ただ空しい
娘の一周忌を無事に終え、気が抜けたように気落ちしています。
今はただ、何もかもが空しく、
なぜ私は、寿命を全うしようと思っているのかも、わからなくなりました。
娘は「もったいない」が口癖で
部屋にあった箱に、小さく小さくなった鉛筆が
何本も大切に仕舞ってありました。
それは、どうやって削ったのだろうと思うほど短くて
娘は、それでもまだ使うつもりだったようです。
生前、私がもう捨てたら?と言うと娘は
「まだ使える。もったいない。これ木やで。ちゃんと使わな可哀そうやん。」
そう言っていました。
娘の部屋でその箱を見て、鉛筆ですらまだ使えるからと
大切にしていたのに、なぜまだ生きられた命をって
悲しくて、仕方がありません。
娘と過ごした17年が、なんだか幻のように思え
娘が生きていたこと自体が、夢だったのではないか
そんな事を考えては、自分がとても情の薄い母親に思えてしまいます。
いつか、お浄土で会えるというのなら、今すぐでもいいはず。
人は必ず死にます。わかっています。
当たり前のことでも、悲しい事に違いありません。
辛くても寿命まで、生きなければいけないのなら
なにか、先を照らすような、お話を聞かせて頂きたいです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏の教えをもとに
拝読させて頂きました。
娘さんがお亡くなりなさってさぞ悲しい思いをなさっておられることかとお察し申し上げます。大切な娘さんですからその生命がうしなわれた今をあなたには死ぬほどに辛く悲しい思いを抱えていらっしゃるのかと感じます。娘さんが大切になさっていた一つ一つのものもとても愛おしく悲しく思える事でしょう。
娘さんの生命が終わりを告げたことには様々な理由があるのではないかと思います。この世の中で生きていくことは本来心清く正しく生きる人にとっては正気の沙汰ではないようにも感じるからです。
我先にと我欲で相争う、強者が弱者や良心のある者をおとしめることが度々行われるこの世の中は悪所でもあります。本当に神も佛もいないのか!と叫びたくなってしまうようなこの世の中ではあります。
あなたが娘さんのいないこの世界を去りたいと思うのは至極全うにも感じも致します。
汚れたこの世の中を捨て去り、娘さんのいらっしゃる清らかな仏の円満な世界に赴きたいと思うのも確かに思います。
私はただやはりあなたにはこの世の中を生き抜いて頂きたいと切に思います。この世の本当の救いは私は仏教にあると思っています。私たちはそれぞれに親から生命を頂いて多くの有難きご縁に養われて育ち、それぞれに役目を与えられていきていると思います。その役目とは大きく言えば仏教そして正しい教えを学び、私たちが清い心をもって円満な仏となっていくことだと思います。
この様な汚れた世界であっても仏様の光はいつでもどこでもどんな状況にあっても届いているのです。あなたにもその仏様の光は届いているのです。
仏教の教えは
七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)にあります様に
諸悪莫作(しょあくまくさ) もろもろの悪をやめて
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい) 自らそのこころを浄くする
是諸仏教(ぜしょぶつきょう)それがもろもろの仏の教です
あなたにもその様な人生を送って頂きたいと切に思います。
必ずやあなたの生命が全うされた時、お念仏真心込めてお唱え頂き、仏様のもとにて娘さんに再会することができます。
どうかそれまでは心清らかに生き抜いて頂きますようにお願い申し上げます。
再び拝読させて頂きました。あなたのおっしゃること心に届きました。あなたを心よりお見守りさせて頂きます。再びあなたのお話を聞かせてください。
私が絶望しても 私を見捨てないものがある
真宗大谷派のテーマソング
https://youtu.be/a4JpouxtAGE?t=106
これ、音楽としても、歌詞もすごく好きなのです。
http://renshouji.com/introduction/chorus/goenkiso
>辛い涙に暮れる日は
決して尽きないけれど
私が絶望しても
私を見捨てないものがある
私を生かすはたらきに
目覚めたときから生きられる
このかけがえのない私に
いのちが今、かがやく
質問者からのお礼
佐藤様、ご回答ありがとうございました。
自分の事を「かけがえのない私」と思える日が、いつか来るでしょうか。
大切な、かけがえのないものを守れなかった自分なのに。
kousyo Kuuyo Azuma様、ご回答ありがとうございました。
生きることが修行なら、もう勘弁してほしいのです。
仏様の光が届いていても、今の私の目には見えないようです。
この生きづらい世の中で、心清らかに生き抜くことは、かなり大変そうです。
先の長い年月を、自分の力だけでは生きていけそうになく
誰かの導きがあればなあと、願っています。