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婚約者と死別しました

回答数回答 2
有り難し有り難し 51

こんにちは。
近々結婚を控えた婚約者を亡くしました。
自殺の仕方、自死者遺族への賠償金など調べました。
ですがどれだけ調べても自死者が愛する人の元へいく手段がありません。寿命を全うすれば愛する人が迎えに来てくれると…。
死後の世界を私は信じ切ってる訳ではありませんが、もし本当にあるなら寿命を全うするしかないのかと思い始めてる所です。ですが私は今年で30歳。この先の人生が長過ぎて絶望しかありません。『新しい人と幸せに…』なんて言われる事もありますが無理です。でも寂しくて、誰かに『大丈夫だよ』って抱きしめてほしいなんて考えてしまう事もあります。
死にたい、けど自殺じゃ彼に会えない、彼しか愛せない、けどこの先何十年独りと思うと怖い。
その堂々巡りです。
彼は高血圧が原因の脳幹出血でした。それまで笑ってご飯を食べてたのに突然頭が痛いと言って倒れ、9日間闘病の末亡くなりました。
彼には夢があり、5月末には自分の食事処をオープンさせる予定でした。
その為4月で会社を退社しており、私はその退職金で晩ご飯は彼と外食を繰り返しました。帰りが遅いので、ご飯を作るよりその方が楽だったからです。彼の血圧が高いのは知ってました。ですがそれを軽視し、私は楽な道を選び続けたのです。
一度でも病院へ連れてってたら、結ばれたのが私でなければ彼は夢を叶えていたかもしれません。
外食を繰り返し彼の高血圧を急激に悪化させ、彼の夢も未来も奪った私が何故まだ生きてるのか分かりません。
こんな私を見て彼は悲しいかもしれませんが、もう立ち上がれません。
こんなにも早く突然にお別れがやってくるなんて思いもしませんでした。
平均寿命を考えればこの先60年、生き方がわかりません。
長文で失礼致しました。

2015年5月30日 19:10

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたは現実を愉しんで良いのです

彼を失ってしまったとのこと、とても悲しいことだと思います。辛いことですが、現実として
もう、生きていた時のように彼を感じることはできません。
彼の生命が終わりを迎えてしまったことは、あなたのせいでもなんでもないですよ。何の根拠もありません。そんなに自分を追い込む必要はないですよ。

もし、こうだったら、ああしていたらと考えたくなる気持ちもわかりますが、
そう考えても苦しむだけです。きっと彼が見ていたらそんな苦しんでいる姿を見て悲しむことでしょう。

あなたは、何も悪くないですよ。安心していていいのです。

人は亡くなっても形を変えて命をつないでいます。存在しています。(霊とかの話ではないですよ)
彼のことばかり考えなくても生活できるように、少しずつ変化してくると思います。
ケーキを食べて「おいしいな」とか、花を見て「きれいだな」とか、ふとした時に笑っていることもあると思います。

そんなときに罪悪感なんて感じる必要もないのです。彼もきっとそんな姿を見たら安心できます。

「他の人を愛することはできない」なんてこともないと思います。
無理に頑張らなければ、いい人が現れれば自然に愛することができると思います。愛していいのです。
寂しいときは違う人を頼ってもいいのです。

2015年5月30日 23:56
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有り難し
おきもち

「あなたは決して一人ではない」

かなけん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

愛別離苦の苦しみ・・本当につらく悲しいことでございます・・ましてや婚約者であり、これから結婚、新婚生活・・お互い、若く、夢も希望も色々とある、まさにこれからという時に・・誠に神も仏もないのかと思われても仕方がないほどのことでございます・・

もちろん、当事者でなければ決してわかり得ないお苦しみもおありであるかと存じます・・他人である拙生に何か言えることがあるだろうかと悩んで参りました・・

簡単に無責任なことは言えませんが、とにかく生きて、生きて、生き抜いてほしいと存じます。

生きることは、本当に難しいことです。生には老病死が常に隣り合わせにあります。そして、何よりも私たちは、一人でこの世で生きていけるような単純で簡単な存在では全くありません。無数の縁に支えられて、助けられて生きることができております。かなけん様も婚約者様に色々と助けられて、支えられてきたことでしょう。命をつむぐというのは、そういった様々な縁による支え、助けがあるということでございます。そのようなありようをしっかりと理解して頂いて、どうか決してご自身の命のことを無下に、粗末に考えてしまわれないようになさられて頂きたいと切に存じております。

