hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

お浄土と天国

回答数回答 2
有り難し有り難し 38

仏教でいう「お浄土と地獄」。キリスト教の「天国と地獄」
お浄土と天国、呼び名が違うだけで、同じ所だと思いますか?
地獄もまた、同じ場所だと思いますか?

私の娘は仏教で供養して頂いていますが、
もしも、私がこの先、
仏様を信じられなくなって、違う宗教を信じたら
お坊さんは、私が死んでも、娘には会えなくなると思いますか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どの「物語」に生きたいと願い、「今」どう出会うか

これまでのご相談拝読させていただきました。

キリスト教の説く「天国」と「地獄」がどのようなものか、私はキリスト教を学んでもいないし信仰もしていないのでわかりません。

どんな宗教であれ「死後」を説きます。むしろ「死後」を説くからこその宗教です。それぞれの宗教に様々な「物語」があります。

そしてその「死後」とは今生きる私たちにとってはどこまでもいっても「未来」です。
未来のことはわかりません。ですからどの宗教が説く「死後」の「物語」を信じようともその信心は「推測」であり「希望」にしか過ぎないのかもません。

しかし、その「物語」によって「今」救われるなら、その物語を信ずることができます。それが本当の「信仰」です。信仰により、その物語のようにありたいと「願い」今を生きる事ができます。

では、仏教においてはどうか。

仏教においては私がどんなに仏様のことを信じられなくとも、仏様の方が私を信じてくださっています。むしろ私を信じ、必ず救うぞと離さないたらきを「仏」と称しています。

そして仏教の説く「浄土」という「物語」はみなともに浄土に生まれ会うことができると説きます。
私もその浄土に生まれるものとなりたいという「願い」の信仰の歩みは、大切な故人と私を「今」出遇わせてくれます。

それは私が思うような、夢枕に立ってくれるとか、霊媒師に降り立ってくれるとかいう私の都合に立ち、私を慰めてくれるような出会いではありません。

そいう私の都合は超えて、いついかなる時も「真実のはたらき」となって私と共にある出会いです。嬉しい時は共に喜び、寂しい時は共に悲しむ「ありのまま」の「真実」。その「真実のはたらき」を仏と呼び、大切な方もその仏の一人と成られたのだという出会いです。

ですからみのり様が「今」、仏教以外の教えで救われ、娘さんの真実の姿に出会っていけるのなら安心してその教えを信仰してください。
仏様が信じられないのは仏様が悪いのではなく、信じることも信じさせることもできない私たち僧侶に責任があるのでしょう。しかし仏はそんな私たちをも信じてくださってるのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
このお坊さんを応援する

名前が違うだけで同じものです。明治の大徳、山崎弁栄上人は、浄土を「美天国」と表現されています。

{{count}}
有り難し
おきもち

遠藤喨及
僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

吉武さま、丁寧なご回答をありがとうございました。
私にとっての救い、それは再び娘に会って、抱きしめることしかないのです。
そんなことは、生きている限りできない事です。
死んでも会えるかどうか、本当はわからない。それはあまりにも恐ろしく悲しい事。
あの世はある、きっとまた会える。そう信じることが
今の生きる支えです。他にはなんにもありません。
仏様のことを好きになれそうなご回答、感謝いたします。

遠藤さま、簡潔なご回答をありがとうございました。
どの宗教を信じようと、逝く先は同じなのですね。
またいつか、娘と会える日まで、なんとか生きないといけませんね。

「仏教宗派について」問答一覧

僕に合っている宗派は?

今のところは実家は浄土真宗、自分は浄土宗の信者を自称していますが、なかなか僕の婚活がうまくいかない事を見かねた両親が近所の占い師に相談したら、高野山で祈祷してもらえと言われたためにこのお盆休みに高野山に参拝したところ、今まであんまり興味なかった浄土門以外の仏教も良いもんだなあという気になってしまいました。 そこで深く考えると、この現世を穢土とみなして、自分の考え・善行を自力と呼んで否定する法然上人以降の浄土教の教義に染まっているために、よく指摘される周りとの感覚のズレが生じてしまっているのではないかとも思えてきたのです。もっと今生きているこの世を肯定的に捉える教えでも良いんじゃないかと。 また、もし首尾よく結婚できたとしたら今回祈祷してもらった愛染明王さまも僕の中で特別な仏様になるでしょう。そうするとますます専修念仏とは遠ざかりますね……。 ただ、慣れ親しんできた顕教を捨てて密教100%の真言宗まで振り切る勇気はないので、新たに選ぶとしたら空也・源信流の浄土教を伝手として天台宗かなと思っています。僕が一番信仰しているのは善光寺如来で、善光寺は浄土宗と天台宗の共同管理でもあることなので。 ただ、天台宗は称名念仏ではなく観想念仏だと言われますがそれをやり切る自信はないし、朝題目と言われても某新興宗教団体へのアレルギーから南無妙法蓮華経と毎日唱えることには少し抵抗を感じます。こんな気持ちで天台宗に行くべきではないでしょうか? 天台真盛宗というのもあってそこは南無阿弥陀仏の念仏メインだそうですが、ここでも南無妙法蓮華経は唱えないといけないでしょうか?(明智光秀が好きなのでその点は西教寺も良いなと思います) なんだかとりとめもなくなってしまいましたが、早い話が来世の往生だけを期待する専修念仏の枠組内には居られず、現世でもいろんな菩薩・明王・天・神道の神々に頼んで幸せに生きたいけど主尊としては今まで通り阿弥陀さまに居てほしいし、さりとて職業を持つ在家の身なのであまり観想念仏のような難しい行を求められても困る……というわがままな悩みです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

一生の信仰にする宗派を決めたい

私は、夫婦ともども地方都市より都心に出てきて居を構え、菩提寺も信徒としてお世話になっているお寺もありません。 夫の実家は新興宗教信者の曽祖父から独立してできた無宗教の一家で、私の実家も引っ越しの際に墓じまいをしてお寺との関わりがないような状況です。 私の父方と母方の祖父母は浄土真宗と日蓮宗の檀家だったと思いますが、信心深い祖父母の家にいることが多かった私は、仏壇に手を合わせ読経して育ち、結婚して家に入る時には婚家の信仰するお寺のお勤めをするものだと思っていました。 ところが、夫の家が無宗教と聞いて愕然とし、結婚後、数年は我慢してきたのですが…最近になって自分の信仰の場を持ちたいと強く思うようになりました。 上記のことから、これから先、一生の信仰として信徒になり、励めるお寺を探しています。 ところが、コロナ禍になってからというもの、門が開いていてもお掃除の方しかおられないお寺も多く、法話会や写経会が中止となっているところも多々あって、僧侶のお人柄などに触れる機会が少なくなっている気がします。 このような中で自分に合った信仰の場を探すにはどうしたら良いでしょうか。 なお、宗派は浄土真宗、日蓮宗だけに絞ろうとは考えておりません。 住まいの近くには曹洞宗や日蓮宗が多いようですが、隣の区あたりまで範囲を広げて探すつもりでおります。 また、コロナ禍で外出が難しかった折にさまざまな宗派の教義や勤行等調べてみたのですが、どれもとても素晴らしく感じ、なお迷いが深くなってしまい困っています…。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