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今まで罪を犯した私に、生き方を教えてください。

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 最近、座禅のやり方を教えてもらい、一人でも家でやるとよいと言われ自宅でもやるようにしています。その時、無になるというか思考を止めるという事が出来ず、日頃の行いなどを思い返していました。

 園児の頃も学生時代の時だって、気に食わないと駄々をこねたり、友達と喧嘩をしたら殴ってしまったり、うるさいだの気持ち悪いという自己中心的な考えで虫を殺した事だってありました。思い返すと沢山の罪を犯し、また、人に迷惑をかけている事に気付きました。母親の話によれば、私がまだお腹の中に居た頃、足元が見えずに転びそうになった事があるとも言われました。私は胎児の頃から人に迷惑をかけていたようです。

 それに気付いた後、「陰徳を積む」という言葉を教えてもらいました。なのでもう昔の様に罪を犯す事はやめ、陰徳を積もうと思ったのですが、疑問が浮かびました。

 罪を償えた気になっているだけではないのか、よい事をした気になっている、思いあがっているのではないのかという事です。

 私が犯した罪は消えないと思うと自分に対して嫌悪感を抱きます。愚かな私に生き方を教えてください。様々な僧侶さんのご叱咤、お待ちしております。宜しくお願いします。

2015年4月16日 14:43

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

罪業(ざいごう)減らし功徳(くどく)増やそう

仏教的な罪・悪とは、悩み苦しみを増やす方向性を言います。
悩み苦しみの原因は煩悩です。
したがって、罪とは、煩悩を育てる行いです。
たとえば、殺せば殺すほどに、心には殺し癖がつく。盗めば盗むほど、嘘つけばつくほど…。
このように、悪いことをしたら悪い癖がたまること、またその悪い癖のことを、罪業と言います。
逆に、殺さなければ殺さないほど、殺さない癖がつく。慈しめば慈しむほど、許せば許すほど…。
このように、善いことをしたら善い癖がたまること、またその善い癖のことを、功徳と言います。
悪いカルマが罪業、善いカルマが功徳と言いかえてもいいですね。
過去の事実は消せませんが、過去に染み着いた悪い癖を、善い癖に矯正することはできます。
罪業を減らし功徳を増やすために、仏教が役立ちます。

2015年4月16日 23:34
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おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

その罪を出してみましょう

坐禅は無になるのではありません。具体的な教えも無く、無だ、無だ、と教える禅はウソ800だと思ってください。そういう指導者のものとで坐禅を学んでも無だ無だ無駄無駄ァー。
坐禅とは、この心身の上に縁に触れて全自動でどんどん出てくるおおやけの思いに手を付けずに、放っておくと、私的な思いの取扱いが外れるのです。おそらくその区別もなくただ思いが出てきちゃいけないと大ているでしょう。思いが出ている状態でありながら私的な思いに支配されたり影響されない状態が坐禅です。あなたは無になろうと思いの取り扱いを私的にしている。当然無になれるわけがありません。ちゃんとした指導者の下で坐禅をしなければ考えごとで終わります。
禅宗中国の二祖の慧可大師の元に、僧璨というものが訪ねてきました。
「私は罪深い人間であり、その罪故にらい病にかかってしまった。和尚の力で罪を無くして頂きたく懺悔をお願いしたい」
「では、その罪を消してあげるから、ここに出してみなさい」
「・・?」
僧璨は素直に自分の中に、本当に罪があるのかよくよく自分の心をみつめました。
そして、その罪と言うのは自らが作り出した、思いによる幻であることが分かりました。
「罪は形が無いのでどこにもみあたりません」
かくして僧璨は、はじめて考えの作り出した世界から、実相の世界という事実・現実の真実の世界に、眼が開いたのです。
僧璨はそこで即座に、ものの真実のありように眼が開いたのです。今までは自分の独自の思い方を中心としたものの見方しかしてこなかった。質問者様とまさに同じです。
およそ人間世界に苦しみがあるとすれば、それは自分の考えを中心としたものの見方です。
その考えが沸いて来ても、私的な取扱いをせずに過ごしてみてください。罪も晴れ、自分の思いから縛られないようになりますよ。

2015年4月19日 7:24
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 坐禅会 法話・提唱会 毎週...

