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ソウルメイト

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よくソウルメイトという言葉を聞く事があるのですが、魂同士のつながりとか聞きますが、守護霊さんとはどういう繋がりがあるのですか?前世で約束した事などを今世で出会って果たして行くことはありますか?守護霊さんが、出会わせるのでしょうか?守護霊さんでも、本人を守るだけの役割や敢えて試練を与えて学ばせるというような役割があったりしますか?
私はすごく守護霊さんに守られてるなと感じる時があります。例えば交通事故が起きた後に通るはずだった道だったりとか、知らないうちに今日は遠回りして行こうとか、きっと守られてるんやろうなと感じる事があります。
ソウルメイトというのは、人を通じて自分の心が学んで行くという事なのかな?と思うのですが、その相手も選ばれて自分と出会わされているのでしょうか?神さんの壮大な計画の元だとも聞いたこともあります。例え結ばれないご縁ですごく好きだという感情がわくのもその時に学んで行かないといけない事があるから、敢えて守護霊さんが、出会わせるのですか?突き放す親心のような守護霊さんもいますか?基本的には、何事も自分自身の心の修行の為の巡り合わせでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ソウルメイトという観方 より 自らがソウルフルネス に

人間はこの人生を眺めた時、様々な言葉で『くくる』ものです。
内なる精神性、目に見えない働きはおおよそ、霊魂、魂、守護霊、守護神という言葉でくくられることが多いものです。ですが、その本質はやはり自分がこの世に誕生する前から働いている因縁や因果と言われる❝はたらき・作用❞です。
ですが、それでは分かりづらいので、それを人格化したものが、いわゆる魂、守護霊といわれる「ことば」です。モヤモヤしたものをそういう言葉で置き換える、くくると人間は理解がしやすいのでしょう。
ですがそれはあくまで、そのモヤモヤしものを感じさせるための道しるべとなる言葉です。
確かにその因と縁は存在して、原因と縁のめぐりあわせによってその結果になりました。
ここで冷静に見るべきことは、縁の働きかけによって結果、世間でいう運命は変えられるということです。
ソウルメイト、守護霊というものの見方も一つのものの見方です。
全てわが師、全てが自分の精神の向上の為の試練と見れば悪友や災難も一つの【縁(はたらき・作用)】となって、次なる結果を生むでしょう。次なる結果をより良いもの、喜ばしいこと、吉祥に導くための縁とすべきことが菩提心という仏教の向上心です。
一切は無為、無我、無作の功徳があります。
人間のはからいや、人間の独自の考えや、人間の価値観が付着する以前のまっさらな状態があります。そういうまっさらなものとして捉えてみてください。(実相を観ずる)
するとすべての因果はただその通りの事として、問題や苦しみが生じなくなって安楽になります。
自分がセルフに取り上げることをしない、ということです。
どんなに親しい人間、仲の良い人間であっても、ただのそういう人です。
私情を差し挟まなければ、みな導きの師、機縁ともなり、何でもなくもなります。
ソウルメイトという存在がどこかにあると観るより、そういった機縁によって、やがてこの身心が動ぜられなくなって安楽で静寂、最高に最高なソウルフルになっていくことが仏心です。
その為の具体的な活動が仏道です。
一度、ソウルメイトというものの見方も捨ててみてください。「まっさら」「無色透明」「無一物」というソウルフル、僧侶フルネスな心になれます。 
※ソウルフルネス、僧侶フルネスは造語です。なんとなくソウルで感じ取ってください。 

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あまたのご縁に守られて

拝読させて頂きました。あなたのおっしゃる様な関係はつまり私達は多くの人々やものごとに見守られているということかと思います。
仏様や神様やあまたのご先祖様やあらゆる生き物やものごとに私達はご縁を頂き見守られて今を生きております。
それは私達の想像をはるかに超えております。
私は朝本堂でお勤めします。そこでは正面に仏様菩薩様やあまたのご先祖様と向き合います。それから神様のお参りして薬師様や地蔵尊のお参りし、全てのお墓をお参りして1日が始まります。
そうすると私自身はあまたの仏様神様ご先祖様や生き物やものごとに見守られていると感じます。普段は目に見えないかもしれませんが、様々な関係ご縁の中で初めて生かされているのです。
あなたもそうですよね、どうか今あなたが生きること与えられたことをゆっくりと考えてみて、そして感謝の気持ちを持ちこれからもあまたのご縁に見守られて生きることを実感なさってくださいね。
あなたの人生があまたのご縁に守られて豊かに充実した毎日であります様にと仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きますね。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。これからも人とのご縁を大切にしながら頑張って行きたいと思います。

丹下様ありがとうございます。確かに何でも形あるものにしようとしたり、言葉やその意味に結びつけて考えがちでした。そういうものにとらわれすぎてました。そして頭で考える事ばかりで、自分で勝手にしんどくなり疲れているだけでした。回答を読み返していくうちに、段々心が軽くなってきました。何でも心で感じて行けるようになりたいと思います。ありがとうございます。

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