諦められない気持ち
お坊さんとのお付き合いは初めてだったので、仕事内容も時々きいてはいましたが、大変そうでした。新総代のことやらでも何か問題があるとのことでストレスもあったかと思います。ご家族にも要介護1,2級を二名抱えて、結婚は誰とも考えていないという彼でした。
お互いに会うことを決めて、動けない彼のもとへ私が一時帰国の時期をずらして今年の秋に会う予定でした。
ですが自分の仕事や身の回りの問題を抱えているときは交際相手のことを思いやれないと聞いてはいましたが、そんなときに私との些細な話合いの頻度が増えて、それで自分の環境を考えて別れを決意したと突然言われました。
彼のことがまだ忘れられません。忘れないといけないのでしょうか?諦めたくない自分もまだいるのは確かです。ちなみにもう音信不通になりました;
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
わたしは芯のある「おひとりさま」です。
これは、あなたをはじめ、全ての失恋をした男女、結婚をされている男女にお伝えしたいことです。
人をいくら好きになってもいいです。ですが、人に助けられようとしてはいけません。
仏教とは、自分で自分を生きる道です。
失われることがある、喪失感がある、執着があるという事は、相手に対して『得たい』という気持ちがあるのです。
より良い関係は、依存であってはいけません。所有があってもいけません。
仮に子供であっても、親は所有はしてはいけません。
当然、恋人同士でも同じことが言えます。
仏教であろうが無かろうが人生最終的には、そこに至らなければいけません。
別れは出逢いの始まり。
別れは、学びの授かり。
あなたに、もっと大事な生き方を教えてくれたのだと理解することです。
私は結婚をしていますし、妻の事も大事に思っています。
ですが、私は、この世に存在しているのは、勿論多くの方のおかげではありますが、存在としてはただ一人の存在なのです。
そして、全ての生命が、存在としては、独立個個の存在であると感じています。
これを、根底に持っていませんと、人に依存します。相手に依存します。相手がいなくなった時に、寂寥感、喪失感、執着が生まれ苦しみになります。
あなたは、これをきっかけに、他人とのお付き合いではなく、自分との一生のお付き合いを真剣に考えるべきでしょう。
アニメ「ドラえもん」であっても、いつかドラえもんは、壊れてしまいます。いつかのび太君は死んでしまいます。
自分の存在の真実を悟り、相手にも溺愛せず、独りでも大丈夫な芯のある生き方を歩みましょう。
それが本当の深い意味での「おひとりさま」です。
【私は、誰と一生にいても「おひとりさま」です。】そう、胸を張って言えるように、自分の命の本源をよく見つめてみてください。自分に出会うことがあれば、それは同時に、永遠に孤独にならないということなのです。
お坊さんもただの人ですよ。
そのお坊さんがどんな気持ちで別れを告げられたのかがわからないのでなんとも言えませんが、もし、家のことを気にして、あなたに迷惑をかけまいと、そのようなことを伝えらたのであれば、あなた次第だと思います。
しかし、言葉の通りなのであれば、あきらめなければならないのかもしれません。
もともと、人は誰のものでもなく、誰を好きになろうが、誰と友達になろうが自由な存在であると思います。
ですから、出会っても別れてもそれはそれとして、少し距離を置いて自分を見つめ、その方との思い出などは、追わないことが大切だと思います。自分は今未練で切ない気持ちになっていることに気がついても、そのままに。
まだ目の前のことを全うしていくことが大切だと思います。考えないようにするのではなく、考えてしまったら、そっとしておいて、今に戻すようにしてみてください。
質問者からのお礼
邦元さま 回答ありがとうございました。一ヶ月ほど経ち、気持ちが少しずつ落ち着いてきました。おっしゃる通り またしばらくは彼のことを思い出すでしょうが、一日でも早く目の前のことをひとつひとつ楽しんで、前を向いてあるいていけるようになれたらと思います。ゆっくり頑張ります。
凡下 覚元さま 回答ありがとうございました。『自分で自分を生きる』人はそれぞれ個々の存在で、周りに依存するものではない。なるほど;と思いました。私も おひとりさま になれるよう時間かけて歩んでいきたいとおもいます。