将来の不安
現在高校三年生の者です。
私は、大学に行く予定です。なのですが、今までは、お金が貯まったらどうしようとかある意味楽天的なことを考えられたのですが、ここ数日、風邪で寝込んでしまい、さらにはインターネットで「未婚、孤独死」など自分が常々悩んできたワードがよぎってしまい一気に精神的に不安に陥りました。大袈裟かもしれないですが、世界が現地点と奥の一本しか見えません。私は昔から、気分によって見える世界が変わってしまいます。現時点でとても悩んでいるのは、将来のことで特に「婚姻、老後、死ぬこと、親や兄弟といった大切な人と離れる怖さ」
特に、インターネットは嫌な情報ばかりで自己を否定されているようで辛いです。臭いものに蓋をすると言われればそれまでなのですが、インターネットから離れるのもありでしょうか?
長々と書いたのですが、私が聞きたいのは
*抽象的かつ広域な将来の不安解消方法
*嫌な情報に目を瞑ってもよいのか?です
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
現実に目を向けて
拝読させて頂きました。
大切なことは現実の世界、現実の自分です。インターネットの中では全てではないですが、仮想や誇大妄想や嘘偽りがだいぶ含まれています。
非難や誹謗中傷なども無責任に発信されています。
嘘偽りは罪です。
相手にする必要はありません。愚かなことです。
あなたの現実の未来はこれから積み重ねられていくのです。愚かな虚妄の世界からしっかりと離れて、大切な今の現実にしっかりと目を向けて一歩ずつ前進なさってくださいね。
あなたのこれからの未来が充実した豊かな毎日でありますようにと心からお祈り申し上げますね。
脚下を看よ
中国の禅僧、法演禅師は、三人の弟子と出先から帰宅中でしたが、途中、風が吹いて手に持っていた灯火が消えてしまいました。
周りに灯りは無く、真っ暗に。
その時禅師は、弟子たちに「一転語を下せ」と言いました。
今の心境を言ってみろ、ということですね。
つまり「闇夜を歩くのに、何より頼りになる灯火が消えてしまった。さあお前たちはどう進むか、言ってみろ」というわけ。
暗夜行路は人生にもあてはまります。
頼みとするものを失ったとき、どう生きるか。ということ。
そこで、弟子の一人、仏果園悟がこう答えました。
「看脚下」
つまり、「足下を看ろ」ということ。
「看」は注意してみるという意味があります。
真っ暗な道で、灯りが消えてしまった時は、注意して足下を看ろ。
そういうことです。
迷ったら、まずは自分自身をよく見つめるところから。