“習慣化”できません。どうすればいいでしょう。
どんなことでも、三日坊主で終わってしまい“習慣化”できません。
元来、熱しやすく冷めやすい性格で、「がんばるぞ!」と張り切って取り組んでも、長くつづいた試しがありません。
浅く広くさまざまなことができますが、どれも中途半端。一事を全うしている人(職人や研究者のような人)に尊敬と憧れがあります。また、“子供の頃から毎日日記を書き続けているお年寄り”なども、素晴らしいなぁと思います。
完璧な人間なんていないことは頭ではわかっていますが、ちょっとふらふらしすぎな自分に不安さえ感じます。
毎日幸せな日々を過ごしているものの、いい年齢して『これが自分だ!』と語れるようなものがないことを情けなく思います。
そのためには、“習慣化”が必要と思っています。
が、なかなか思うようにいかず、ちょっと気を抜くとまた元通りの生活です。
どうすれば、“習慣化”に結びつけることができるでしょうか。お知恵をいただきたくよろしくお願いいたします。
熱しやすく冷めやすい、初志貫徹できないところが弱点である。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そんなあなたも『これが自分だ!』
ご相談拝読しました。
まず一般的な?回答をしますと、
習慣化したい!からそれをする のではなく これをしたい!からそれが習慣化する
のでしょうね。目標があって手段がついてくる。そういう私自身続いていることを考えると2日おきの筋トレぐらいですが…。やはり健康的でありたい、若々しい見た目でありたいという目標があって続いております(まったくお坊さんらしくない理由ですいません)。
つづいて、仏教的な(なっているかわかりませんが)回答をしますと、
人間のの目は外を向いています。自分のことは見えないものです。『これが自分だ!』と語れるようなものは私もありません。
相手にとって、見ていただいた私がそのまま相手にとっての私です。そこに偽物の私も本物の私もありません。
だから、「習慣化できないことが習慣化」しているきらら様、それも自分です。
ふらふらするのが人間ですよ。自分が見えないから、あっちがいいなあ、こっちがいいなあ、そっちはダメだなあと外ばかり向いてふらふらする。だからこそ私たちは仏法という「真実の鏡」に私の姿をうつしていただきます。普通の鏡は左右が反転して映ります。写真に写る私は過去の私です。世界でただ一人、私だけが今の私の姿を見ることができません。
しかし、仏法という「真実の鏡」はありのままの私を映します。見たくない私も見せつけられます。
そこには『これが自分だ!』と語れるとりつくろったものでない自分の姿があります。
少し話がずれましたが、そういうあなたもあなたなのですよ、という事をお伝えしたかったのです。
しかし、あなたは具体的な手段には結びついていないだけで、「こうありたいと思う向上心を保つ」ことは習慣化できているのではないでしょうか?
それは簡単なことではないと思います。あとは何かの縁にふれたならば道が開けると思いますよ。
道を歩む中では自分を見失わないように、「仏法に私を映していただく」ということを頭の片隅においていただければ幸いです。
たま~に
こんにちは。
近所の家具屋さんの看板に「たま~に買うお店 ○○家具」と書いてありました。
なるほどね。家具屋さんはないと困るけど、毎日は買わないですよね。
あなたも、「これが自分だ」のために「習慣化」を、とお考えのようですが、もしかしたら、あなたが「たまーに」やった事が、相手にとっては人生最大の役に立った出来事になるかもしれません。プロフィール拝見しましたが、あなたは、人に大きな影響を与える事のできる大切なお仕事をしていると思います。そこに「これが自分だ」っていうやりがいを見つけることができるのではないでしょうか?
続けることはあなたの性に合っていないのかもしれません。無理せず、「たまーに」で良いと思いますよ。
それでも「習慣化」を望みたいのでしたら、過去に類似がありますので参考にしてください。
http://hasunoha.jp/questions/7324
「三日坊主なら、五日目にもう一回」
質問者からのお礼
法覚寺
吉武文法様
はじめまして。
早速にもこんなに真摯なご回答をありがとうございます。
吉武様は2日おきの筋トレが続いていらっしゃるとのこと!素晴らしいですね!憧れます。
>これをしたい!からそれが習慣化する
おっしゃる通りですよね。
それなりに長く生きてきていますが、まだそう思えるものに出会えていないのかもしれません。それに悲しく思う反面、まだそれを探し続けることができる楽しみもあるのだなぁと思いました。
>ふらふらするのが人間ですよ。
今の自分を否定的にとらえなくても良いのかしら、と思えました。それも自分で、そもそも人間は気移りしやすいものなのでしょう。ちょっとほっとしました。
『これが自分だ!』と語れるとりつくろったものでない自分の姿が現れる真実の鏡、大変興味が湧きました。ありのままの姿が現れるということですね。自分も真実の姿を見てみたいと思いました。
>具体的な手段には結びついていないだけで、「こうありたいと思う向上心を保つ」ことは習慣化できている
この発想は今までになく、誰かにそう言ってもらえたこともなく、とてもありがたく思いました。自分でも気付かないうちに『習慣化』できているものがあるとは思いませんでした。
本当にご回答をありがとうございました。
鳳林寺
光禪様
はじめまして。
早速のご回答をありがとうございました!
家具屋さんのお話、なるほどなぁと思いました。
たしかに、ベッドもテーブルも買えないと困りますが、毎日は買わないですもんね。笑 とは言え、必要な時に買えないとすごくすごく困りますね。
>人に大きな影響を与える事のできる大切なお仕事
そう思ってはじめた仕事でした。なにげに順調にいっていたせいか、自分でも気付かないうちに最近はちょっと調子に乗っていた部分があるのかもしれません。もう一度、初心に返っていろいろ見直してみようと思います。
>あなたが「たまーに」やった事が、相手にとっては人生最大の役に立った出来事になるかもしれません。
上記と併せて、“誰かの人生最大の役に立つ”ほどの影響を与えているならば、今以上に気を引き締めなくてはいけないなと、背筋がしゃんとしました。
>続けることはあなたの性に合っていないのかもしれません。無理せず、「たまーに」で良いと思いますよ。
これ、すごくありがたいお言葉です。救われます。“性に合っていない”と自覚があるからこそ、よりもがいて苦しかったように思います。また、“続かない自分”を無意識に肯定できない自分がどこかにいたように思います。
URLのリンク先も拝見させていただきました。
確かに、5日目をやらないことで、すべてが三日坊主になってしまいますよね。一旦、今の“続かない自分”も肯定できた上で、“5日目の挑戦”をしてみたいと思います。
本当にご回答いただきありがとうございました。