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夫が嫌でたまらない

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有り難し有り難し 64

こんにちは。
私には2つ年下の旦那がいます。
3年前に出会い、付き合って3ヶ月で妊娠がわかり、できちゃった結婚をしました。

子どもは可愛くて仕方ありません。
子どもを授かったこと、それは旦那にはとても感謝をしています。
ですが、旦那に対してありがたいと思うのはそれだけです。

顔も見たくない。
声も聞きたくない。
触れられたくない。
いないと嬉しい。
旦那の休みが億劫。

なぜこうなってしまったのか。
決定的だったのは、夫婦喧嘩の時に子どものことをどうでもいいというような発言をしたことです。耳を疑いました。
本人は、勢いで出てしまった。本心ではない。
と謝ってきましたが、許せません。
この言葉だけは本当に許すことができないのです。一気に愛情がなくなっていきました。
普段も子どものことより自分の欲を優先する。
私に対しての口調もキツイ。
私生活がだらしない。汚い。発言もいい加減。
私の話もろくに聞いていない。
子育ての協力もしない。でも邪魔はする。
義実家も問題だらけで、関わりたくありません。

仕事だけは真面目です。

このクソ旦那と一生添い遂げる自信など微塵もありません。

この気持ちが滲み出ているのか、私も旦那に対して冷たくしてしまいます。
でも旦那は私のことを好きだと言ってくれます。
まだ子どもが小さいので離婚をする勇気もありません。

夫婦の不仲で一番かわいそうなのは子どもなので、できるだけ仲良くしようと努力はしているつもりですが、日頃の積み重ねで私も我慢の限界で爆発して喧嘩になってしまいます。

喧嘩をしないよう会話を避けたりできる限り近寄らないようにしていても、かまってほしいのかわざと怒らせるようなこともしてきます。
「まま〜、まま〜」と甘えた声で呼ばれるのもうんざりします。
てめぇの母親じゃねぇよ!と心の中で叫んでます。

この気持ちをどこにぶつけたらよいのかわからず、こちらに書かせていただきました。
旦那のことをこんな風に思ってしまう私もクソ嫁だということも重々承知しております。

ただのよくある主婦の愚痴かもしれませんが、なにかこの気持ちが楽になるようなお言葉が頂ければ幸いです。

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

言葉に過剰反応し過ぎないことです

こんにちはkusoボウズの丹下どすえ。kuso…空相、空想の意か。
まず離婚に向けて着々と準備を致しましょう。
離婚バイブル「婦人公論」を買えば離婚の決意はすぐに出来ます。
そして、自分だけは常に正しい、と思い続けていってください。
夫より私は正しい。子供より私は正しい。
世界で私だけが正しい。このKUSOボウズよりも私が正しい。
すると、自分だけが正しいという世界の中心でエゴを叫ぶ女になれます。
そりゃ誰でも自分だけが正しい世界はとても楽です。
ですが、それは必ず他人との衝突が生じます。
私の正義・ルールをおびやかす人間の全てが邪魔になります。
あなたがご主人の言葉に過剰に反応して「ひどい」「あんまりだ」「ゆるせない」と思うのは勝手ですが、その行為の本質をみてください。
あなたは「私はただしい」と叫んでいるだけなのです。
・一緒の子供をかわいがってもらいたかった。
・もっと優しく接してもらいたい。
・もっと理想的夫であってほしい。
これはご主人も独自のルールを持っています。
・もっと子供より自分を気遣ってほしい
・もっと会社で受けた傷をいやしてほしい
・もっと恋人時代のようにやさしくしてほしい など
お互いがお互いそれぞれ欲するところがあって、それが各自で自分の正義・ルールになって、ぶつかり合っているのです。その言葉がたまたま「暴圧的になった」だけ。
あなたがKUSOダンナ!とここで記されたのも、本質的には同じではないでしょうか。
子供はカワイイ、私はカワイイ。旦那だけはKUSO。 旦那(´-`).。oO💩かい。
アタシは言葉にしていないから良い。許される。OK。そもそも旦那がそんな事を言わなければそんな事を想わなかった。そりゃあんたのルール、あなただけの正義ですたい。
御自覚はないでしょうが、人間マイルールを知らずの内に沢山持ちます。
それが多ければ多いほど起爆剤になる。そのルールを壊された時に怒りが生ずるからです。
怒りは夫婦間、親子間を壊し、そしてあなた自身を老化させます。
あの時の言葉に過剰に意味を添えてしまった自分を思い出しましょう。
私もバカだのアホだの言われますが、傷つかないようにしています。
傷つかないためにはそこに自分のネガティブイメージを添えないこと。
あなたは夫の言葉に傷ついたのではなく、夫の言葉にネガティブイメージを添え過ぎたのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
自分のルールが全て。
自分が正しい。
確かにそう思っていました。
そして、それが原因で怒りが生じているということにも気づきました。

ですが、そうおっしゃっていただいても、尚、夫が正しいとはどうしても思えないのです。
正しいか、正しくないか。
白か黒か。

そういう判断基準になってしまっているということは昔、鬱を患った時から変われていないなと今回痛感しました。

離婚を目標にがんばります。
ありがとうございました。

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