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恋、結婚での幸せを得たい

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有り難し有り難し 40

36歳にそろそろなろうとしています。
今、恋愛も結婚もしていませんし、恋愛経験も少ないです。

したい気持ちはあるし、若いときは紹介してもらったりという機会もあったのですが、実を結ばず・・・

元々籠りがちだけで、今は仕事もしていないので、ますます人に会わず、女子力もダウン↓

ずっと気になっている人(自分の車の担当してくれている方)がいたのですが、こんな自分に自信がなく、なにもできないまま、これもフェードアウトしそうです。

田舎住みだし、歳だし、消極的だし・・・とできない理由を、自分で作り過ぎているのもわかります。

誰にも必要とされず、このまま愛し愛されないでいくのが寂しく、怖いです。

恋や結婚から得られる幸せな気持ちを感じたいし、そんなパートナーが本当に欲しいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

~だからいけない というネガティブな観方が女子力を下げる

👇冒頭部は冗談です。
「💀まず、あなたは秋田県民だからダメなのです。
秋田県なんて日照時間は短くて寒い。米と、比内鶏と、きりたんぽ、稲庭うどんしかありません。他県に行って、しわしわないぶりがっこ化する前に女子力を高めるより他ありません。
一方わが埼玉県最高ー♡。何が最高って最高気温日本一。米ウマい、タマシャモも美味い。草加せんべぇ最高ズラ。武蔵野うどん、ふとーい♡あーいぶってないタクワンうめー。」
さてさて、冗談はココまでです。
実は「 」内は全部ウソ・冗談です。秋田県民の皆さま、お赦しを(笑)。
私は秋田県大好きな埼玉県民たんげです。毎年の能代の長慶寺様でお盆のお手伝いをさせて頂きましたからバ〇ヘラアイスも秋田の良さもよく存じております。
実は、これは自分を悪くいって自分を低評価していることに気づいて頂く為のヒントです。
ものにケチをつけない。悪くいわない」
ご自身のご質問を読み返してください。冒頭のようにあなた自身を悪く言ったりケチをつける行為は絶対✖。
それこそがあなたの女子力を低下させ、せっかくまだ若い30代なのに心がいぶりガッコ&バ〇ヘラアイス化ならぬ、ババァ化させてる真犯人。(そこまで言ってニャイ)
冒頭部を比較して読みかえして下さい。どこの県にもコメ、トリ、ウドン、ダイコン、米製品はあるものです。単に秋田県と埼玉県の風土の違いや特産品を並べただけで秋田県だけ悪く言ったのです。
本質的にはどちらもちょっとした違いこそあれ、どっちも同じ。
悪いとこしか見ようとしないと、どんどん暗くなってネガティブになってしまうから、そうなってはいけません、という事です。
反対に言えば
「サイタマなんかサイテー。☀アツくて過ごしづらい、米はいまいち、シャモは凶暴。武蔵野うどんはゆで時間が長いし、せんべえやタクアンなんてどこにでもある。」なんて、いったら埼玉県民皆心が折れてメッカ池袋に爆買い傷心ツアー。
物事はそのまま良い所を見出し、そこに価値観、付加価値をつければ心は明るくなるのです。
あなたは36年間女子力を磨き続け恋愛経験も少ないピュアで汚れの無い乙女です。✨
奥ゆかしく家庭向きな女性で、さぞかし旦那様に尽くされ愛される理想的な日本女性。
空気も水もきれいな田舎くらしはさぞかし長寿に恵まれましょう。控えめで慎ましいあなたの性格は日本人が見失っている美徳、謙虚さです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

幸せをつかんで下さいよ

 じぇっとさ さま 御質問を読ませて頂きましたが、結婚が遅れたのではなくそういう機会(縁)が無かったのではと思います。周りの方々が結婚されていくと寂しい思いを持たれたのではないでしょうか。じぇっとさ さまは何もされなく過ごされておられて、男性に会われるご縁があったのですが、どうしても通り過ぎてしまったのだと思います。私たちが生きている上で本当に縁に会う事があり、きっと結ばれることにより業が起こりますよ。おかげさまや周りに支えられている気持ちを持って生活して下さい。合掌

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おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。

質問者からのお礼

丹下さま、お返事ありがとうございました。
ネガティブが取り方によっては、ポジティブに取れるんですね。心が明るくなるって前向きになるにはとても必要ですよね。私にも付加価値をつけて頂いて(笑)、嬉しかったです。

堅田さま、お返事ありがとうございました。
本当の縁がこれから来る!と信じ、いつかでなく近いうちに幸せつかみたい!
つかみます!と言わなきゃですね!

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