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高潔とは何ぞや?
こんばんは。「99.9%を誇る(仏教徒への質問シリーズ)」に似た働きの言葉ですね、「高潔なお坊さん」って。
よもや高潔という言葉をご存じないとは思いませんが、日本仏教では殆どの坊さんが「私は高潔ではない」と仰るはずです。
辞書にもいろんな解説があって、ブレがありますね。「私欲のないこと」「清らかで汚れていない」、それからウェブで見るだけでも「社会的常識がある」「正直」「誠実」…
これを最大限カバーするとすると、恐らく「清らかで汚れていない」でしょうけれど、「それを目指しています」ならともかく、「私はそうである」という方は、日本仏教界には居られないのではないか。そんな期待をして下さっているのはかたじけないと思いますが、「そうありたい」と願い、できる努力はしている…というのが精一杯だろうと思います。
人生とは何ぞやでしょう。 これ、「何ぞや?」あるいは「何でしょう?」という意味かと思いますが、実感として(キリッ)
ときどき思い通りになることがある
という所です。
私からは、「宇宙の神秘」について、語る言葉は持ちません。「神秘」としか表現しようがないんだろうな…という感じで。ただ祖父様の時代には「大宇宙の大生命が、私に生きよ・お念仏せよと言っているようだ」と表現していた…記憶がありますが、「彼は高潔なのか?」と聞かれれば、「多分違います」と答えるよりありません。
了解です
人生-苦しい事=楽しい事
私は登山が好きなのですが、夜空を見たらものすごい星があるんですよ。
これが宇宙です。
生きている実感をまともに感じますね。
これが神秘です。
一切皆苦
拝読させて頂きました。なるほど、問答ですね。私は高潔でも高尚でもありません。
前にもお伝えさせて頂きましたが、人の生きる道、人生とはこれ一切皆苦です。
あなたにとってはいかがでしょうか?
私達の周りにあるものごと、自然や宇宙も全ては移り変わりゆく事象でしかありません。
ものごとは移り変わり確かな確固としたものではありません。
ですから仏教は諸行無常を始めに説くのです。
私も含めて常に移り変わりゆく事象です。一時も安定することのない私達です。
だからこそそのありようを受け入れることが苦しみから解放されることです。
あなたはいかがでしょうか?
あなたがこれから正しいことを学んでいかれます様にとご祈念申し上げます。
お薦め本「掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時」
あいす様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
是非、あいす様にお薦め致したい本がございます。
非常に興味深く読むことができるのではないだろうかと存じます。
もう古書しかございませんので、お買い求め頂くと高いため、是非、お近くの図書館で探されてみられても。
「掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時」(新評論)
それと、もしも可能ならば、
「僧侶と哲学者―チベット仏教をめぐる対話」(新評論)も一緒に読まれると面白いと思いますよ。。
川口英俊 合掌