婚約者様によってもつむがせて頂いているそのお命、どうか大切に、そして、かなけん様は、かなけん様の人生を、婚約者様もそばで応援してくれていると信じ、共に歩んでいるつもりにて生きていって頂けましたらと存じます。

そして、かなけん様、どうかお幸せになって頂きたい。きっと貴女様の想いも全て受けとめて、優しく包んでくれる方との善きご縁、出逢いももちろんこの先、なきにしもあらずでございます。

そして、人生、この先にもうまくいかないこと、失敗や後悔も当然にあることでしょう。その時には、婚約者様をはじめとして、そばで貴女様を応援してくれている無数の存在がある、あったことを思い出して下さいませ。

かなけん様は決して一人ではない。このhasunohaだってございます。また苦しいとき、つらいときには、どうぞ頼って頂いてご質問下さいませ。

お幸せを心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

2015年6月9日 5:35
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

邦元様

温かいお言葉、ありがとうございます。
読んでいて涙が止まりませんでした。

彼を失ってから世界が一変し、悲しみと寂しさと喪失感と、大きな大きな後悔と罪悪感に包まれてます。
すぐには後悔も罪悪感も払拭する事は出来ませんが、邦元様のお言葉で少し心が落ち着きました。
もしまた自然と笑えるようになったら、その時は笑ってもいいのだと思い安堵致しました。

今は寂しくて到底無理ですが、彼との思い出の場所に赴く事が出来るようになったら、彼を連れてまた訪れたいなと思います。
この絶望的な苦しみに、温かく手を伸ばして頂いた事、まことに感謝致しております。
本当にありがとうございました。

川口英俊 様

御回答どうもありがとうございます。

婚約者を失い、一ヶ月経ちましたが気持ちは沈む一方です。
実は婚約者の月命日の翌日、14年間共に過ごしてきた愛犬を亡くしました。
14年間といえば私の今までの人生の半分の時間です。
喪失感というのは何度経験しても失意のどん底に落とされるんですね。

私は日に日に卑屈になり、他人の幸せを疎ましく思ってしまう汚ない人間になっていきます。
そんな私に川口様のお言葉はとても心に響きました。
ありがとうございます。

少しでも私が、彼が愛していてくれた頃の私に戻れるように日々生きていきたいです。

気持ちを配慮して下さり、言葉を選んで頂いて御回答下さったんですね。
お心遣い大変感謝致しております。

ありがとうございました。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

亡き父への後悔ばかりで苦しい

先日、父が咽頭癌で亡くなりました。12年前に若年性認知症を発症(原因は、私が出産の為に実家通いが出来なくなるので一人暮らしの父を2カ月程住まわせ気疲れさせたのが原因かもしれません。)認知症の薬を絶やさないよう12年ほぼ毎日車で往復40分かけて実家に、父の好きなお酒と一緒に持って行くのが日課になっていました。数年は苦にもならなかったのですが、私の子供も大きくなるにつれ段々と父の存在が煩わしくなっていきました。4年ほど前には、私自身が鬱症状が出てしまい、同時期に子供も人間関係から不登校になりメンタル面も弱まり学校を転入したり、またその下の子供も同じく高校に暫く通えなくなるなど4年の間にとても大変な事ばかりでした。父の病気が発覚したのは余命1カ月と宣告された8月の事です。振り返ってみれば、父の異変に気付いたのは半年程前でした。声がれの症状でした。でも私にはそれくらいの事など気に止める余裕すらありませんでした。6月久しぶりの病院の受診、先生にも食事の咳き込みで癌ではないかと尋ねてはみましたが肺炎になっていてそちらを優先に治すと言う事で耳鼻科の受診も2カ月が経つまで先延ばしにしてしまいました。その間は私の家で父親を住まわせ食事や薬の管理もしていましたが、2番目の子供の不登校と重なり、子供の事が一番大事一番心配で、父親の事など邪険にしていました。食事をする度に咳き込み額には汗びっしょり、冷房もない部屋に扇風機だけ、しかもお粥を作ってあげたのは家に居た最初と最後だけ、あとは普通食でした。もう既に私は、父と目を合わせて会話する事もなく、イライラして怒鳴ってばかり。私は独り言で「早くくたばればいいのに。死ねばいいのに。」と言った事もありました。最低な娘です。こんな性格の私じゃなかったはずなのに本当に鬼のように変貌していました。しかし、余命1カ月と宣告され病院生活になってからは、鬼のような私は消え去り、父に直接今までの事を詫びたりもしました。認知症の父は、私から邪険にされていた事など覚えていない様子でした。そして最期の時も、2人姉妹である私と妹で看取ることが出来ました。しかしやはり4年間父親をないがしろにしたと言う事がどうしても消え去りません。本当に父に申し訳なかっと涙が溢れ出てしまいます。出来る事ならもう居ない父親と交信し、謝りたい。許してくれなくてもいいから謝りたい。

