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お墓や仏壇を持たない選択はできますか

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夫の祖父母と夫の父の仏壇があります。この3人ともに会ったこともありません。夫が長男のために、仏壇を家に置いています。

全く知らない彼らの仏壇や墓を、このままずっと守っていかなければならないのかと考えています。

私自身は、夫の身内の墓には一緒に入りたくなく、できれば自分の両親と一緒の墓に入りたいと考えています。もしくは、自然に帰る形でとも考えます。

仏壇やお墓があることが、今後子供たちの負担になるのではないかとも思っています。実際、姑と仏壇や墓に対するしきたりや考え方が大きく違うため、大変苦労しています。

お墓や仏壇を持たないという選択もできるのでしょうか。夫は、姑とも違う考え方でお墓や仏壇を守っています。
私には、それが負担に思えてくることがあり、意味を考えているところです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あわてずにじっくりと

拝読させて頂きました。その様にご先祖様のお位牌やお墓をご負担にお考えなさる方は多いでしょうね。またその負担をお子様達にかけたくないとお考えなさる方も多いと思います。
親との考えも違うでしょうし、これから先の生き方や死の迎え方も様々思うでしょう。
回答としてお仏壇やお位牌やお墓を持たない選択肢もあります。昔は高い地位の方しかなかなかありませんでしたからね。今の様にそれぞれに持つようになったのは最近です。

人はやはり信じ向き合いたいと思う心があります。心の寄る辺が欲しいのです。
お位牌やお仏壇はこの世に表した仏様の極楽浄土の姿です。仏縁のもとではこの世の苦しみや貪りや怒りや愚かさはありません。ですからご先祖様はその様な汚れた心もなくなるのです。つまり人を憎んだり恨んだり嫌いになることもありません。皆ご成仏なさるのですから。あなたの今抱えていらっしゃる思いもなくなります。そして会ったことのないご先祖様でも大切なご縁であることに気がつくことになります。
大切なことは私達は私達が想像するよりも遥か多くの方々のご縁に生かされていることを知り、感情頂くことにです。そして仏様のお導きにより多くの方々と巡り合うことができることを知り感情なさることです。
また戻りますがご供養のあり方はそれぞれです。どうかあわてずにこれからどうなさるのかじっくりとお考え頂きご判断なさってくださいね。
あなたがこれからも多くの方々にお見守りなさって頂きます様にお祈りさせて頂きます。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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宗派によっても違うと思いますが

私の家系(佐藤家)のお墓は、私の生まれ育った東京とは遠い、会津若松市にあります。
祖父母、父が会津生まれで、戦後すぐに東京に移住したのですが、お寺、お墓はそのまま会津にあります。

もし、佐藤家の墓を今後なくしてしまおうとすると、以下のような手続きが必要になります。
まず、合葬墓といって、お寺が持っているいわゆる「無縁仏」のお骨をお入れする場所にお骨を移し替えます。
その場合の実費が数万円かかります。
また、佐藤家の墓は、佐藤家の手次寺(他宗派でいう菩提寺)が、管理していますから、お墓を壊して、お寺にお墓のあった場所を返却する実費がかかります。
これは数十万円ほどかかるようです。
この手続をしないと、あとで、お寺が、誰もこなくなった墓地を、お寺の金銭的負担で壊し、再整備しなければならないので、お寺に迷惑がかかります。

お墓を「廃止する」手続きは以上の通りです。

佐藤家の手次寺は、檀家であることをやめる「離檀料」はとりませんが、他宗派の場合は、そういうものがあると聞いたこともあります。
これに関しては私はわかりません。

仏壇に関しては、あなたが、ある仏教の宗派の信徒であるならば、必要でしょう。
しかし、信心とは、個人の内面のものです。

誰一人、その宗派に興味も関心もしめさないのならば、仏壇があってもなくても同じです。

浄土真宗の場合は、アパートぐらし等の人のために、非常に簡易な仏壇があります。
これに、「帰命尽十方無碍光如来」という文字列があれば、それがご本尊ですから、それが、信心の実践として手をあわせる対象となります。

実は今の私はそれすらありません。
恩師の書いてくれた、「南無阿弥陀仏」の名号をご本尊として、それがあるだけです。

形式も「どうでもよいわけではない」のですが、浄土真宗の場合は、「普通の仏壇」がなくても、まず、信心があること、信心があるなら、御本尊(真宗の場合は、名号または、木像または絵像)に手をあわせる、それが大事だと思います。

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浄土真宗、真宗大谷派です。
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私としては

そのお墓はご主人の親族のものですからご主人の気持ちしだいです。お墓が無くて心が穏やかでなくなるなら必要ですし、そうでないなら無くてもいいでしょう。
ご主人しだいです。
喧嘩しないように、ご主人の気持ちを尊重してあげてください。

仏壇は自らの信心のためでもありますから、あなたが仏教徒なら、大きな仏壇でなくても小さな棚の一画でも構わないので、仏像か名号などをご先祖様の位牌と共に置いて欲しいですね。
もし浄土宗なら毎日手を合わせて、10遍のお念仏を唱えましょう。

義父や義理の祖父母とは会ったことが無くても、彼らのおかげで今のあなたがいるのです。
また、先祖代々遡っていくと、あなたの先祖と一致する先祖もいるでしょう。
また、袖振り合うも他生の縁といって、あなたの前世、前前世…では、義父や義理の祖父母とは親兄弟の関係だったことでしょう。

このような縁を大切にするのも仏教なのです。
先祖に感謝する気持ち、縁を大切にする気持ち、自ら仏教を信仰し実践すること、これらを子孫に伝えていくことが大切です。
お墓や仏壇はその為のものであり、負担ではなく、贈り物なのです。
あなたが子孫に伝えていけるのなら無くてもいいですが、仏壇くらいはないと、あなたが仏壇に手を合わせる姿を見せないと、伝えられないのではないでしょうか。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

ご回答、ありがとうございました。
ゆっくりと考えていきます。

ご縁や家族のことも大切に考えていこうと思いました。
縁といっても実感がありませんでしたが、こうして今につながっているものなのですね。

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