我は煩悩具足の凡夫なり

亀山純史と申します。私の宗派である浄土真宗の考え方で、少し述べさせてください。
まず、仏教における私たちの在り方として、①「私たちには悟りの可能性である仏性(如来蔵)がある」という見方と、②「私たちは善い行いをしようとしても、真に善い行いをすることなど出来ない煩悩具足の凡夫である」という見方、があります。私の宗派である浄土真宗は、私たちを②の煩悩具足の凡夫であるととらえておりますが、それは決して、善い行いをしなくてもよい、というわけではありません。「善い行いをしようとしても出来ないことに気づくこと」それが重要なのです。「小さな親切、大きなお世話」という言葉があります。人のために良かれと思ってやったことが、実は大きなお世話であったということですが、私がここで問題にしたいのは、自分が取った行動が、他人の大きなお世話になることがあることではなくて、大きなお世話になった時に、私たちは「そんなつもりでやったわけではなかった。」とか「こっちの気持ちも汲みとってもらいたいものだ。」と、自己弁護や相手への攻撃をしがちではないか、ということです。あるいは、「何か相手のためを思ってやったことに対して、何も相手は言ってこない」なんていう場合、ほとんどの人は、「お礼を言わないなんて、なんて非常識な人だ。」と思うのではないでしょうか。つまり、私たちはどんなに良い行いをしようと心掛けても、自己中心的な存在であるのです。そして、そのような私たちに、仏様(阿弥陀如来)は無量の智恵と慈悲 ―「あなたは、どこまでもそのままの状態でいいのだ、私はあなたを決して見捨てず、必ずあなたを救う」という働き― を振り向けてくださっているのです。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、質問者のせいやさんの「罪を償えた気になっているだけではないのか、よい事をした気になっている、思いあがっているのではないのか」というお気持ちは、自分自身の内面を深く洞察しておられる結果であると思います。そして、「私が犯した罪は消えないと思うと自分に対して嫌悪感を抱きます」というお気持ちも併せて、まさに、「我は煩悩具足の凡夫なり」という自覚が出来ているということではないでしょうか。そうだとすれば、「あなたは、どこまでもそのままの状態でいいのだ、私は必ずあなたを救う」と言ってくださる仏様を拝んでいく生き方はどうでしょうか。

2015年4月18日 21:33
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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

質問者からのお礼

願誉浄史様。回答ありがとうございます。仏教を通じて生き方を変えようと思います。ありがとうございました。

亀山純史様。回答ありがとうございます。実家が浄土真宗の檀家だった事もあって“「我は煩悩具足の凡夫なり」という自覚が出来ている”と書いてくださった部分には感動しました。これから浄土真宗について学んでいきたいと思います。

丹下 覚元様。無になると表現した事については語弊がありました。失礼しました。座禅の最中に湧き出る思考に囚われるな、という事をその様に書いた事については反省します。私の解釈が間違えていたようです。すみませんでした。
 さて、“およそ人間世界に苦しみがあるとすれば、それは自分の考えを中心としたものの見方です。
その考えが沸いて来ても、私的な取扱いをせずに過ごしてみてください。罪も晴れ、自分の思いから縛られないようになりますよ。”の部分に感動しました。今まで十何年も思考に縛られていた私が、簡単にそれから解き放たれるとは思えませんが、自分の思考に縛られないように努めていきたいと思います。ありがとうございました。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

