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私の弟について。

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このままでは一生仲が悪い姉弟になりそうです。
私に3つ下の弟がいます。
普段は家族皆で旅行に行ったり、仲が良い家族です。
ですが、弟は家族での決まりを守らないし、平気で嘘をつくし、都合が悪くなると無視をするし、金使いが荒く、とうとう家族で貯めた貯金箱のお金も勝手に使ってしまいました。
そういうことがあるたびに怒り、どうしてだめなのかを教えましたが、その時はわかった。と言いますが全く直りません。その繰り返しです。

今回は、私の堪忍袋の尾が切れてしまいました。
私が弟とした約束を破られたのです。小さなことですが、積もり積もっていますので弟から謝ってくるまで話したくありません。ですが、弟から話してくることはありませんでした。「自分が悪い」と絶対に思わないからです。でも誰が聞いても弟が悪いことなのです。(私が弟に貸したものを弟が壊していまい、それを言うと怒られると思うがあまり、だんまりをして貸した物を返してくれません。まるで子どものようです)

母は私と弟、2人の味方です。
母から聞いたのですが、母が弟にお姉ちゃんと2人できちんと話したら?と優しく言いましたが、弟はお母さんが口を出すことではない、という風な態度だったということです。そして姉が悪いと思っているみたいです。

板挟みになっている母にも申し訳ないので、早く仲直りしたいのですが、私から話す気にもなれません。
私としては、せっかく母が自分のために言ってくれてることなのに、なぜそんな嫌な言い方ができるのかと思ってしまいます。

給料はもらった分だけ使ってしまうので、母に管理してもらっています。
このままだと弟も周りも困ることになりますし、弟は成長できるとは思えません。
母は諦め半分で、父はもう諦めてしまっているみたいです。
母がいつまでもお金を管理してあげられないし、弟が立派な大人になり、早く両親を安心させてあげたいというのが私の本音です。

私はどうすればいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

過干渉にならない 弟は弟の人生 だけど援護射撃

一つはあなたが過干渉にならないこと。
あなたから観てダメ弟で世間的にみてもダメ弟でもOKです。
私はカス人生を歩んでましたから自分で懲りれば少しずつ変わっていきます。
それは周りがとやかく言う事ではないのです。
本人が学ぶしかないのです。
もちろんあまりにも危険な橋を渡ろうという時には止めるべきでしょう。
ですが、弟君は出会うべき人や出会うべきものに出会うまではカス人生を歩みます。
見守る、というより、人によっては突き放すのも愛。
たとえば世の中には、自分の独自の諭を展開。主張したがる人にあふれています。
その論で人が沢山救われればOKです。
ですが、その論で人が救われないなら、その論は主張しない方が良いのです。
ひどい例がイスラム国。ところが彼らでも自分達は正しいと思っています。
極端な例えでしたが、多くの人はそれに似た心理も持っているのです。
「自分だけは正しい」と。
あなたも「弟が自分だけは正しいと思っている」と思われていますが、実はアナタもまさしく弟に対して私が正しいと少なからず思っているはずです。
だから、正義や正しさは危険思想なのです。
互いの正義でぶつかり合うからです。
争い、争論、戦争はこれによって起こります。
たとえどちらかが確実に正しいとしても、正しさで人を罰する。正義の剣で人を切りつける。
見ていて気持ちいいものではないでしょう。
それをやってきて効き目が無かったら、方法を変えるべきです。
弟君はある種の素直なのです。
弟君が納得する方法を見出せば、素直に変わります。
それまであなたは突き放すような見守り、愛ある放置を修行してみてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

大人として独立することです

拝読させて頂きました。お姉さんとしては悲しいでしょうし怒りもあるでしょうし、それでも兄弟ですから愛しい思いもありますでしょうね。お気持ちお察し申し上げます。
弟さんももう社会人でしょうから例えそれが家族であっても節度を持たなければならないことはわかっているでしょうね。でもやはり家族だからこそ甘えが出てしまうのか不満の矛先になってしまっているのかでしょうね。
ご家族様としてはつらいかもしれませんが、やはり弟さんには独立して頂いた方が良いです。そして距離を置いてお見守りなさって頂きたいと思います。
親しき中にも礼儀ありですが、身近にいるとどうしてもメリハリがなくなってしまいます。
やはり可愛い子には旅をさせよ、です。
そして安易な甘えが出ても認めないことです。でもしっかりと見守り続けることですね。
なかなか難しいと思います。が、しかし家族として乗り越えて頂きたいと切に思いますね。
あなたも弟さんも大人として独立なさり自分の人生を歩んで頂き、そして合間には家族としてお互いを尊重し思いやることができる様にそれぞれにご成長なさって頂きます様にと心よりお祈りさせて頂きます。
がんばってくださいね。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

仰る通り、弟に過干渉だったのかもしれません。
これからは自分の正義を貫き通すのではなく見守っていきたいと思います。
ありがとうございました。

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