hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

今まで罪を犯した私に、生き方を教えてください。

回答数回答 3
有り難し有り難し 37

 最近、座禅のやり方を教えてもらい、一人でも家でやるとよいと言われ自宅でもやるようにしています。その時、無になるというか思考を止めるという事が出来ず、日頃の行いなどを思い返していました。

 園児の頃も学生時代の時だって、気に食わないと駄々をこねたり、友達と喧嘩をしたら殴ってしまったり、うるさいだの気持ち悪いという自己中心的な考えで虫を殺した事だってありました。思い返すと沢山の罪を犯し、また、人に迷惑をかけている事に気付きました。母親の話によれば、私がまだお腹の中に居た頃、足元が見えずに転びそうになった事があるとも言われました。私は胎児の頃から人に迷惑をかけていたようです。

 それに気付いた後、「陰徳を積む」という言葉を教えてもらいました。なのでもう昔の様に罪を犯す事はやめ、陰徳を積もうと思ったのですが、疑問が浮かびました。

 罪を償えた気になっているだけではないのか、よい事をした気になっている、思いあがっているのではないのかという事です。

 私が犯した罪は消えないと思うと自分に対して嫌悪感を抱きます。愚かな私に生き方を教えてください。様々な僧侶さんのご叱咤、お待ちしております。宜しくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

罪業(ざいごう)減らし功徳(くどく)増やそう

仏教的な罪・悪とは、悩み苦しみを増やす方向性を言います。
悩み苦しみの原因は煩悩です。
したがって、罪とは、煩悩を育てる行いです。
たとえば、殺せば殺すほどに、心には殺し癖がつく。盗めば盗むほど、嘘つけばつくほど…。
このように、悪いことをしたら悪い癖がたまること、またその悪い癖のことを、罪業と言います。
逆に、殺さなければ殺さないほど、殺さない癖がつく。慈しめば慈しむほど、許せば許すほど…。
このように、善いことをしたら善い癖がたまること、またその善い癖のことを、功徳と言います。
悪いカルマが罪業、善いカルマが功徳と言いかえてもいいですね。
過去の事実は消せませんが、過去に染み着いた悪い癖を、善い癖に矯正することはできます。
罪業を減らし功徳を増やすために、仏教が役立ちます。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

その罪を出してみましょう

坐禅は無になるのではありません。具体的な教えも無く、無だ、無だ、と教える禅はウソ800だと思ってください。そういう指導者のものとで坐禅を学んでも無だ無だ無駄無駄ァー。
坐禅とは、この心身の上に縁に触れて全自動でどんどん出てくるおおやけの思いに手を付けずに、放っておくと、私的な思いの取扱いが外れるのです。おそらくその区別もなくただ思いが出てきちゃいけないと大ているでしょう。思いが出ている状態でありながら私的な思いに支配されたり影響されない状態が坐禅です。あなたは無になろうと思いの取り扱いを私的にしている。当然無になれるわけがありません。ちゃんとした指導者の下で坐禅をしなければ考えごとで終わります。
禅宗中国の二祖の慧可大師の元に、僧璨というものが訪ねてきました。
「私は罪深い人間であり、その罪故にらい病にかかってしまった。和尚の力で罪を無くして頂きたく懺悔をお願いしたい」
「では、その罪を消してあげるから、ここに出してみなさい」
「・・?」
僧璨は素直に自分の中に、本当に罪があるのかよくよく自分の心をみつめました。
そして、その罪と言うのは自らが作り出した、思いによる幻であることが分かりました。
「罪は形が無いのでどこにもみあたりません」
かくして僧璨は、はじめて考えの作り出した世界から、実相の世界という事実・現実の真実の世界に、眼が開いたのです。
僧璨はそこで即座に、ものの真実のありように眼が開いたのです。今までは自分の独自の思い方を中心としたものの見方しかしてこなかった。質問者様とまさに同じです。
およそ人間世界に苦しみがあるとすれば、それは自分の考えを中心としたものの見方です。
その考えが沸いて来ても、私的な取扱いをせずに過ごしてみてください。罪も晴れ、自分の思いから縛られないようになりますよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

