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どこに「かえりたい」のか

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社会人4年目です。
学生の頃から、いわゆる『逃げ癖』のようなものが酷くて、高校生の頃は受験から逃げて一浪、その後どうにか入れた大学も中退、という中途半端な生き方をしています。
社会に出てからも職を転々としていて、偶然の御縁で数ヶ月前から大学時代に目指していた業界で働き始めました。

いつ頃からなのかは定かではないのですが、あまりにも仕事や人間関係でストレスを溜め込んだり、逃げ出したくなると「かえりたい」と口走るようになりました。
それが通勤中や会社などで出てくる言葉なら「家に帰りたい」という意味であるとは思うのですが、これが寝起きだったり、休みの日だったり、家の中にいる時でもぽつりと呟くことが多いのです。

きちんと働かなければいけないと理解していて、頑張らなければいけないと思う自分と、本音として何もやらずにひきこもりたく、今のストレスから解放されたい自分とでいつもうまくバランスが取れず、結果として「かえりたい」と呟いてしまいます。

どこに「かえりたい」のか、自分でもわかりません。
これを家族に聞かれた時、冗談半分で「土に還りたいんじゃないかな」と言ったことがありますが、わりとその通りなのかなとも思います。

「かえりたい」と呟くのをやめて、しっかりやるべき事と向き合いたいのですが、どうしたら良いのでしょうか。
逃げ癖が出そうになって必死に抑えていることがあるのですが、どうしたらすんなり逃げ癖をやめられるようになるでしょうか。

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

面倒くさいから言わない

残念ながら、すんなり止められるなら苦労する人はいません。みんな愚痴りながら頑張っているのです。みんな愚痴っているのですが、愚痴って伝染するんですよね。だからつい愚痴ってしまうのを我慢するのです。

想像してみてください。目標に向かってみんな頑張ろうー!おー!という雰囲気の時に、えー、帰りたいなぁ…なんて言い、場の空気をぶち壊す人を。まわりの人たちに大迷惑をかけています。仲間のモチベーションを落とすことは社会の中で一番やってはいけないことです。そのような人が2、3人も集まれば立派に、いつでもどこでも不平不満なコミュニティの出来上がりです。そういう社会は窮屈で生きづらい。

だから賢い人は人前でネガティヴな態度を隠します。ネガティヴな態度で逃げ回り、結果として鬱々とするよりよっっっっっぽど楽な生き方だと知っているから。

そして人間は繰り返すことで癖がつきます。どこに癖がつくか?身体、口、意識の三ヶ所です。
いつも腰を曲げて生きていると、足腰や背中に負担がかかります。疲れがたまり、だんだん痛くなってくる…痛みが大きくなってもういい加減に厭だ!と思うのだけれども、癖になって骨格が曲がっているから治らない。治そうとしても、ただでさえ変に疲れているのが余計の疲れるから辛い…辛いから背筋を伸ばす姿勢が続かない…そして悪循環…
あなたの「帰りたい」も同じです。意味はありません。ただ、口についた癖なのです。自分自身のモチベーションを削ぐ癖です。意識よりも先に言葉が出て、モチベーションを削ぐ空気が生まれ、そしてモチベーションが低くなる悪循環です。

お坊さんはそれを知っているから仏さまに向かってお唱え言をします。感謝や尊敬の言葉の癖をつければ、自分自身も、まわりの人も相乗効果で楽になると知っているから。意味もなく他人に言うのは抵抗あるけど、仏さまが相手ならいつでもウェルカムだから。

馬鹿らしいでしょ、逃げるのって。逃げたところで、ドミノが倒れていくように自然と、なるべくして苦しむのですから。だからどこかでフンガーってドミノが倒れないように踏ん張らないといけません。そうして頑張っていると、いつか気付くでしょう。他人を思いやる生き方をすれば、そもそもドミノが倒れなくなるのだな…と。そして他人を思いやるということがそのまま、目の前の1つ1つの仕事を前向きに行うことに繋がっていくのです。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

『お詫び』

投稿した文章は仏典・論書・祖録等を引用して予め法理を明示しなかった為に、回答内容が仏教とは異なった通俗的な価値観に比重を置いたアドバイスになっておりました。
この回答が仏教を学ばれる方々の妨げとなる可能性がありましたので、まことに勝手ながら回答を全て削除させていただきました。

代わりにここでは、仏教の概要を少し紹介させて頂きたいと思います。

『仏道』
仏教の門戸とその修行法は多種多様でありますが、その道のりの先にあるのは解脱です。

大乗仏教では、菩提心がその人に現れる時から仏道は始まり、数多の転生を繰り返し、数多の大師や仏菩薩と出逢いながら、久遠の修行の時を経て、その人の全てが捧げ尽くされ、そこで菩提心が開示されます。
道の始まりから人は、菩提心に導かれ解脱へ辿り着きますが、そこで悟るものも菩提心です。

道の初め、自らの苦しみからの解放を求める切なる純粋欲求であった個人的な菩提心はやがて、すべての存在を救いたいという祈りに裏打ちされた不屈の意志と信心をその人に刻み付け、非個人的な菩提心が解放されます。
そのような菩提心と與に道を歩む人を菩薩と呼びますが、菩薩の意志や信心、原動力の源が解脱の時に悟ることになる菩提心です。
菩薩が歩む大道の上には、見道や解脱、その先に続く仏としての完全な成就の因となる多種多様な修行が立ち現れます。
日本仏教という道もこの大道を源としているので、全ての道はそこへ還りつくようになっています。

その人の道はその人にとっての真性の師である覚者との邂逅や、久遠の時を與にしながら道を歩んだ法友との再会によって開かれ導かれていく歩みであると伝わっております。
どうかnaru.様の出逢いとその歩みの上に障碍がありませんように。

願以此功徳
普及於一切
我等與衆生
皆共成仏道

合掌

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有り難し
おきもち

生き物は、必要なとき以外はじっとしていたい

生き物には怠けの煩悩があります。
ひらたく言うと、何もしたくないのです。
野生のライオンとかも、エサをとるときなど必要なとき以外は寝ているでしょう。
人間だって、動く必要があれば動きますが、必要ないならできれば昼寝でもしていたいのです。
その気持ちは、誰にでもあるのではないでしょうか。
落ち着く場所でリラックスしていたい。

しかし、人生には苦(刺激)があり、心身のセンサーに苦が入ってきたら、対処するため動く必要があります。
動いては休み、休んではまた動かざるをえなくなる。
生きるとはただそれだけです。
帰りたいけど出かけたい、出かけたいけど帰りたい。
それが人生だと覚悟しましょう。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

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