に立たず。今からできることをしていきましょう。今できる事は祖父から学んだことを受け継いでくこと。
そのためにはきちんと祖父のことを知ることです。
祖父の人生は「孫に会えずに死んでいった孤独と悲しみ」だけのものだったのでしょうか?
そう言い切ってしまうのは厳しい言葉で言えばあなたのおごりであり、偏見です。
確かに会えずに寂しい思いもしたでしょう。ですがそれは人生のほんの一面です。大部分をみてきたのは共にいた祖母でしょう。もっというなら祖母ですら知らないお付き合いもあったかもしれません。
嬉しいことも楽しいこともたくさんあったでしょう。沢山の思い出にあふれたかけがえのない尊い人生だったことでしょう。
祖父がどんな人生を送って来たのか。聞ける方に是非お話を伺ってください。
そしてその祖父の人生から多くを学んでください。
そしてかけがえのない命の最後を通して教えてくださった仏法にも出会ってください。
仏法は次のとおり教えてくれます。
人生は思い通りになりません。
その思い通りにならないということの究極が、人は生まれたらやがて死ぬということです。
思い通りにならない私が今ここにこうして存在させていただいているのです。
それが 有り難い ということです。
死んでもそれで終わりではなく残されたものに受け継がれるものがあるのです。
Hannahさんの心の中には今も祖父がいるでしょう。これからは手を合わせるところ、念ずるところに祖父が仏様となってはたらいてくださります。
これからも出会い続けてください。
亡き人の声を聞き、今、亡き人に本当に出会っていく。それが供養というものです。
たんに形をととのえて供養すれば善いということではありません。後から供養すれば生前の後悔をなかったことにできるというものではありません。
寂しさを縁として仏法に出会い、祖父とも出会い続けられますよう念じております。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
今日お葬式があります。
きちんとお別れをしてきます。
そしてこれからも供養を続け、感謝を伝えた続けたいと思います。