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御朱印帳 神社とお寺で分けるべき?

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私は昔から神社仏閣が好きで、友人にも同じような方が多いです。
先日友人が、自分の集めている御朱印帳を見せてくれました。
神社仏閣にお参りした際は、いただいているのだとの事でした。
私も感銘を受け、御朱印帳集めをはじめてみたいと思うようになりました。

そこで、御朱印帳について質問があります。

神社とお寺とで分けた方が良いのでしょうか?
ネットなどで調べてみると、私は気にせず1冊にまとめているという方もいらっしゃれば
神社で(またはお寺で)、お寺(神社)の御朱印のある御朱印帳を出したら怒られた、断られた、とも意見もあり、どのようにするのが良いか迷っています。
お坊さんの意見を聞きたいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

日本の宗教史を紐解くと、寺院にも神社にも納経してます

 御朱印の起源は江戸時代の納経帳にありますが、さらに遡ると六十六部廻国聖の「納経請取状(のうきょううけとりじょう)」にたどりつきます。これは、歴史的な経過や変遷が資料として残っていることから明らかです。
 六十六部廻国聖とは、日本全国六十六箇国を巡礼し、1国1カ所の霊場に法華経を1部ずつ納める宗教者です。法華経を納経するからと言って、納経する霊場がすべて寺院だったという訳ではなかったようですし、有名な神社が霊場とされ、納経された例は多いようです。歴史研究者が或る六十六カ国巡礼の記録をもとに表に整理した論文がネットに在りましたので、ご参照ください。file:///C:/Users/tohhr/Downloads/AN00038281_86_77_114.pdf

 今の時代ですと、「神社に納経」と聞くと違和感を感じる方も多いかもしれませんが、日本の宗教の歴史に於いては極めて自然な行為でした。御朱印帳の起源は納経帳と言われていますが、そういう起源を考えると神社と寺院の区別に拘る必要は無いと思います。とうぞ心を込めて参拝し佛を礼し神を敬って下さい。

追伸 論文のURLが正確でなかったようです。すみません。
 論文のタイトルは稲田道彦「日本廻国六十六部と四国遍路 : 浄慶の納経帳から 」です。
  香川大学経済論叢 第86巻 第2号 に収められています。
ファイル「AN00038281_86_77_114.pdf ( 17.0 MB ) 」
URLは「tp://shark.lib.kagawa-u.ac.jp/kuir/metadata/27561 」です。

霊場と呼ばれる神社や寺院に写経を納めた証として、納経帳に朱印を押してもらったという歴史を踏まえれば、社寺を区別する必要は無いと思います。今日では、参拝した記念に朱印を押してもらう「参拝帳」という意味合いが強くなっているのも事実です。神社と寺院とを区別して集めるのは自由ですが、他者に強制するほどのことではないと私は思います。

    

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私は気にしませんが

 こんにちは。

 ご朱印は、もともと納経(お寺に写経を納める事)の証として授与されたものです。
 ですので、本来はお寺が朱印のルーツといえるでしょう。
 ご朱印の風習が定着したのは江戸時代と思われます。この頃は「神仏習合」の考えがあり、当時の人はあまり神社とお寺を区別せず、神社にもお経を納めてご朱印を頂いていたのかもしれません。

 しかし、神社とお寺が切り離された現在、やっぱりお経を納めるならお寺にって思いますよね。そうなるとご朱印を発行するのもお寺だけという理屈になりますね。神社は「参拝記念」の意味合いになってくるような気がします。そういう意味で怒られたり断られたりという話があるのかもしれません。

 私は、お寺と神社の朱印が混ざっていても特に問題ないと思いますし、神社のご朱印があるからといってご朱印を書くのを断ることはしません。
 しかし、断られたお寺や神社がある、との話があるようですので、トラブルを避けるためにも別にした方がいいかもしれませんね。

 ご朱印に関するご質問を頂いた時には必ずこの話を書きますので、気を悪くせずお読みいただきたいですが、ご朱印はスタンプラリーではありません。納経はしないにしても、せめてきちんとご本尊様に手を合わせてから、ご朱印を頂くようにしましょう。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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分けられた方がいいでしょう。