生き方への迷い

こんにちは。 私は幼い頃から「専門の技術をもって世の中に貢献したい」「貧困や差別、虐待に苦しむ人の力になりたい」と意志を持ち、それを果たすことが自分の生きる意味なのだと考え、生きてきました。 物心ついた時には既にその考えがあったため、高校生までは迷いなく努力することができていました。 しかし高校3年生でうつ病と拒食症を患い、「自分の生まれてきた意味は何だろう?私に価値はあるのか?」と考えるようになり、周りは恋愛に夢中なのに、恋愛に興味を持てず異性に対してとても冷めている自分に気づきました。年相応の楽しい経験もせず、自分の使命のために生真面目に頑張っている私はとても浮いていました。 そこから紆余曲折あり、大学進学し資格を取り現在はやりたい仕事をすることができています。人の役に立つ仕事をできているため、自分の使命は少しずつ果たせていると思います。 現在も仕事やボランティアで「自己実現したい」という欲求は明確にあるのですが、恋愛や結婚に対してはなぜか興味が持てず、「どうしてしなければならないんだろう?」という疑問が拭えません。 職場の先輩が善意から「20代のうちに結婚しないと女は価値がなくなるよ!」と婚活を勧めてくれます。 半年ほど婚活してみたものの、短い時間で人を収入や外見で判断し、決めていかなければならないシステムに違和感がすごく、もはや苦痛です。数人の男性と食事をしましたが、どの人も結婚を考えると重く感じお断りしてしまいました。 結婚しても幸せになれなかったら?子どもが生まれてもちゃんと育てられなかったら?などと考え不安ですがたまらなくなります。 パートナーがいない、結婚していないと人として欠落しているという言説も多く、独身だと生きていけない社会の仕組みだという脅し文句もよく聞きます。 ですが本当に結婚は必須なのでしょうか。パートナーがいても居なくても、その人なりに世の中に貢献し、美しく生きていればいいのでは...というのが私の本音です。一度きりの人生を世の中の価値観に振り回され、否定したくない。 その一方で、まともに恋愛や結婚ができない自分に「価値はないのでは?」と不安になるのも事実です。 迷いなく穏やかに使命を果たして生きたいです。

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これからの生き方について

19の女です。先日、大好きな彼がいるのにも関わらず浮気をしてしまいました。 浮気をした相手は元カレです。私と元カレと付き合っていた際、元カレからはDVを受けていたのですが、洗脳状態にかかっていて、彼は神様のような人だと周りにいっていたため、心配になった家族や友達から引き剥がされて無理やり別れさせられたような状況でした。元カレに未練があった私はずっと「元カレに会いたい、私達は愛し合っているのに!」と暴れたりしてました。そこで、精神的に不安定な私を今の彼氏が助けてくれたんです。私は今の彼氏のおかげで元々あった平穏な暮らしができるようになり、精神も回復していったのですが、精神的にまいっていた際に、元カレに会ってしまい、1日だけですが元カレと肉体関係を持ってしまいました。そのあと、元カレと話をしてるうちに、元々、「この人は私のことを愛してたのに周りが誤解してそれを引き裂いた、この人は良い人なのにみんな誤解してる!」と思っていたのが、「この人は私のことをオモチャとしか思ってなくてみんなが言っていることが正しかった」ことに気付き、もう二度と会いたくない!と半ギレの状態で元彼の家から出ていきました。 今自分のしたことに対し、激しい後悔があり、もう二度としない、今の彼氏を悲しませるようなことはもうしたくないと考えているのですが、一度でも過ちを犯してしまった場合、地獄行きになってしまうのでしょうか。また、彼氏にはまだバレていないのですが、そのことを告白するべきでしょうか?それとも彼を傷つけないためにこのことを墓場まで持って行くべきでしょうか。彼のことが大好きで、本当のことを言って彼がいなくなってしまうのが怖いです。本当に自分のことを愛してくれる存在を失って、また1人になりたくないんです。私は地獄に行くんだ、と考えると死ぬことに対して恐怖心が強く感じられ不安な状態が続いています。自業自得なのはわかっているのですが、是非アドバイスをいただきたいです。