我は煩悩具足の凡夫なり

亀山純史と申します。私の宗派である浄土真宗の考え方で、少し述べさせてください。
まず、仏教における私たちの在り方として、①「私たちには悟りの可能性である仏性(如来蔵)がある」という見方と、②「私たちは善い行いをしようとしても、真に善い行いをすることなど出来ない煩悩具足の凡夫である」という見方、があります。私の宗派である浄土真宗は、私たちを②の煩悩具足の凡夫であるととらえておりますが、それは決して、善い行いをしなくてもよい、というわけではありません。「善い行いをしようとしても出来ないことに気づくこと」それが重要なのです。「小さな親切、大きなお世話」という言葉があります。人のために良かれと思ってやったことが、実は大きなお世話であったということですが、私がここで問題にしたいのは、自分が取った行動が、他人の大きなお世話になることがあることではなくて、大きなお世話になった時に、私たちは「そんなつもりでやったわけではなかった。」とか「こっちの気持ちも汲みとってもらいたいものだ。」と、自己弁護や相手への攻撃をしがちではないか、ということです。あるいは、「何か相手のためを思ってやったことに対して、何も相手は言ってこない」なんていう場合、ほとんどの人は、「お礼を言わないなんて、なんて非常識な人だ。」と思うのではないでしょうか。つまり、私たちはどんなに良い行いをしようと心掛けても、自己中心的な存在であるのです。そして、そのような私たちに、仏様(阿弥陀如来)は無量の智恵と慈悲 ―「あなたは、どこまでもそのままの状態でいいのだ、私はあなたを決して見捨てず、必ずあなたを救う」という働き― を振り向けてくださっているのです。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、質問者のせいやさんの「罪を償えた気になっているだけではないのか、よい事をした気になっている、思いあがっているのではないのか」というお気持ちは、自分自身の内面を深く洞察しておられる結果であると思います。そして、「私が犯した罪は消えないと思うと自分に対して嫌悪感を抱きます」というお気持ちも併せて、まさに、「我は煩悩具足の凡夫なり」という自覚が出来ているということではないでしょうか。そうだとすれば、「あなたは、どこまでもそのままの状態でいいのだ、私は必ずあなたを救う」と言ってくださる仏様を拝んでいく生き方はどうでしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

質問者からのお礼

願誉浄史様。回答ありがとうございます。仏教を通じて生き方を変えようと思います。ありがとうございました。

亀山純史様。回答ありがとうございます。実家が浄土真宗の檀家だった事もあって“「我は煩悩具足の凡夫なり」という自覚が出来ている”と書いてくださった部分には感動しました。これから浄土真宗について学んでいきたいと思います。

丹下 覚元様。無になると表現した事については語弊がありました。失礼しました。座禅の最中に湧き出る思考に囚われるな、という事をその様に書いた事については反省します。私の解釈が間違えていたようです。すみませんでした。
 さて、“およそ人間世界に苦しみがあるとすれば、それは自分の考えを中心としたものの見方です。
その考えが沸いて来ても、私的な取扱いをせずに過ごしてみてください。罪も晴れ、自分の思いから縛られないようになりますよ。”の部分に感動しました。今まで十何年も思考に縛られていた私が、簡単にそれから解き放たれるとは思えませんが、自分の思考に縛られないように努めていきたいと思います。ありがとうございました。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

一生懸命

私は真面目にコツコツと仕事に取り組んできました。周りの人はバレないように手を抜いたりうまく誤魔化していますが私は性格上できません。このような私の性格から職場で孤立し、最終的には退職ということを繰り返しいます。 真面目にやっていたら誰か見てくれているとよく言われますが本当なのでしょうか。 誰かに見て欲しくて頑張っている訳ではないのですが、どこに行っても私はやって当たり前と思われます。最後に働いた職場もキツイ、仕事の負担が私だけ大きいので改善して欲しいと上司や本社の人に訴え、あなたは必要な人だから2週間待って考えるからと言われましたが、結局放置され、私は人間として扱ってもらえなかったと思い鬱が悪化して診断書を提出して辞めました。鬱が原因で両親とも不仲です。 性格を変えるのは難しいです。私はこのような性格で働けるところはあるのでしょうか? また退職した職場でされた対応がどうしても許せず、謝罪して欲しいと訴えようと労基に相談しています。この行為はお坊さんから見たら愚かな行為でしょうか? 長々と書いて申し訳ございません。 職場で受けた対応が、私は人間として認められてなかったと感じ、今とても生きることが苦しくご相談したかったです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 21
回答数回答 2