ちなみに、日蓮宗では、御首題帳(ごしゅだいちょう)といい、お題目(南無妙法蓮華経)をお書きします。御朱印帳には書かれない日蓮宗寺院が多いと思います。
ゆえに分けられた方がいいのかもしれません。

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日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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質問者からのお礼

こんにちは。
大変勉強になりました。
お寺と神社と分けて御朱印帳を用意して、失礼のないようにお参りしたいと思います。
ありがとうございました。

御首題帳、御朱印の起源などについても大変勉強になりました。
ありがとうございます。
せっかくお教え頂きましたが、論文はパソコンでの操作がわからず見れませんでした。
お寺で御朱印を断られたという方のエピソードは、もしかしたらその方の参拝したお寺が日蓮宗で、差し出したものが御首題帳では無かったからなのでしょうか。
お坊さん方から頂いたアドバイスを元に考えると、神社とお寺とで分けるのではなく、御朱印帳と御首題帳を用意したら良いのかな?と思いました。
とはいえまだ勉強不足を感じるので、どのようにするかもう少し考えてみようと思います。

「お寺全般」問答一覧

お寺でおじさんからナンパ

先日、厄除け祈願のためお寺へ行きました。そこは初めて行く場所でとても楽しみにしておりました。 お護摩まで時間があった為、境内を散策していると、親ほどの年齢の男性に、写真を撮って欲しいと言われたので、写真を撮りスマホを返すと、地元の人ですか?と聞かれたので違います。と答えるような軽い会話をしました。するとその男性はよかったらお食事でもと誘ってきました。断ると足早に去っていき、それ以上は何もなかったのですが、20〜30は歳の離れた男性からお寺という場所でそのような目で見られたことがすごくショックで不快な気持ちになり、とても嫌な思いをしました。 思い返してみれば、写真を撮って欲しいにも関わらず、すぐにスマホが出てこなかった事と、私がお賽銭をいれる直前に声をかけてきたところからそもそもナンパ目的な点とお参りを邪魔された点にとても腹が立ってきました。 その後、無事にお護摩を終え護摩札を受け取りましたが、モヤモヤが消えません。 境内でそのような事(ナンパ)をする方をお寺の方々はどう思っているのか気になり、また嫌な思いをしたお寺は自分には合わないのかと思い相談させていただきました。

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ご先祖の菩提寺を調べたいのですが

自分の先祖の菩提寺が知りたいです。 過去帳で原戸籍以前のご先祖にどんな人がいたのか知ったり、当時何があったかわかる範囲で調べたいと思っております。 今まで、私の祖父は父の顔を見る前に亡くなったと聞かされており父方のご先祖に関する情報はほとんどありませんでした。 父本人も、祖母方の親戚筋ももうおりません。 戸籍の取り寄せで天保年間生まれの曽祖父まで辿れたのですが、それより昔の人のことや歴史上何があったか知るには菩提寺の過去帳を調べて頂いたり口伝で伝わっていることを教えて頂くことだと聞きました。 宗派もわからないのですが、ご先祖の本籍地の周辺のお寺にしらみつぶしにお手紙を書くしかないでしょうか。 現在あるお寺が新しいと意味がないし、逆にお寺がなくなっていることも考えられますよね? アタリをつけるにはどうするのがいちばんよいのでしょうか? ちなみに、途中で分家の際に苗字が変わっているものの、いちばん古い戸籍の戸主の父母の苗字もあり、「ご先祖さまはどこかの村長さんだった」とも聞いた覚えがあるので、過去帳や郷土資料に名前が残っている可能性は大きいと思います。 アドバイスが頂ければ幸いです。

