仏壇と写真
私は父が18才の時に亡くなり母と同居をしているので家に先祖の仏壇があります。
仏壇は、母の部屋にあり母が毎日仏壇の花の水を替えるたりお茶をあげたりしています。
私も仏壇に手を合わせたいと思いますが母の部屋は散らかっていて部屋に入るのを嫌がるので居ない時などこっそり手を合わせたりしています。
後、玄関に父の写真と旦那さんの大好きな亡くなった叔父さんの写真を飾ってありその写真に話しかけたりします。
旦那さんや子ども達が学校へ行く時によく見守って下さい。とお願いしてしまうのですが、仏様にお願いをするものではないと聞いた事あるような…
仏様には報告などだけでお願いなどしてはいけませんか?
手を合わせる時にすると良いことなどありますか?
私は、父におんあぼきゃべいろしゃのまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうんと唱えるといいと教わった想い出があり息子君が学校行く後ろ姿を見ながら唱えて悪い事が起きないといいなぁ…と思っています。
本当は、どういう意味があるのでしょうか?
やっぱり仏壇の前でないと気持ちは届きませんか意味はありませんか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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やり方は色々あります
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。出来るだけのことは出来る限り丁寧にやり、あとは神仏にお任せし、心穏やかになるようになりましょうということです。
お子さまが家にいらっしゃる間のことはさくら様の領分として出来るだけのことをしてあげましょう。交通ルールであるとか、人付き合いのことも教えてあげ、宿題も一緒に見れるなら見てあげるのが望ましいです。でも、いざ家から送り出してあげた後のことは、仏様ご先祖さま、どうぞ見守って下さいで良いと思いますよ。
「仏様にお願いをするものではない」というのは人事の部分までお願いするものではないということです。人事の領分は人事の領分。天命の領分は天命の領分です。
仏壇の前でなけれなならないというわけではありません。どこでも、いつでも結構です。もしそれでも心に引っ掛かりがあるようでしたら、さり気ない場所に小さな仏さまか観音さま、あるいはお地蔵さまかどなたかをお祀りしてはいかがでしょうか。特に可愛らしい系の像や絵なら違和感なくごく自然に祀れます。お仏壇を専有する方も専有する方ですが、だからと言って嫌がる人の部屋にこっそり入るのもいかがなものかと思います。何より、ご自身が心穏やかに拝みにくいのではないでしょうか。
さて、お祈りで大切なのは誓願(せいがん)です。お祈りはただの神頼みだと思っているお坊さんもよくいますが、それは単純に不勉強です。例えば仏さまに「家族みんなが健康でありますように」とお祈りしたとします。やっぱり心から仏さまにお祈りした時、自分の心が晴れやかになるんですよね。その晴れやかで混じりっ気のない、清らかな心で物事に当たるのが大切です。つまり「仏さま、天命の部分はどうぞよろしくお願いします。でも、人事の部分は私しっかり頑張りますからどうぞ見守って下さいね」というように、天命の部分と同時に人事の部分でも願いを立てるわけです。
そうした時、お祈りが今日を、明日を生きる活力になるわけです。
おんあぼぎゃべいろしゃのう…は光明真言(こうみょうしんごん)ですね。真言宗さんが特に重視なさるお唱えごとですが、お遍路さんのような霊場巡りとかでもよくお唱えされますので、宗派を超えて知っている人は知っています。内容はザックリ書くと大日如来さま達5人の仏さまにどうぞ見守って下さいとお願いするものです。
仏壇の前じゃなくても大丈夫ですよ
家内安全等を、死者や、諸仏に祈るのは、浄土真宗の教義上は間違いです。
ただ、他宗ではみな、当たり前のようにやりますよ。
お父様が「おんあぼ・・」ととなえるとおっしゃっているところを拝見すると、おそらくおうちの宗旨が浄土真宗ではないのでしょう。
真宗以外では、死者、祖先、諸仏諸菩薩にお祈りをするのは普通のことです。
真宗はなぜしないのか?にはまた理由はあるのですが。
仏壇以外のところでも、大丈夫ですよ。
ちゃんと意味はあります。
仏壇という形があったほうが手をあわせやすいから、できれば仏壇の前で、ということです。
事情があって、仏壇の前に座れないときは、仏壇の前でなくても大丈夫ですよ。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
仏壇以外のところでもちゃんと意味がある。
人事を尽くして…出来るだけのことは出来るだけ丁寧に…家の事をもっと丁寧を心がけて行いたいと思いました。
今日は、お言葉をいただいたおかげで心が晴れやかにお祈りできました。
うれしい気持ちになりました。