生真面目な性格と、休むことへの罪悪感、置いていかれる恐怖。
いつもお世話になっております。
私は「休む」ことに対してとても罪悪感があります。
もちろん高熱で動けないなどなら納得するのですが、
「熱はないけどなんとなくだるくて、
仕事できないわけでもないけれど、
吐き気はあるしフラフラする」
とか、
「体調的には大丈夫だけれど、
精神的に今日はきつい」
など、
少しふんばればがんばれる状態で休むということができません。
いや、このぐらいなら、まだ仕事できるレベルなら
動けばいいと思うのですが、私は身体があまり強くないので、
その後にそのしっぺ返しがかならずくると知っていまして、
そういう時は休まなければなぁと思うのです。
けれど、毎回こういうことで休むことにかなりの罪悪感があるが故に、休めません。
まだどうにか動けるレベルなのに、そのぐらいで休むとかありえない、
周りにおいていかれる、
私はまだまだ勉強しなくてはならないことがたくさんあるのに
休んでいる場合じゃない、
まだまだお前は甘いぞ、
他の人は動いているじゃないか、
などと考えてしまって、結局動いて、その後だいたい休日は倒れます。
ちゃんと「自分としては休まなければならないタイミング」が分かっているのですが、
どうしても他人と比べたり焦ったりして、
罪悪感がものすごくあって
結局休めません。
この罪悪感、感じないようにして、
自分のペースでうまく生きていくには、
どういう考えを持てばよいのでしょうか。
教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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最悪感からは何も生まれません。
しゅうがさんは、とても負けず嫌いで頑張り屋さんですね。
私も少しは見習なくてはならいです(汗)
とても、頑張っておられることは、誰でもが認めます。
だから、もう少し力を抜くことも必要かと思います。そんなことは言われなくても分かっていると言われそうですが、でも、本当にそう思いますし、実行してください。
休むことに罪悪感があるとのことですが、罪悪感は自分で作り出したもので、周囲の人は、そんなに思っていません。それに、無理して働くことに対しても、周囲はあっそうなの程度です。
他人と比べると、自分の欠点だけが浮き彫りになります。そうなると永遠に自分の欠点だけが目に付き、できない自分を責める。できないことに罪悪感が生じる。この繰り返しですね。
まずは、他人と比較しない。比較すればするほど、みじめになるだけです。しゅうがさんはしゅうがさんそのままでいいのです。
自分を大切にしてこそ、本当のしゅうがさんが生まれます。だから、身体が悲鳴を上げていることに、ちゅんと向き合ってあげてください。しゅうがさんしか分からないのです。
そして、罪悪感は自分で作り上げているということです。最悪感からは発展的なことは何一つ生まれません。ゆえに罪悪感は捨てましょう。
あなたの努力は、見ている人にはちゃんと伝わっています。
苦しいときは休みなさい
しゅうがさん、はじめまして。 質問を拝読いたしました。
しゅうがさんは休むことにとても罪悪感を感じるのですね。少し無理をしてでも仕事をしなくてはいけないと思っておられるように拝察いたしました。
仕事はしゅうがさん1人でしているのではありません。会社に勤める人が会社の目的を果たすために仕事をしているのです。互いの状態を確認し合いながら仕事を進めていくものです。
空海は書家であり文筆家でありました。
ときに、文章が書けず悩んだこともあったようです。その時、空海は「休みなさい」と説きました。
空海は、静かな気持ちでいるときでない限り、良い文章が書けないことを知っていたのです。
しゅうがさんも、体調の良いときでないと良い仕事はできないものです。
苦しいときは、思い切って休んでください。崖から飛び降りるような勇気が必要になるかもしれませんが、休んでください。
しゅうがさんが心と体を休め、良い仕事できるよう祈念しております。