不安(妹の死)
今年の2月に21歳の妹(みゆき)を事故で亡くしました。
私の5歳になる娘もとても悲しみました。
ある日、娘がおばあちゃんに「またみゆきちゃんを産めばいんだよ」と言いました。
子供って可愛いこと言うなと思っていました。
するとある日、私に「ママはもう赤ちゃん産まないの?」と聞いてきたので「もう1人ほしいね」と言ったら「そうだよね。私が死んだら悲しいからもう1人ほしいよね」みたいなことを言ったんです。
私はビックリと言うかショックで言葉が出ませんでした。
母は昔から「子供は3人くらいいる。2人だと1人死んだら1人だけになるけんな」と言っていたんです。
私は(変わったこと思う人だな。子供が死ぬなんてないよ)と思っていました。
でも、妹が死んで私1人になってしまいました。
母は「やっぱりもう1人産んどけば良かった。子供は何人いてもいい」と言っていました。
私は(妹を産みたい。子供は2人と思っていたけど3人ほしい)と思いました。
そんなことを考えている時に娘に「私が死んだら...」と言われてショックでした。
(もしかして予知!?母さんが娘の前で子供は3人いるとかの話したことないし、私も3人ほしいなんて話したことないのに、なんで私が死んだら...なんて言うのか!なんでそう思ったのか...)ととてもとても不安になりました。
娘は妹に似てるところが多々あるので、すごく怖くなりました。
妹に死なれたショックははかり知れません。
こんな状態の時に娘に「私が死んだら...」と言われてほんとにショックでした。
予知だったらと悪いことばかり考えてしまいます。
このモヤモヤをどうしたらいいのかわからなく、ここに書かせていただきました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生と死は表裏一体
妹さん残念でしたね…
お悔やみを申し上げます。
昔は「5歳までは神の子」と言いました。
5歳までに亡くなる子が多く、まだ神仏の世界の住人であると捉えたのでしょうね。
お寺の昔の過去帳を見ても、若い仏さんがたくさんいらっしゃいます。
それくらい、死ぬのは普通のことで、日常的なものだったんです。
現代の「死」は生活から隔離され、「遠いもの」「現実離れしたもの」「不幸なもの」になっています。
仏教においての「死」とはそうではなく「当たり前のもの」です。
なぜなら、今ここに命を頂いて存在しているからです。
【死ぬ原因は"生まれたから"この一つだけ】です。
お子さんの発言は生と死をある意味素直に受け取った上での発言であって、予知ではないと思いますよ。
死を見つめると生は輝きます。
1日1日がかけがえのないものになります。
ですが大人は重い病にでもならない限り、なかなか死を見つめることはありません。
かなえさんは、妹さんとお子さんから大切なことを教わっているのかもしれませんね。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます☆
昔は5歳までに亡くなる方が多かったんですね...今は若い方は生きてて当たり前のような感じがしますし、葬式に行こうがニュースで見ようが死を考えることはあまりないので、妹が亡くなった時は死について考えました。
いつ死ぬかわからない。
生きていることは当たり前ではない。
ここにこうやって、娘がいるこのことも当たり前ではない。
なんだかそう考えると穏やかな気持ちになりました。
ありがとうございました(^o^)