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hasunohaが繋いでくれた幸せの縁

いつもありがとうございます。母の命日にお寺の近くで怪我をし門前の治療院で出会ったご縁、おかげさまで順調です。 その後、異動先でも彼は健気でした。もちろん治療院全体の患者に対する姿勢でもありましょうが、ちょっとした気遣いで人としての器を広げていく仕事環境や切磋琢磨している姿は、とても清々しく素敵でした。 気丈に振る舞いながらも新天地で生まれた弱音をこぼしてくれたこと、カーテンの向こうで波に揉まれている様子、三兄弟の次男らしく、周りに可愛がられながら、彼なりに努力している姿がありました。 帰り際、先輩からビシッと突っ込みがあった時に思わず「すみませんすみません!私の方がウッカリな所があって…」と、異動前にあったエピソード「私が予約を間違えた時に、彼が怒ったこと」や、「山程お客様に頂いた甘栗をそのまま手技療法の治療家に渡すわけにはいかないと、硬い皮をむいて、人数分差し入れた話」をこぼしました。あり過ぎて皮付きのまま渡した分は「僕と〇〇先生で、食べてましたよ」など先輩方には冗談として笑ってもらえたような記憶です。 去年の春まで介護支援記録を書いていたことから、一言一言を記し事実と感情を客観的に振り返る習慣が自分の中に未だにあるのですが、改めて今、彼の言葉の奥にある優しさや気遣い=愛情とその「真逆の言葉との違い」について鮮明になる今日この頃です。 彼が望むものは何だろうか…ずっと考えました。 きっと「自分が尽くせる存在、自分の好意を認めてくれる人」であり、自然と出る優しさ=自分の存在価値を肯定されることで、安心や落ち着き、自信に繋がるのかと思いました。 まだまだ経験を積んでいる段階なので「失敗や弱点などのミスも受けとめてくれる存在」「必要に応じてより良くなるためのアドバイスや、別の視点からヒントをくれる人」が何より有難く映るのかとも…チームそのものが成長したい気持ちに満ちた風土なので、陰からありのままを包み込んで「疲れた時に休ませてくれる存在」がいれば「ひとりでにまた前進していく」そんな風に映りました。そしてそれは、私がかつて施術者として探求、観じていた理想と一致しました。 二人共「精神的な繋がり、思いやり」があればそれぞれが日常の目標・自己実現に向かって頑張れる。そんな絆に恵まれたこと、幸せに結びつくご縁をhasunohaが繋いでくれたことに深謝の限りです。

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 いつもお世話になっております。  ここ数週間の間、寺社で立て続けに不審者に遭遇しています。 見つめられる、近寄ってこられる…  私は、色々な寺社で男性信者から性的な前兆事案に遭っています。 「前兆事案」とは、刑事用語で、「犯罪には至らないが、やったら おまわりさんに注意される行為」のことです。  たとえば、見つめる、声掛け、後をつける、触られるなどです。 もっと厳密な意味があるのでしょうが、私の解釈はこのような感じです。  近所のお寺にウォーキングに行っていたのですが、このお寺では 2回ほど不審者に見つめられました。他にも様々な寺社で不審者に 遭っていることをおまわりさんに告げると、 「辛いかもしれないけど、お寺にはもう行かないほうがいい」 と言われてしまいました。  仲良くしているおばあちゃんにも、 「なんであんたは、変な奴が来るってわかってる所に行くんだ。 大馬鹿三太郎のやることだよ」 と言われてしまいました。  結論、「お寺好きの友達と予定を合わせて一緒に行く」という ことになりましたが、友達は医療系専門学校に通っていて、多忙です。  おばあちゃんは、 「なんとか就職できれば」 と言ってくれたのですが、 「まだ先生から、訓練すら段階的にレベルを上げて、という話で、 就職なんてまだ先」 と言われたことを伝えました。  悪しき野心を抱いたケダモノたちのせいでお参りが できなくなってしまうのは、悲しいし悔しいです。  しかし、うちには浄土宗の仏壇があるので、それを大事にして いればいいのでしょうか。でも、私は寺社のあの雰囲気が好きです。  行けなくなるのは、本当に悔しいです。

