心の負担
過去に自分が責任者として担当したプロジェクトで問題が発生しても、既に該当プロジェクトの担当ではないことを理由に、知らん顔で、全く責任を取らない元責任者がいます。
プロジェクトに問題を作り込んだ張本人が、責任をとらないことに、どうしても納得いかず、大変腹立たしく、その怒りが心の負担になっています。
このような怒りは煩悩となり、よくないのでしょうか?
過去の責任者に頼りたいと言う気持ちが強いのでしょうか?
現在の担当者の私が全責任をかぶるのは当然で、私の仕事に対する姿勢が甘いのでしょうか?
仏教の教えによると、どのように考えれば、良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教では縁と考えますが
端的にいって、仏教ではそういうめぐり合わせと考えます。いま病院の点滴により死亡なさった高齢男性のことがニュースでよく取り上げられていますね。まだ事件の全容は分からないので何ともいえませんが、その人には何の責任も落ち度もないのに殺されてしまったのでしょう(違うかもしれませんが)。東北の震災のあと、ダライママ法王が被災地にお見えになり、「これはあなた方の前世からの宿縁である」とおっしゃったそうです。ふつうの日本人には馴染みのない考え方ですから、当時は問題発言みたいになったと記憶します。
日本の禅では「災難に遭うときには災難に遭うのがよく候」というようです。これは多分、お聞きになったことがあるフレーズでしょう。
いずれにせよ、仏教ではあなたのお悩みは避けられないめぐり合わせと考えるのでしょう。
さて、これからは私個人の考えです。あなたが詰め腹を切らされて左遷されたり、出世の道をたたれたりしないように上手に世渡りをしていく必要はありますよね。そのうえで、会社というのは一つのチームであるはずです。誰かがエラーしたら、それをみんなで帳消しにしていく。ピッチャーが打たれたら、それ以上に点を取る。それを積み重ねていくのが強いチームなのでしょう。
起業して一人でやれば、他人の尻拭いなんてしないくてもいいのでしょうが、会社という組織においでになるから、組織に生かされるということもあるはずです。そう考えると、これも組織にいるなかでの「めぐり合わせ」である、他の人のエラーを帳消しにするのも仕事のうち、とも考えられるのではないでしょうか。
怒りを捨てましょう
仏教的には、怒りは捨てなさい、ということです。
「怨みは捨ててこそ静まる。これは永遠の真理である。」と、お釈迦様は言いました。
時には怒りが困難を乗り越える力になることもあります。
しかし、怒りを持ち続けると毒となり苦しみ、炎となり周りの人にまで延焼してしまい、残るのは焼け野原だけになってしまうのです。
とにかく前を見て、上司、部下、他関係者と協力し、最善の策を講じることです。
「◯◯さん(前任者)、こんなことしちゃって、ほんと困るな〜」とつぶやきながら、淡々と着々と冷静に仕事を進めていきましょう。
仕事はチームワークですから、自分だけで判断できない大きな問題は、早く上司に相談しましょうね。自分1人に責任が掛からないように、上の人も巻き込んで、打ち合わせは議事録をしっかり残し、上からの指示はいつ誰の指示だったのか手帳にしっかりメモして、自分を守ることも忘れずに。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。少し心が楽になりました。仏教の教えは、本当に良いものだと改めて感じました。