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2度目の家出

私は今回で2度目の家出をして、現在お付き合いしている彼と同居し、勉強中のWEBデザインの学校に通い、そのバイトをして、最終的に正社員として働きたいという考えを持っています。 ですが、母や父、妹にやはり反対されています。 一度目の時に傷つけられて仕事も辞めてカードの支払いも負って帰ってきたために、また家を出ることが本当にありえない、ということで大反対しています。 1度目の時ですが、大学卒業前、当時付き合っていた元彼と住むために家を出ていきましたが、結局別れてしまい、また当時彼との生活費もすべて私がクレジットカードで払っていたため、実家に戻ってから約4ヶ月間、支払いで苦しんでいました。 その後、新しい男性と出会い、支払いも落ち着き、心も安定してきました。 いまお付き合いしている彼は週に一度しかない休みの日にも私と会ってくれ、帰りも彼はわざわざ埼玉県から神奈川まで毎週車で送ってくれたり、離れているときもずっと心配してくれたり、フリーターである私の将来のことを一緒に考えてくれ、2人の将来のことを真剣に考えてくれ、何より私のことを1番に考えてくれています。 確かに親は間違ったことは言っていませんし、本当に今まで私のためにやってくれたことにとても感謝しています。 23歳にもなって、フリーターで、大したお金もないのに、彼に頼って、一緒に暮らして、少しずつ夢を実現していくのは、やはり親不孝になるのでしょうか。 今回の家出では、必ず正社員になって、彼と幸せになって、今までお世話になった大学費用などを含めて、親にお金を送ることを目標としています。 その努力をする覚悟もしています。 親の言う通り、先に正社員になってから、彼氏と住む、という順番を追うのが普通であり、それをするべきなのでしょうか。 どうしても自分の意志が強く、親の意見や順番、といったものを理解はできるのですが、取り入れることができず、かといってこのまま家を出ればきっと家族はまた傷ついてしまうのだろうと思うと悲しい気持ちにもなります。 葛藤がありますが、何かこの私の悩みに有難いお言葉を頂けると幸いです。

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自分の進むべき道

長文失礼致します。 ここ1~2ヶ月の間、あることを切っ掛けに特定の宗派のお寺に伺うことが増えました。 その中で、あるお寺のお弟子さんとお話しさせていただいた時に「お坊さんにならないのか」と問われ、その事についてモヤモヤとしています。 何故言われたのかはなんとなく理解できています。 それというのも、縁があり菩提寺とは別の宗派のお坊さんと知り合いになり、そのお坊さんに娘のように可愛がっていただいていました。 そのお坊さんに本当に色々なことを経験させていただき、そのお坊さんがいなければ今の自分は居ないと思うほどです。 亡くなってしまったため今は直接会う事は叶いませんが不思議と淋しいという感情はありません。 このようなことをお弟子さんにお話ししたところ上記のような発言となったのです。 恐らく「経験」の内容が水行等、修行に関することが多かったからなのでしょう。 さらには「そのお坊さんは貴女をお坊さんにしようとしていたのでは」ともお弟子さんに言われました。 しかし上述のとおり、懇意にしていたお坊さんは亡くなってしまったため真相はわかりません。 でもなんとなく私に色々な経験をさせてくれたのは自分で自分を守るためなのではないかと思っています。 いずれにしろ真相は分からないのですが… ここまでであれば私の性格上「こんなこと言われたな」程度で終わるのですが 先に書いたとおり特定の宗派(懇意にしていたお坊さんと同じ宗派)のお寺に伺う機会が増えたと同時に そのそれぞれのお寺でお経が始まる確率がすごく多く 必ずと言って良いほど伺ったお寺でお経を耳にするようになりました。 ちょうど御開帳が始まったり、こんなタイミングあるのか?と不思議に思うほどです。 そして何故かずっと開経偈が頭から離れないのです。 特に今の生活を変えたいとか思ったことはありません。 ただお坊さんになりたくないとも思いません。 行く先にその選択肢があるのなら選ぶ確率はゼロではないと思います。 最後になりましたが ・お坊さんにならないのか聞かれたこと ・お経を耳にすることが急激に増えたこと ・開経偈が頭から離れないこと これらの事は何かを意味しているのでしょうか。 またこれらのことから今私自身がすべき事はなにかありますか。 ご教授いただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 15
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