死の捉え方がみんなと違う自分
94歳の祖母が8月に他界、葬儀が私の旅行に被りました。
家族は私の気持ちに任せるといい、祖母は急死ではなく自分的にも心の準備をしながら接してきました。
また祖母の死を目の前にしても一般的な死の捉え方ができず悲しみはあったものの死というものが自分でもよくわからない感覚のものになっていました。
そして私は通夜.告別式に参列せず旅行に行ってしまいました。
一緒に行く彼も反対をしましたが私は自分の都合の良いように言い通して行きました。
旅行に行く前は生前祖母には自分なりに出来るだけ接してきたつもりで、自分では旅行に行くことを後悔しないと思いました。
しかし旅行中祖母のことが頭から離れず、帰ってきてからも家族や親戚には非常識人間と叱られ、
旅行に行ってしまったことを後悔しました。
でもどこかで祖母が骨になるところ、形としてなくなってしまうところを見たくなかったという想いもあります。
こんな自分を非常識であり、優しさの欠片もないと思われても仕方ないと思います。
葬儀に参列しず祖母や周りの人を傷つけてしまったことを反省しています。
でも反省している自分や看護師として働いている自分が表面上だけなんじゃないかと思えてきて、本当は偽りの自分なんじゃないかと怖くなります。こんな非常識な自分が今後また誰かを傷つけてしまうのではないかと不安でたまりません。
死に対しても常識、非常識についても何が正解なのかわからなくなっしまってます。
こんな私になにかアドバイスをいただけないでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
現代っ子なんだなあ。
死の捉え方がみんなと違うとありましたが、みんな違うように思えますよ。
確かに、お葬式をすっぽかして、
彼氏と旅行というのは、
我が儘だなあとは、思いますが、
気持ちはわかないでもない。
せっかく楽しみにして旅行、
お休みだってなかなかとれないのに、
お祖母様のお年もお年だしね。
昔は、出席することがお付き合い、
出席しないと、何を言われるかわからないという時代もありましたが、
最近は家族葬、身内だけ、直葬といって、通夜も告別式もしない、お坊さんも呼ばないお別れが、増えていますよ。それに比べたら、あなたは、おばあちゃんに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいなんだから、許されますよ。大丈夫!
極楽浄土に、阿弥陀さまが手をとって連れて行ってくださいました。
お祖母様からしたら、まあ、私の葬式なんかでなくていいから、若いんだから、楽しみなさいよ!って思っているんじゃないですかね。
あなたも、十分後悔したんだから、もう責めるのはお止めなさい。
お祖母様が悲しみますよ。私のために、孫が苦しんでるとしたら、辛いでしょう。お仏壇の前で、お墓の前で、一生懸命に祈ってくださいね。おばあちゃん、いままでありがとう。お浄土で幸せに暮らしてね。阿弥陀さまよろしくお願いします。私もこっちで頑張るからね。お葬式サボってごめんね。
これだけ言ったら、全てが許されますよ。大丈夫。
供養といっても私たちは、お粗末な人間です。仏さまのように、徳を巡らすなんてことはできませんが、あなたの真心を捧げてくださいね。
お仕事頑張ってくださいね!
お別れをちゃんとしましょう!
あなたは、御祖母さんのとのお別れが、ちゃんとできていないのじゃないですか?
葬儀に出る出ないの問題ではなく、
とことんまで、御祖母さんにお別れの言葉、感謝の言葉を伝えてないのじゃないですか?
そして、色々な御祖母さんの思い出に浸って
思い出の場面、一つ一つを丁寧に思い出し
自分の思いと、御祖母さんの思いを、両方感じて
お骨の前で、泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだりして
充分に、自分の感情と、御祖母さんの感情を味わって
しっかりお別れをしてください。
御祖母さんのメッセージが受け取れるかもしれません
宗派とか関係ないです。
しっかりとお別れしたら
看護師で働いている自分が表面上とか
正解が何か、なんて問う必要なく
生きていけるでしょう。
まずは、しっかり、自分のメッセージを御祖母さんに伝えて
お別れをしてください
きっと、変わりますよ!!
葬儀は生きている人のためにやるのです
浄土真宗では、死者は、必ず極楽浄土に往生しているという教義ですから、生きている人間が、死者を慰めたり、死者の往生、成仏を助けるという必要がありません。
では、なんのために葬儀ををやるのか?
それは、身近な人の死をきっかけ(ご縁)として、今、生きている人間が仏法を聞き思索するために行うのです。
あなたが、お祖母様の葬儀式に参列しなかったことは、社会通念上は非常識と批判されるかもしれません。
しかし、浄土真宗的には、今からでも、お祖母様の死をきっかけにして、仏法のお話しを聞き、思索すれば、それがあなたにとっての葬儀式ということになると思います。