鈍感で失礼な自分。
ランチ会でママ友が『ウチは旦那と同じ会社だから退職金が幾らか知ってるから共働きをやめれない』との言葉に『えっ?どうゆう事ですか?あーそうゆう事ですか。』と、間違ったリアクションをしてしまい相手を嫌な気持ちにさせてしまいました。
その場にいた他のママ友からはマンション購入の話題になると、私に聞こえないようにコソコソ話して避けられています。
人生の中でも後々から相手の様子が変わってから、あれ?失礼な事言ったな…と後から気づき何度も思い出しています。
こんな思いをする前に自分の性格を治したいです。
子供の時の失敗を何度も思い出しては、恥ずかしかったと、考えては最近の失敗を何度も思い出しては自分にがっかりして嫌になっています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
知ったかぶりを止めたい、ということ?
こんばんは。ここhasunohaでは、よく「性格を変えたい・直したい」というご相談がありますが、これってなかなか難問なんですよ〜。
というのは、「性格」って言葉で表現はできますよね、「そそっかしい」とか「はやとちり」とか「でしゃばり」とか。でも、その実体は「話を充分聞かないままで判断する」とか「自分の経験へいつも引きつけてしまい、話をそのまま聞けない」…という「話し方のパターン」なんですよ。「行動パターン」として捉え、「気持ちの問題」にしないことがポイントです。
気持ちの問題、とすると「ああ、好きなのに好きって言えない」的な、焦れったい解決になるのですが、「行動パターン」つまり「反応の選択肢」として捉えれば、変えていきやすいのです。そう。場面の認識と自分の行動パターン。格好良く言うと「己を知る」ということです。
例えば、そそっかしい人…計算間違いが多いとすれば、「あーあ、俺そそっかしいからなー。気をつけよっと」で終わったら…恐らく何も変わりませんよね。
「俺は計算間違いが多い。単純作業で確認を怠るようだ。単純作業に出会ったら、その時こそゆっくり繰り返し検算しよう」…の方が、いい結果が出ると思いませんか?
面倒くさい?? そこに喝です。
およそ全ての精進の反対が「面倒くさい」です。自分が「あ、私、面倒くさがっている。今が分かれ道だ」位に思わないと、行動パターンは変わっていきません。反省が生半可だと、決心も生半可になり、結果似たような行動パターンしか取れなくなります。
ということで、「分からない時に生返事をしない」。会話には入れなくてもいいのです、いずれその話題は去ってゆきますから。
「知らないことは知らない、と言う」。が次です。テレビに出る芸能人は「リアクション」が全てみたいですが、一般人があんなに早くリアクションする必要はありません。
口は災いのもと。チョット位は思慮のある人の方が、信頼感を得られるものですよ。