沢山治療費をかけてまで、生きる価値を見い出せません。
今日、病院に行ったらかなりお金がかかる治療を早急にしなければならないと言われました。
私はまだ学生で、それのお金は親に支払ってもらう事になります。
一人暮らしもさせてもらっています。学校の教育費も支払ってもらっています。
沢山沢山、親に負担をかけさせてしまっています。
自分で選んだ学校に行かせてもらうことを最後のわがままにしようと思っていたのに、病院で更にお金がかかると言われ、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ふと、こんなに迷惑をかけてまで私は生きる意味があるの?と思ってしまいました。
勿論自殺なんてしません。ここで死んだら、今までかけてもらった恩がそれこそ全て無駄になってしまうと分かっているからです…。
それでも、この現状をどう自分の中で受け止めればいいのか分からず悩んでいます。
自分を責める以外に何が出来ますか?どう考えても、こうなったのも全部私が悪いのでは?
でもそう考えると自分が嫌いになるばかりで、何をしても辛いです。
今の私を、どう受け止めればいいのでしょうか。
どうしたらこんなどうしようもない私を、好きになれますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
わがままの終わり
こんばんは。今たぶん貴女は、「子どもであること」の最終段階にぃるのかなぁと感じます。
それは、「最後のわがまま」という言葉が使われているからです。親の思いよりも自分の思いを通す。それは、実のところ、まだ親と「対等な大人」という関係を取れていない故だと考えます。勿論、へりくだっているのかもしれません。けれど、世の中「学費を出してもらうのは当たり前」と考えている同世代が多いことを考えると、貴女はそれより一歩先に「大人同士の関係」に近づいているとも言えるのですよ。
治療費が幾らなのか知りませんが、例えば「一万円だったら、それを出してもらって生きる価値が、わたしにはある」と思いますか?…そう、区切りはつけられませんよね。そもそも「幾らまでなら出せる」というお金の問題と、「生きる価値がある」というのは天秤に乗らないのです。その発想自体が、現代の「金で解決」という価値観に縛られています。
ですから私が言いたいのは、「治療費を出してもらって治療を受け、そして"してもらったことを忘れない"ということ」だとおもいます。実際誰もが育つ上で、親からは相当な物事を「掛けてもらっている」のです。お金にしろ時間にしろ気持ちにしろ。命を削って来たのだと思いますよ。自分がそれに見合うかどうか?実は、「今度は貴女が、誰かに掛けてあげられるか?」に結果は表れると思います。その相手が親御さんなのか、貴女の将来の家族なのか、はたまた同じ病気で苦しんでいる人なのか、内戦で難民にならざるを得なかった人なのか。それは分かりません。けれど、それができた時に、貴女は親御さんと同じ立場の「一人の人間、一人の大人」になるのだろうと思います。
お体お大切に。
生きる価値は自分で作るのです。それが親孝行の証です。
春子さんへ、こんにちは。
病気治療、大変ですね。
高額な治療費を親に払わせるのは申し訳ないという気持ちは、素晴らしい気持ちだと思います。
でも親はもっと春子さんに生きて欲しいという気持ちを理解しなければなりません。本当の親思いの気持ちは絶対病気を治すという気持ちなのですよ。
お金は病気が治った後で仕事をしてがんばれば払うことはできますが、命だけは復活させることはできません。今は親に甘えてまずは病気を治すことに全力をあげてください。心がネガティブになると治る病気も治りません。明るく絶対治すポジティブシンキングでチャレンジしてください。今から治った後のことを考えて勉強するのだっていいのです。少しでも親への御恩返しは早くできますよ。
私のお寺でも春子さんの病気平癒の祈願供養しますね(もし名前・生年月日、住所等教えてくださればその名で祈願します)
がんばりましょう!合掌
生きる意味は見つけるものではなく
こんにちは、春子さん。
ご病気があるとの事。まずはご自愛頂き、治療が進むことを念じております。
さて、「迷惑をかけてまで生きる意味があるの?」との事ですが、まず『生きる意味』というのは見つけたり探すものでは無いと私は思います。
人それぞれ大切なものは異なります。
健康だったりお金だったり仕事だったり家族であったり。
しかしいくら病気にならない人はいないし、減らないお金もありません。仕事だっていつかは定年が来るし、家族とだって必ずいつかは生き別れ死に別れしなければなりません。それらはいつかは『消える宝物』です。掴んだ途端に崩れてしまうもの。だから人の夢と書いて「儚い」と読みます。
生きる意味とは探すものではなく、「自分自身が誰かの生きる意味」になるのです。春子さんは親御様にとっての『生きる意味』だとは思いませんか。春子さんがいるという事実そのものが親御様の生きる意味、あるいは活力となっていると思いませんか。
仮にそうでなかったとしても、春子さんは学生さんという事でまだまだお若い。これから仕事で活躍すれば取引先や同僚、部下にとって大切な存在になります。もしご結婚されて伴侶や子供さんがいれば、大切な『お母さん』になるのではないですか。もし春子さんがここで人生を諦めたりする事があれば将来の部下や伴侶、お子さんは存在しないかもしれない。
もし生きる意味が分からなければお近くのお寺の門を叩いてみて下さい。そして「草取りやお掃除のお手伝いを」とでも申し出てみて下さい。私は勿論、少なくともこのハスノハのお坊さん達は喜んでビールの一本(学生さんだからケーキにでもしておきましょう)でもお付けしますw。お寺には手伝って欲しい仕事が山ほどあります。そしてお寺が手伝ってもらった事は世の中に『お返し』をします。綺麗になったお寺はさらに門を開け続けます。そして第二第三の春子さんがおいでになった時には悩める先輩として、トモとして一緒に横に座って差し上げませんか。そうすればその悩める方はきっと喜んで下さいます。『春子さんがいてくれて良かった』って。それが『誰かの生きる意味になる』ということではないでしょうか。
質問者からのお礼
3つも有難い回答を頂き、本当に嬉しいです。ありがとうございました。
治療が終わったら誰かの支えになれるような、親に恩返しが出来るような人になれるよう、前向きに治療に取り組みたいと思えました。
本当にありがとうございました!