楽に生きるための心持ちとは?
自己嫌悪や劣等感、自分のようなクズは早く死ねばいいのだという考えばかりに頭を支配されています。
少し前に両親と口論をして、なんだかなにもかもバカらしく思えてしまって、もう死んでしまおうと思いたち、首を吊りました。縄の固定がうまくいかなくて、死ねませんでした。
意識がある間はずっと、死んだらどうなるのかな、という思考が頭から離れてくれません。
両親に話しても「病人を気どって逃げたいだけ、甘えるな」と言われてしまいました。(最終的に休めと言われましたが、時期的にそろそろ休めなくなりました)
精神科へかかることは両親が許さないことと、就活への影響が怖いのでできません。また、自殺は地獄行きだとよく言いますよね。それを父に言われて、自殺という逃げ道も塞がれました。
私はどこにも逃げられません。辛くてしかたがないです。死にたくて死にたくてたまらないのに、死ぬことも許されず、生きる責任を果たすことを求められ、周りの期待に応えなければと必死にならなければならず、満足に眠ることもできない。生きる幸せがわからないです。生きる意味も希望もわからない。
ちょっとくらい、楽に生きたいです。
こんな風に私はどうしようもなくネガティブな人間なのですが、どんな心持ちでいたら、もう少し楽に生きられるようになるのでしょうか。
ほんの少しでいいですから、楽に生きるこつといいますか、そういったもののヒントを知りたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
頭で考えたことは全て幻。
人間が頭で考えたことは、全て、実体がない幻みたいなものです。
仏教用語で無我とか空とか言います。
頭で考えたことは全て無我です。
頭で何か嫌なことを考えてしまった場合、そのあとに「…と私は考え方た。」と付け加えて思考を終えましょう。
「なにもかもバカらしくなった」というのは、なかなか良いことかもしれません。
あなたが一番大切にしているものがあるはずです。
死んでも守りたいもの。
それを守るために今まで苦しんできたのかもしれません。
それこそ、バカらしいと思ってください。
頭で創り出した心配ごとを「実体がない幻」だと思ってください。
「自分のようなクズ」と言うなら、自分がクズであることを許してあげてください。
みんな、あなたが思っているほど、あなたのことを気にしていません。クズでけっこう。
クズじゃダメだという思い込みを外してください。
クズがクズのままでも救われるのが仏教なのです。
他人や親からどう言われたとかは、人生にとって本当に小さなできごとです。
小さなできごとを、あなたの頭が、重大なできごとだと勘違いしているだけです。
頭が「死にたい」と思っても、別に実際に死ぬ必要はないのです。
死にたいと思った、ただそれだけ。
質問者からのお礼
お礼が遅れてしまい申し訳ありません。少し精神的には落ち着いたので、お礼を書かせていただきました。悩みはつきませんが、なるべく自分を認められるように頑張りたいです。ありがとうございました。