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続報。彼氏が、私のせいで自殺してしまった。

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前回の質問を閲覧していただき、その上で回答を頂きたいです。
あれから私なりにいろいろ動き、調べ、少しずつですが見えてきたものがありました。
まず、私の知る限り、彼は去年の12月から自殺をするような事を決めていたような発言をTwitterでしていました。私と知り合う前です。
私と付き合ってからも、今思えば「そういう事か」と取れるような発言をしていました。
そして、もともと地元で遊ぶのが好きだった彼が、急に友人の所に会いに地方に行くようになったのが2〜3年前から。ちょうど、彼の父親が大病をした時期と被ります。彼は、特定の仕事には就いておらず、アルバイトで生計を立てていました。実家のお仕事を、将来は継ぐ気でいたみたいですが、それに必要な資格を取ることもしていなかったようです。
以上の事から、2〜3年前から漠然と自殺をする事を決めていた。その中で私と知り合った。私との関係を悩んでいたかは知りません。が、どっちにしろ生きる理由にはなれなかった。
ここまでが、以前質問させて頂いてから私なりに動いて出した答えです。
彼は自殺する事を決めていた。だから、私とのこの状況の中での関係を受け入れたのかな、と感じています。しかし、私がもっとしっかりしていれば、彼の生きる理由になれたのではないか?結果的に、私との関係が彼の自殺の後押しをしてしまったのではないかと、後悔の念で溢れます。
最後に出かけた日、私は体調が悪く、今日のお出かけはどうしようと悩みましたが、「今日会わないとなんだかもう会えない気がする」と、なんとなくそんな感じがして会いに行きました。なぜそんな事を感じたのかは分かりませんでしたが、あの日、彼はどんな気持ちだったのかな。
どうしても、私のせいで彼が自殺してしまったのではという念で頭がいっぱいになってしまいます。今は、家族、友人、それぞれがそれぞれの悲しみ、苦しみと向かい合っている時期。私だけが辛いわけではない。十分理解しています。私は、彼のと未来を真剣に考えていました。少し時間はかかるけど、来年には彼と一緒になれれば。そう考えていました。同棲中の彼とも、少しずつですが別れ話を進めていました。
いろんな人を裏切って、無理やり前に進もうとした私への罰ですか?
彼に会いたい。私も同じ所に行きたい。でも、彼の死から逃げたくない。この先どうやって生きていけばいいですか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

彼を愛するという責務的立場と夢から離れましょう

前回の質問も拝見させていただきました。
残酷なようでも今後のあなたの為にハッキリと申し上げます。
その男性はあなたが好きになる、愛すべき人ではなかった。
そんなにいい人ではなかったと思いますよ。
それが結論です。
そんなに「一生かけてまで愛すべき人ではなかった人」を好きになってしまったのですよ。
あなたの人生を狂わせた人でもあるからです。
我々が本当に愛すべき人とは「愛すべき人間性を持った人間をこそ愛すべき】です。
でないと、愛が泣きます。愛が行き場を失います。愛が可哀想です。
事実、あなたの心はが晴れやかではないことがすべてを物語っている。
それが答えでしょう。
あなたの二股に関してはここでは何も問いませんし、責めません。
今後、自分で恥じて改心することです。
自暴自棄になってMADな人生を歩まれませんように。
彼の自殺はそんなに責任感じることではないと感じます。
あなたの事を本当に好きで愛していたら、そんな事をしないでしょうから、最初から筋書きの中の一つだったのでしょう。
あなたも愛しているとか、好きとか、恋、愛とか、曖昧な言葉に溺れて酔って騙されてはいけない。
真実の愛であったかだけを確かめるのです。
耳あたりのいい言葉や禁断な関係やドラマ性に浮かれていないで、真実の関係が、実に不適切で不健全極まりないものであったと、ちゃんと冷静に向き合うべきです。
危険な恋ほど燃える心理は誰にでもある。
だから、小説や映画化もされ、ヒットする。
ですが、そういう恋に溺れる心理は、自分達が主人公になれている感覚に酔っているのです。
そもそもが、自分の命を疎かにする人であり、あなたも物事の道理をちゃんと弁えておられなかっただけのことです。あまり美化しない方がいいでしょう。
夢を壊して申し訳ないですが、そのマイストーリーに執着すればその苦しみもモヤモヤも晴れません。
あなたのマイストーリーにあなたが執着すれば「何かに浸れる感」はあっても、苦しみは晴れません。
苦しみから解放されたければ、あなたは自分の物語に酔うことから覚める必要がある。
そこに打ち克つには本当の懺悔からでしょう。
命は尊いものです。
ですが、命よりも自分のエゴが強くなって自分の命までも疎かにしてはいけないのです。
命をも粗末にするエゴのストーリーに周りを巻き込んでもいけない。
あなたの命が喜ぶ道を歩んでください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お忙しい中の回答、ありがとうございます。
真実の愛であったかだけを確かめる…。仰る通りです。また、自分の感情のみに目を向けてしまい、マイストーリーに執着してしまっていました。
自分の物語から目を覚ます。そうする事で、私は亡き彼に対し、どのような供養ができましょうか?まだまだ未熟者な私ですので、答えが出るまで時間がかかりますが、今一度自分で考えてみます。
世の中には色々な愛の形があります。今回、お互いの幼稚さが露出してしまった愛ですが、どうしても彼と過ごした時間が嘘であってほしくない、形としては不適切であったかも知れないけれど、そう思ってしまいます。
まだ自分の夢に酔っている証拠でしょうか。
どちらにしろ、時間はかかると思いますが、一歩ずつ前に進んでいこうと思います。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