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亡くなった姑に対する悩み

今年の6月終わりに姑が68才で亡くなりました。アパートでの孤独死でした。 去年の10月ぐらいに、姑の調子が悪いとアパート管理人から電話があり検査の結果、腰の骨が折れていました。 その当時、姑はパートを辞めたばかりで保険証の切り替えをしておらず、無保険の状態。今から私が取りに行くから!ということで無理やり診察をしてもらいました。即入院ということでしたが、個室しか空いてる部屋がありませんでした。そのため、姑は必死に入院をいやがり、看護士さんに悪態をつく始末。半ば医者に怒鳴られて、追い返されました。 仕方なく、病院をでて、アパートまで連れていきました。始めて中に入ったのですが、中はゴミ屋敷状態でした。部屋からはタバコのやにわにの臭いが強烈に漂い、至るところに栄養ドリンクのビンが転がっていました。とりあえず、場所をつくり保険証の切り替えに部屋をでました。 役所に出向き、保険証を社保から国保に切り替え、今の事情から包括支援センターに電話するとよいと教えていただきました。そこのつてを頼って、なんとか空いてい整形外科を見つけて入院。 義姉が、通帳を預かったそうですが、残高は0、10万ほど借金があったようです。また、年金が月8万ほどしかなく、家賃が3万円。月に5万での生活。退院後、3ヶ月義姉のところで療養アパートに帰ってきました。 部屋は義姉が綺麗にしたそうです。 お金のことが、気になってはいましたが、昨年、祖母、姑の母が亡くなり、70万ほどでしたが遺産があると聞いていました。そのため、急には困らないと思っていました。主人には、生活保護の申請をしたらどうだろうか?援助したらどうだろうか?と相談していましたが、大丈夫、の一言でした。昔は家事をしていた、ケガがなおったから大丈夫だと。でも、部屋の様子は、かなり前からセルフネグレクト。 でも、もし私が口を出せば、全てを任せきられることはわかってました。入院中も一人で面倒をみたから。介護を入れるにも、先立つものがいる。私には四人の子どもがおり、金銭、時間的にも姑の面倒までは無理でした。 あの時、皆に反対されても包括支援センターに電話して、生活保護の申請をすれば、亡くならずにすんだのではないか?もっと、まともな生活ができたのではないかと悩んでいます。 もう、亡くなったのだから...とは思いますが後悔の思いがあります。