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田舎にあるお寺の娘です。 現在、父が住職をしていますが、現在跡継ぎ問題に直面しています。 うちは三姉妹で、両親は、いままでも私たち姉妹に寺を継ぐよう強く言ったことはなく、今回、両親が高齢になってきていることもあり、このタイミングでと思い、私から今後のお寺について相談?した際にも、「わたしたちが幸せになるのが一番だから」と、寺を閉じることも視野に入れて考えているようです。ですが、やはり話をしていると祖父母や代々寺を守ってきたご先祖様に申し訳ない、悲しいという気持ちも汲み取れます。お寺を閉じるという選択は、私にとっても心苦しいものでもあります。ですが、自分自身が出家して尼僧になり、後を継ぐという覚悟も決まっているわけではありません。。 ちなみに次女は結婚して家を出ており、長女は何度かお見合いもしましたがいままでは良いご縁がありませんでした。わたしは現在、一般の方と5年ほどお付き合いしており結婚も視野に入れていますが、私以外に望みがなく、私がお寺の後継者の方とご縁があれば、お別れすることも考えています。 現在の選択肢としては、 1.姉妹の誰かがうちのお寺を継いでくれるどなたかと結婚する 2.姉妹の誰かが出家し継ぐ 3.お寺を終う 上記のいずれかなのかと思います。 跡継ぎ紹介システムなど、検索してみましたが、よくわからず。。 また、父が言うにはうちのお寺は過疎地域にあり、経済的にもここを継ぎたいという人を見つけるのは難しいだろうと。。 確かにお寺だけでは収入は十分ではなく両親は他の仕事もしています。しかしお寺自体は歴史もあり、このまま閉じてしまうのは悲しいです。今後お寺を続けていくにしても、なにかお寺自体も盛り上げていく新しいやり方が必要なのかなと思います。 似たような境遇の方のお話や、跡継ぎ問題、過疎地域にあるお寺の存続問題など関してなにかアドバイスのある方がいらっしゃれば、お答えいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

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所属寺院は…

はじめまして、よろしくお願いします。 ある別院さんの納骨堂でお世話になっています。 今回、使用者名義の母が病気になりいろいろな事が難しくなったので、使用承継のお願いをしました。 書類と説明をしていただいたのですが、その際“所属寺の証明欄に必ずご記入いただく様お願いします”と言われました。 私は幼い頃からこちらの別院さんしかお参りしていないので、他にはない事や今は県外に住んでいる事を伝えると“決まりですので、どこか探してもらえませんか”と言われるばかりでした。 母が手続きをした時はどうしたのかと書類を確認していただいた所、“お母様も同じ様に言われたようで、その時特別に承諾したようですね。ですが今回は決まりですのでお願いします。こちらのお寺の名前を出してもらえばわかってらっしゃるので大体のお寺で記入してもらえるので。”と言われました。 今住んでいる県のお寺さんで探してみたのですが、夫の転勤が多く、居住地が定まらないのでご記入いただけませんでした。 書類と説明をしていただいたお寺さんの“うちのお寺の名前を…”の言葉を信じて、そのお寺さんもある県でも問い合わせしたのですが、“何日か行事に通っていただかないと記入する事は難しいですね”と言われてしました。 私がお願いにうかがうお寺さん選びが悪いのでしょうか。本当に困り果てています。 どうすれば書類に記入していただけるのでしょうか。 どうかお教えいただけませんでしょうか。 よろしくお願いします。

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檀家でない者が法要をお願いするのは

実家は真宗大谷派、私自身は現在実家から新幹線の距離の街に住んでおります。 父の死後、母と兄の私や家族に対する態度の豹変、虚言による中傷の為実家とは絶縁しています。 今年の夏、亡父の七回忌ですが、今住んでいる街で自分達だけの法要をしたいと思っております。ここ1年ほど近所の日蓮宗のお寺で写経会や行事に参加しており、事情を話しましたらご住職より快諾頂きました。 地方も宗派も違うので法要のお布施の額も全く分からず、街の仏具店で尋ねましたら、そもそも檀家でもないのに法要を行うのはその寺の檀家さんからすると義務を果たさず美味しいとこ取りともいえる、かなり図々しいことなのでお布施はこの程度はするべき、と実家の菩提寺の法要のお布施の2.5倍ほどの額を提示されました。そこまでは厳しいので多少躊躇しています。 お寺の写経会は本当にいいの?というくらいお金がかからないし、誘われるまま行事にも参加していましたが、やはり檀家さんからすると余所者がお寺を利用しているという認識もありかな、と思っております。 また、宗派も違うのに法要をお願いするのは常識外れなのではと今になって悶々としています。 住職さんは快く受けてくださいましたが、なら一層お布施くらいは高額納めるべきなのか? そして檀家でもない者が気軽にお寺を利用して良いものか。 助言くだされば有り難く存じます。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