人としての正しい生き方

はじめまして いつもお坊さんのような考え方。心掛けるようにしています。 そこで生物は生まれ持って平等ではないこと。広い心を持つ(客観的に見る)ようなことを学びました。 しかし時には自分勝手なことをしている人をみかけます。 人のものを傷つけたり大切なことを貶したり 自分は感謝の心が足りない人たちなのかなとか思います。 よく話すのがあまり良くないかも知れないのですが家畜の事です。 家畜は人に育てられて食べられるために殺されますよね?自分は命をいただくのでいただきますを大事にします。 しかし自分勝手な人はいただきますを心から言っているのか?そんなことを考えます。 そこでお坊さんにききたいのは正しく生きるってのはどのようなことなのか?ってことです。 自分らしく。周りの事を大事に。感謝の心。 実は簡単そうで難しいようなことを大事に大事にすることを自分は心掛けています。 しかしそれが正しいことか。よくわかりません。 悪い。正しい。これは自分がどう捉えるかで変わると思います。 たとえばまた動物の話しになるのですが狩りをして他の動物を食べた。これは食べられた側からしたら悪になります。しかし食べる側。狩りをした動物にお腹がすいた子どもがいたら?食べる側からしたら正しいことになると思います。 なので自分で悪い正しい。決めることはわかっていますがお坊さんの正しい生き方。正しいと言いますが人に敬われるような生き方。そして自分は正しいのか。 そのようなことをお坊さんに聞きたいです。 長くなってしまいましたがどうか意見を聞かせてください。お願いします。

有り難し有り難し 25
回答数回答 2

言い負かしたくて仕方がない

私はとにかく勝ち気な性格で、明らかに相手の言動が間違っていると思ったら相手が降参するまで徹底的に議論してしまいます。 ただし途中で自分が間違えていると気づいた時は素直に負けを認めますし、常に客観的に自分を見つめた上で理性的に議論をしているつもりです。 仕事上間違えた考えのまま進めてもらうと困る時など、確実に議論が必要になる時もあります。 しかし家族や恋人との喧嘩など、最終目標を「どちらが正しいか決めること」ではなく「これから仲良くやっていくこと」とする時でも、どうしても議論を仕掛けることをやめられません。 とにかく「言い負かしてやりたい」という気持ちが捨てられないのです。 相手に「私が正しい」ということを認めさせたくてたまらないのです。 おそらく学生時代ディベートをする機会が多かったことも一因だと思います。勝つことを目標にするクセが抜けないのです。 また、色々な事に敏感すぎるのだとも思います。些細なことでも目ざとく見つけてひっぱり出してすぐに争点にしてしまうのです。 「争い事は嫌な感情しか産まないし、とりあえずこの場は丸く収めましょう」という考え方は十分理解できますし、大人な対応ができてうらやましいなと思います。そうできたらいいなと心の底から思っているのですが、どうしてもモヤモヤが解消されないのが嫌なのです。 どうすればこの勝ち気な性格を和らげ、穏やかな人間関係を築くことができるのでしょうか? ご回答よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 48
回答数回答 2

善き心を保つには?