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油断からペットを死なせてしまいました

先週、6年と少し飼っていたペットのウーパールーパーを私の油断から死なせてしまいました。 6年前、おそらく生後2ヶ月位の頃に、ご縁あってその子は私の元へやってきました。頂いたなら育ててみようか、位の軽い気持ちで飼い始めましたが、世話をして日に日に成長する姿を見ていつしかとてもかけがえのない私の家族になりました。 ウーパールーパーは暑さに弱いので、夏は室温と水温の管理をし、万が一を考え外泊もしていませんでした。去年までの夏はこれで乗り切ってきました。 ところが今夏、私のどうしても観ておきたかったものが地方で開催される事を知りまた日帰りの距離では無かった為に、一晩だけ家を空ける事にしてしまいました。 夏は私が不在の時、水温が上がらないようにエアコンを常時つけており、エアコンをちゃんと点けてさえいれば一晩くらいなら大丈夫だろうと思い私は出掛けてしまいました。 翌日夜、帰宅して水槽を覗くとウーパールーパーが亡くなっていました。 前日朝にはいつも通りの姿を見せてくれたのに、と信じられない気持ちと、自分のしでかした事の重大さに打ちのめされました。 翌々日、近所のペット霊園にて火葬と埋葬をして頂きましたが、亡くなってから一週間経つ今も後悔ばかりで涙が止まりません。 私が自分の都合を優先したばかりに、あの子の死に際に立ち会えなかったこと。 また、私が居れば何か出来たかもしれないという自責。 全て今さらな事なのですが、見届けられなかった最期を想像するだけで自分を消してしまいたくなります。 また、死に目に会えなかった事は私が自分の都合を優先した事に対するあの子なりのメッセージのような気がしてなりません。 昔から家族というものに恵まれなかった私に、あの子だけが唯一の「無償の愛」を教えてくれました。 そんなあの子に私は酷い事をして死に追いやってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 これからどのような心持ちで生きていけばあの子への贖罪になりますでしょうか。

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母が亡くなりました

一緒に住んではいませんでしたが母が亡くなるまで短い時間でもほぼ1日1回は顔を合わせていました。 そんな母と、一緒に同じマンションで暮らせる(階はちがいますが)ようになり6日目、私が作った朝ゴハンのおにぎりを喉につまらせ急逝しました。 私が仕事で急いでいて寝ていた母を起こしボオッとしていた母に食べさせたのがいけないんです。 私は今まで母の通院にも必ず付き添い買い物も一緒に行ったり買い出ししてきたり周りから見たらいい娘だったかもしれません。 でも実際実家では、寝てばかりで何もしない(病気のせいでダルかったんだと思います)母を怒鳴り泣かせタッパーのような物で頭を叩いたり本当にひどい娘でした。 手も悪かった母はシッカリ歯磨きできないこともあり口が臭うことがあると臭い!と怒ったり、シートベルトが出来ずモタモタしているとベルト出来ないなら乗せないよ!と怒鳴ったり、転んで腰が痛いと言っていた母に寝てばかりいるから悪いと怒鳴ったり・・・しかし母は腰を圧迫骨折していて痛かったのだと後々わかりました。 圧迫骨折の影響で歩くのが困難になり始め腎臓も悪くなり透析の準備の手術もし施設か自分の家の近くに住んでもらうか悩んでいたところ私のマンションの1階が空いたので母に施設と私と同じマンションに住むのどっちがいい?と尋ねたらマンションと言ったので契約をしトントン拍子に物事が進んでいきました。 実家の荷物は遺品整理屋さんで生前整理として片してもらった矢先、母が亡くなりました。 母の物はほぼ無くなって本当の遺品整理になってしまい喪失感がひどいです。 母が大好きだったし優しくしたいと常々思ってはいたのですが仕事と家のストレス等で母にあたってしまい以前の母なら出来たはずなのにナゼ出来ないとの戸惑いもあり日々会うたびに怒ってばかり。 母は言葉が出づらかったので反論もせず私に怒鳴られ叩かれ泣き毎日辛かったと思います。 今は何で優しくしなかったのか、なんで急いでおにぎりを食べさせたか、何で詰まった時にゴボゴボ吐き出す母のお茶を取り上げてしまったか後悔の毎日です。 仕事が早く終わると母に買い物に行く?と電話をしていたのに電話しても出てくれる人もおらず今は母がいなくなった時間で何をしたらいいか・・・。 遺影に毎日お母さんゴメンねと語りかけ涙する毎日です。 この喪失感と悲しみと絶望と後悔はどうしたらいいのでしょうか

