遺影
僕は勉強が出来ません。能力的にできないのではなく、やる気が起きないのです。
そこで僕は、大好きだった祖父の遺影を勉強机に飾ることを考えました。
祖父の前で、だらしない行動を取ったり、しっかり勉強していない姿を見せらないので、やる気がでるかと思ったからです。
机に遺影を飾ることは、祖父に頑張っている姿を見せることになると思ったのですが、
それと同時に、祖父を自分の都合の良いように利用しているような気もします。
また、自分は今まで、色々な方法を試してきましたが、勉強のやる気が一切出ません。
もう高校生なのですが、宿題が遅れることがしょっちゅうあります。
その上、出来ないからしないのではなく、やりたくないからしないだけで、決して解けないわけではないのです。
テスト前でさえ一切勉強をしません。というより、わかっているのにできないのです。
自分には夢がないわけではありません。具体的な夢があります。将来これになりたいという夢があります。
そのため勉強をしなければならないし、そのことは自分でもよくわかっています。
本当に自分の甘さに困っています。
以上の遺影を自分の勉強のために飾るということと、自分への甘さの二点について、回答していただけたら、嬉しく思います。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そのままでいいよ
勉強はできるけど、やる気が出ないからただやらないだけ。
いいじゃないか(笑)
遺影をどう利用しようが、君の勝手だ、自由にやればいいよ。
そのまま、思ったように生きていいよ。
ただし
この先の人生、たとえ上手くいかないことがあっても、思い通りにならなくても
決して人のせいにするな
決して言い訳をするな
決して後悔するな
おっちゃんが言いたいことはただそれだけだ。
善因善果
悪因悪果
すべては自分がまいた種だからね
後悔なさらないように
拝読させて頂きました。ご自分ではわかっていらっしゃるのですよね。
それでも気持ちが向かないのですからそれはやむを得ないですね。
ただやっぱりせっかくご両親から生命を頂き、おじいちゃんやおばあちゃんや多くの方々にお世話になって育てて頂いたのですから、ご自分の人生の夢や目標を立て目指さないのは本当にもったいないですからね。
あなたがあとからご自分で後悔なさらないように例え今の勉強がつまらなくてもやっぱりがんばって頂きたいですね。せっかくこれからの可能性がありますからどうか活用なさってくださいね。
遺影をしっかりと前に置いてしっかりと自分を戒めてがんばってくださいね。
きっとおじいちゃんはあなたを応援なさっていますからね。がんばってくださいね。
質問者からのお礼
おじいちゃんには、小さいころからとてもよくしてもらいました。自分のためにも、亡くなったおじいちゃんのためにも、一生懸命頑張りたいと思います。
「善因善果」「悪因悪果」胸に刻んでおきます。
ありがとうございました。