私の厄年に父が寝たきりになってまい、後悔しています。
はじめまして。初めて質問させていただきます。
私の父は、一昨年の二月に脳出血で倒れ、そのまま寝たきりになってしまい、現在は意思の疎通が取れない状態です。
その年、私は本厄の年でしたが、前厄の年にお祓いをして、本厄の年にはしていませんでした。
一月に私の妊娠が分かり、父に電話で報告をしたのが、父との最後の会話になってしまいました。
結婚して四年目に、治療をしてやっと妊娠でき、父もとても喜んでくれました。
その一ヶ月後に、父は倒れました。
初めての妊娠、お腹が大きくなった私の姿をきちんと見せることができなかった。
父の待望の男の子が生まれたのに、抱っこさせてあげられない。一緒に遊ぶこともできない。
子どもができたら父にしてあげたかったこと、して欲しかったことが、どれも叶わなくなってしまい、とてと悲しいです。
そして何より、私がきちんとお祓いをしていれば、父がこんなことにはならなかったのではないかと、後悔しています。
苦しそうな父を見ていても、父をみて悲しむ母を見ていても、私の厄年のせいかもしれないと思うと、とても辛いです。
今は、何か父の為にできないかと思い、父の為の御朱印帳を持ち、御朱印をいただいてまわっています。
父の最期の時には、この御朱印帳を父に持たせてあげたいと思っています。
私がきちんとお祓いをしていれば、父の今現在は変わっていたのでしょうな。
今、私がしていることは、父にとって意味のある事になるのでしょうか。
どうか、お言葉をいただけますでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
辛いときに頼るもの
ヒコさん初めまして。
私は浄土真宗の僧侶なのでお祓い等にに頼りませんし信じていません…なので、ヒコさんが安心するような、求めているような答えは書けないでしょう。
お伝えしたいとおもうことは、厄ごときで私の人生は変わらないということ。
私は何もしてきてはいませんが、家族や友人が死んだり子供を無事に産んだり、何より私が今生かされている。
楽しいことや辛いことを「私の人生の一部」と受け止めず迷信や厄のせいにするのは道理がないと思っています。
神社仏閣に行かれていること、素晴らしいと思います。
お父様への気持ちや後悔の思いは痛いほど伝わりますし、それで大切な人の死がこの世からなくなるなら私もそうします。
でも、私なら限られた時間だとしても、お寺に行かず父の側にいたいです。
本当に必要なこと、お父さんが喜ぶことを忘れて、何かにとりつかれたようになってしまうことの方が後悔しませんか?
話せなくてもいい、なぜもっと一緒にいなかったのかと後悔しませんか?
御朱印を集めてまわるのは、ヒコさんの罪滅ぼし…気持ちを満たす為だけのものではないですか?
自分のせいで父が病気になった。頑張って御朱印を集めたけど死んでしまった。でも、自分なりにやりきった。
父が病気になった。可能な限り、父と過ごした。今まで見れなかった父の顔をみたし、父について色んなことを話せた。
どちらが悲しみの手助けになるでしょうか…私は、子供に側にいて欲しいです。
寝顔を知ってもらいたい、実はまつげが長いと発見してもらいたい、私の荒れた手を触ってもらいたいと思ってしまいます。
大切な人が亡くなる思い出が、御朱印では悲しいです。
私が学生時代付き合ってた方が、神社の息子さんでした。
お祓いについて聞いたら「俺にそんなすごい力あると思う?」と言われ「気休めと抑止力なんだな」と思ってから、私は気にしなくなりました。
人にはどうしようも出来ない物事があると思わないと、この先ずっと苦しくありませんか?
子供の行事でも、本来の意味から金儲けの行事に成り果てているものも多いです。
子供に影響するのは、迷信の類いではなく親の姿ですよね。厄を信じるのなら、迷わず信じないとお子様も迷います。
後悔先に立たず。今ある時間を大切にして頂きたいと念じております。
お辛い状況ですね
文面拝読させていただきました。
お辛い状況だと思います。
ただ、これは、厄年、お祓いは全く関係ありません。
あれはただの迷信です。
浄土真宗は迷信を信じません。
浄土真宗の宗祖親鸞の師匠である法然は、このような言葉を残しているそうです。
「もし、お祈りやお祓いで、病気が治るのならば、なぜ、この世界には病気で苦しむ人や亡くなる人がいるのだろう?」と。
また、初期仏教関係で聞いた話ですが、「もし、ここにいる比丘(修行者)たちが、池に沈んでいる石を浮かせようと祈れば、石は浮かぶだろうか? 同様に浮かんでいる油を沈めと祈れば、油は沈むだろうか?」
私がここで提示したのは、「問い」だけです。
この2つの「問い」をどう判断するかは、あなた次第です。
祈りも因 果を生ず
拝受
お父様のお体心配ですね
先の和尚様の回答の通り
厄年は関係ございません
しかし、お父様の事を思われ御朱印を集めたりしながら祈られた事は
必ず結果を生み出します
何故なら祈るというのは原因であり
必ず結果があるからです
祈りは宝くじを当ててはくれませんが
内なる変化をもたらしたり
故人に安穏を届ける事ができます
尚お父様のお側で静かに祈られても良いと思いますよ。
たくさん会いに行ってあげてくださいね
合掌
質問者からのお礼
丸山様、佐藤様、細川様、
早速お返事をくださり、ありがとうございます。
私の厄年と父の事は関係無いと言っていただき、心が軽くなったようです。
きっと、私のせいではないと誰かに言ってほしかったのだと思います。
今は主人の仕事の都合で実家から離れて暮らしていますが、なるべく実家に帰り、父に会いたいと思います。
早速、明日から実家に帰って私と子供の元気な姿を見せたいと思います。
ありがとうございました。
実は、父は島根県浜田の出身なのですが、日本全国の中から島根県浜田のお寺さんからお返事をいただけたことに、とても驚いています。
なんだか父に、
迷信なんか気にして!そう落ち込みなさんな!
と言われているようです。