有り難し有り難し 12
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叔父が亡くなりました

今月の7日に大好きだった叔父が亡くなりました。叔父は私の母の兄であり、片親の私にとっては父親のような存在でした。 生前、叔父は大病を患い奇跡的に回復し仕事を無理のない範囲で出来る程までになりました。亡くなる数ヶ月前から再び体調を悪くし入退院を繰り返していましたが、弱ったところを見せたくない心配させたくない、という叔父の思いから私と母やそれ以外の人にも内緒にしていました。叔父からの連絡がないので心配した母と私が叔父の元を訪ねて、体調が悪いことが発覚しました。 それからは心配で、定期的に叔父宅を訪ねていました。体調が悪い中でも、前向きに回復へ向かおうともがいていましたし私達もきっと良くなると思いながら叔父を見守っていました。 最後に会った時は、いつもより調子が良さそうで沢山お話ができて笑顔の時間もありました。それから1ヶ月経たないうちのお別れで後悔ばかり残っています。 私は祖母(叔父の母)と母の三人暮らしです。 祖母には叔父の病状を全く知らせていませんでした(叔父の意向もあって)。なので、久しぶりの対面がこんな形になってしまった事に後悔しています。祖母は滅多に泣かない人で、私は祖母の涙を一度も見たことはなかったのですが、斎場での最後のお別れの時間涙を流して悲しんでいました。母も突然の事でショックが大きく葬儀が終わるまで泣き続けていました。 時間が解決してくれるとは思いますが、2人の悲しみを少しでも和らげて支えてあげたいです。 私はどのように立ち振る舞い2人に声をかけてあげたらいいのでしょうか。 また、亡くなった叔父は私達のことも見守ってくれているのでしょうか。

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母が旅立ちました 私は酷い娘です

母が20日前に亡くなりました 認知症と肺疾患を患っていた母 父からの暴力を受けてた母 主人が単身赴任していたこともあり 3年半前に私が引き取り 2人で暮らし始めました 話が噛み合うことも たまにはありましたが 認知症のせいで 人格障害 激昂や 私に執着したりする症状 子供返りに 悩まされました 私は母を引きとることに 躊躇していました パートで仕事に出ている間 母を1人で置いてくのが不安だったため デイサービスやショートステイを頻繁に利用していました ショートステイに行ってる間は 会社帰りに寄り道できたり 自由を感じていました 自分の事を最優先にして 母の事は二の次でした 亡くなる二、三ヶ月前から 肺機能が極端に悪くなり いつ亡くなってもおかしくない状態でしたが その頃から 夜中ベッドから私を大声で呼びかけるようになりました トイレに行きましたとか ベッドに上がらせてとか 私は知らんぷりを決め込み 母を手助けしませんでした 翌朝 母に 聞いても 覚えてないと言ってました 母が自宅にいる日は毎日続きました 失禁も多くなり 痰を洗面台に吐きっぱなしにしたり 尿の臭いがキツく ティッシュを無駄遣いしたり ご飯要るといいながら 食べなかったり 私は自制心が効かなくなり 母に酷い言葉を浴びせました オムツ交換の時も足を上げようとしない 母の足を何度も ペチペチと叩きました 母は二酸化炭素を排出できない病で 運動機能や記憶 排泄機能 いろんな ところに障害がでていたことに 私は気づきませんでした 私は小さな頃から 父が母に暴力を目の当たりにして 育ちました 母が沸騰したお湯を床に置いてしまった せいで 幼い私は足を突っ込み 火傷を負い 傷が残りました 先天性の股関節の病もあり 自分は母に 迷惑ばかりかけられていると詰りました 母が倒れる前の晩にそんなことを言いました これまで何度も母と離れたいと思ってきたけど 限界に近かった 本当に心底母から離れたいと思ってしまいました そして 母は倒れ 丸2日苦しんで 私は母を見送ることも出来ず旅立たせてしまいました 母に酷いことばかりして 母に優しくしてあげることができず 悲しい記憶ばかりが残ってしまいました 母に謝まりたい でももう届かない 苦しくて 辛いです 私はどうしたら良かったのか わからないままです

有り難し有り難し 22
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