愛猫を亡くした際に…
去年の7月、愛猫を亡くしました。
遺体と一緒に火葬する際に入れた小銭の5円玉を無くしたことに気付きました。
お財布に、半紙で5円玉をくるんで入れていた。
無くしたことでショックを受けています
何か悪い事が起きるのでしょうか
愛猫の遺骨はどうしても手元に置いておきたく、のうこつ出来ずにいます。
納骨したほうがいいのでしょうか…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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かえすべき所にかえす
昔はどこにでも土がありましたから飼っている動物が死んでしまった時にゃ土に還したもんです。
ウチは祖母が動物が大好きで猫だけでも10匹以上飼っていました。
ニワトリも百匹以上いました。今日まで何十匹育って、何十匹死んでしまったかわからんです。
名前のついているのもいれば、ついていないのもいました。
先日、飼っていた犬が死んでしまいましてね。
もう師匠が首輪を外してやっていました。
首輪が外された状態の犬をみるのは何年ぶりだったでしょうか。
「ああ、もともと❝ウチの❞犬ではなかったんだっけなぁ」
私が修行道場に行っている間に飼われた犬でしたので、私には最期まで懐かない吠えられっぱなしの犬でした。
変な話ですが、その亡骸をみながら、首輪が外れて本当によかったなぁと思っていました。
人間は自分勝手な生き物です。動物から自然を取り上げて、自分たちに不都合であれば害獣扱いし、他の生物の命でありながらその命をあたかも自分たちの「もの」にしてしまっているのです。
お伝えしたいのは、首輪を外して自然にかえしてあげることに相当する、本当に自由にしてあげるという事です。
首輪が外されるというのは、犬にとっても猫にとっても、❝飼われる❞ことを卒業することです。骨になってもそばに置いておきたい。「私のものにしておきたい。」ごめんなさに。それじゃ本当はイカンのです。お気持ちはわかります。
ですが、仏の教えとは、一切この世のものは自分のものにゃできない、してはいけないということです。
自分の元に置いておこうとすることで、執着や気にかかる事が出てきているのではないでしょうか。
お互いに執着されないためにも、自由にしてあげてはいかがでしょうか。丁寧にされたいのでしたらきちんとした形で納骨されるのもいいでしょうし、費用が何かと大変なこのご時世。大変でしたらお庭の土のある場所に埋めてあげればいかがでしょうか。
その後は、写真などの前で手を合わせてはいかがでしょう。
お心が休まりますよう。
あ、五円玉は気にすることはありません。
それよりもう少し、そのネコちゃんや、ネコちゃんと一緒に過ごされた誰かが喜ばしくなるよう、ご供養をしてあげてください。