こんばんは。私の悩みを聞いて頂ければと思います。 日々の生活の中で、自分の欲望や煩悩に知らず知らずのうちに支配されていて、善き行いをすることができません。 例を出すと、路上を歩いている時に、目の前でコーヒーをこぼし手などが汚れている方がいるのに人目が気になって、そのまま通り過ぎてしまう。 人に感謝や想いを伝えたい時に、自分をさらけ出すのが恥ずかしくなって、正直な気持ちを伝えることができない。 また、過ぎ去った出来事に対しても「ああ、あの時こうすればあの人はもっと幸せだったのでは」などとその時点では気付かずに去ったことをクヨクヨ考えてしまいます。 私は「自分の想い」から生まれる行動が「目の前の人」を幸せにして、「世界を前に進める」。そして、それが違った形でも自分に返ってくることがあれば幸せだと考えてます。 小さな行動からなのでしょうが、普段の自分にその意識が浸透してきません。これは、腹の底ではそのように考えてないのではないかとも思ってしまいます。 「羞恥心を抑える術」、「気持ちを察するアンテナの感度を高める術」の心構えや考え方等、そしてそれを保つ方法が有れば御教示お願いします。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

今を生きることができない

久しぶりにhasunohaに来ました。自分の質問を遡ってみると2年前から同じようなことで悩んでいるのだなあーと思いました。いつも丁寧なお返事をありがとうございます。 改めて自分の悩みを読み返してみて、今ではこういう風に考えられてるなあと、自分のことながら成長しているなあと思います。 今までは"家族がバラバラになるかもしれない。私がなんとかしなきゃ。みんなを助けなきゃ。"と思いすぎていて、自分自身が辛くなりすぎていましたが、今は"家族といえど別の人間なのだから色んな考えがある。別に連絡を取り合わないわけではないけどいい距離感でいよう"と思えるようになりました。 弟というと相変わらず良い時はよくて悪い時は悪くて、なんだかなあという感じみたいですが、弟とも距離を保っている感じです。 でもそうやっていいときはいい悪い時は悪いのずっと繰り返しなので、状態が良い時でも"あーまた悪くなるんだろうなあ"と思って必要以上に先のことを考えてビクビクしてしまいます。 また日常のありとあらゆる場面で昔の辛かったことを思い出し、一種のフラッシュバックのような状態に陥りすごく辛くなります。 そういうことが続いてつくづく今を生きることが出来てないなあと思うのです。 将来への不安と過去の呪縛にとらわれて、ビクビクビクビクしながら毎日を過ごしています。 今考えてもどうにもならないことを考えてもどうしようもないことはわかっていますが、どうしても考えてしまいます。 考え方の癖なのでしょうが、なかなか直らなくて、これから先も常にありとあらゆることに囚われながら何時でも不安に駆られる時間を過ごすのかと思うと、さらに将来が辛くなります。 どうしていけば良いのでしょう。 拙い文章ですみませんが、お返事いただけたら幸いです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

どうしたらいいですか。

私は、なるべくというより極力虫を逃がしたり助けたりします。 ですが・・、逆に死なせてしまう事も多々あり、自分が助けようとして逆に裏目に出てしまう事もあります。 それは、人でも一緒です。自分の自己満足なのかそれとも自分の性格なのか昔から人には優しくしています。ですが逆にそれが裏目に出て辛い事になったり、相手を傷つけてしまう事もあります。 話は戻りますが、虫さんは苦手です。苦手だけどでも自分のお節介が虫さんたちの為になっているかどうかは分かりません。 不意の事故で死なせてしまう事もあります。殺意は全くありません。 ただ、自分のお節介な優しさで勝手にやっているだけですが、 別の質問サイト等で助けてやりたいですと質問をいうと、答えとして、自然の摂理だから手を出すのはよくないと言われます。 ですが、困っている人がいたら手を貸すのは、当たり前とまでは言いませんが、放置するのはよくないとは思っています。 ただ、自分のこの行いが行き過ぎて、ストレスになっています。 なので、自分はどうしたらいいですか・・、異常に敏感になっているのも 分かっています。 お坊さん的には私のやってる事は偽善ですか、それともいい事をしていると思いますか? 追記:虫さんが死んでいた時に土に埋めたりする行為は罰当たりですか?(これも質問サイトで言われたことです) 虫さんの事で近所の方にご迷惑をかけたこともあります。やりすぎにもほどほどにしたいとは思いますが、辞められません・・。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る