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会いたいです

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父が亡くなって一か月です。
不器用だったけど優しくて、大好きな父です。
もういないと考えると寂しくて悲しくてたまらなくなります。

毎日のように骨壺をあけて骨を触ってしまいます。
いなくなったのを納得したい気持ちと、父がいたことを少しでも覚えておきたい気持ちで触ってしまいます。

もう少ししたら納骨することになります。
そしたらもう触れないと思うと、寂しいです。
でも母や兄たちには言えません。
家族みんな寂しい気持ちを乗り越えようとしてるのは同じだとわかるから。
でも、寂しい。

誰でも大切なひとを亡くす経験をすると思いますが、どうやって気持ちに折り合いをつけているのでしょう。
悩んだときにいつも話を聞いてくれたのは父でした。
父に会いたくてたまりません。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

また会う世界が用意されています

浄土真宗のお話をさせていただきます。

阿弥陀如来という仏様は全てのいのちを救いとる為、極楽浄土という世界を建立なさいました。
私たちは命尽きると阿弥陀如来の力で極楽浄土へ参ります。
そこでは、先に行かれた方が仏となって迎えてくださります。
だから、死して別れるのは永遠の別れではありません。
極楽浄土でまた会えるのです。

私たちには煩悩がありますので、仏の姿を見ることはできません。
しかし、仏様からは私たちの姿や考えは丸見えです。
お父様は必ずmikaさんのことを見守ってくれているでしょう。

今すぐ会うことはできません。
しかしまた会う世界が用意されています。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

会えますよ。

お父様、大好きだったんですね。
ご心中お察しします。

私も30代で母親を亡くしました。
私も母が唯一の相談相手でしたから、母が亡くなった時には相当なショックを受けました。

ただ私は、母が亡くなってから一度も人前で泣けませんでした。
兄や姉が涙を流して悲しむ横で、気丈に振る舞う父親を見て「私まで泣くわけにはいかない」と自分で勝手に我慢していました。
毎日でも母に会いたいと、49日までのあいだ毎日欠かさず実家に通いました。
お経を上げながら、生前の母を思い出すたびに涙があふれそうになるのを必死でこらえていました。

そんなある日、いつものように母の霊前でお経を上げながら、ふと遺影を見上げた時、あることに気付いたのです。

「私はこんな顔知らない・・・」

そう、私の記憶の中のどこを探しても、遺影という写真に切り取られた母と同じ顔は一度も出てこなかったのです。

まぶたを閉じるとそこには、活きた生身の母の顔がありました。
幼い頃から見て来た母の色んな姿が、語ってくれた色んな言葉が、そして握った手のぬくもりさえもがそこにはありました。
精一杯生きて見せてくれた母の姿が、私の中にちゃんと生きていたのです。

その夜、自坊に帰った私は、母の死から初めて本堂のご本尊の前で大声で嗚咽が出るほど泣きました。
しかしそれは、悲しみの涙ではなく、母が私に残してくれた沢山の教えへの感謝の涙でした。

mikaさん、今は胸の中を苦しさが占領しているかもしれません。
ですが、もう一度お父さんの色んな姿をしっかりと思い出してみて下さい。

あなたに向けられたお父さんの目は、あなたに語ってくれたお父さんの言葉は、あなたにしっかり生きろと言っていませんでしたか?

今はまだ、お父さんの姿を思い出せば思い出すほど、もっと悲しくなるかもしれません。余計に苦しくなるかもしれません。

でも出来るならば今のうちに、あなたに思いっきり泣いてほしいのです。

涙は内側にこぼすとなかなか乾きません。
だから、涙はしっかり外に流して一日も早く乾かしてほしいのです。

あなたやご家族に、一日も早く新たな一歩を踏み出してほしいのです。

それを誰よりも願っているのは、ほかならぬお父さんのはずですから・・・。

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日蓮宗。倉敷市受法寺住職・岡山市妙立寺兼務住職 1965年生。坊主歴35...

手元供養があります

mikaさん、はじめまして。

徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。

mikaさんのお父さまを亡くされたとのこと。心中お察しします。
身近な人を亡くすということは、言葉以上に重いものです。昨日までいた人が突然にいなくなる。話しかければ返事をしてくれたのに、もう返事が返ってくることはありません。川下の水を川上に流せない如く、もう帰ってこないという現実に、ご遺族は悲しみをこらえきれないのです。

mikaさんは納骨を前にして、寂しい思いをされているようですね。
私から提案があります。ご遺族と相談の上、考えていただければと思います。
仏壇仏具を取り扱う店で、手元供養(てもとくよう)するための商品が販売されています。ペンダントの形をしていたり、卵の形をしていたり、写真とともに遺骨を納める容器が付いていたり、様々な商品があります。
手元供養の容器に少しだけお骨を入れて見守りとして持っておくのはいかがでしょうか。それ以外のお骨はお墓に納骨しておくことができます。

mikaさんの心の整理がつき、お父さまが亡くなったことが思い出として心に収めることができるまで手元供養を検討してみるのも一つの方法だと思います。

mikaさんの心が穏やかでありますように。

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...

「愛別離苦」について

mika様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

皆、誰もが大切な人との別れは、つらく、悲しい、寂しくなるものでございます。

愛別離苦の苦しみ・・

愛別離苦につきましては、これまでにも下記の各問いにてお答えさせて頂いて参りました。

「愛別離苦について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319854.html

もちろん、すぐには乗り越えられない、折り合いはつけられないものであって当然です。それがゆえにも仏教では、私たちの代表的な苦しみとしての八苦(生苦、老苦、病苦、死苦、愛別離苦、怨憎会苦、 求不得苦、五蘊盛苦)の一つとして「愛別離苦」も挙げられている次第でございます・・

しかし、釈尊は、これらに代表されている八苦の苦しみを無くすためにはどうするべきであるのかという教えをお説きになられておられます。その基本となるものが、「四聖諦」(苦諦・集諦・滅諦・道諦)という教えとなります。

「・・苦しみは確かにあるが、その苦しみには、必ず原因・条件(縁)があり、その原因・条件(縁)をしっかりと見極めた上にて、その原因・条件(縁)を解決させることによって、当然に結果としてのその苦しみを無くすことができるのだとして、そのための方法・手段を様々に巧みなる方便にてお説きになられました次第でございます。・・」

拙生もまだまだではございますが、mika様もこれから少しずつでも仏教を学び修されていかれる中で、それらの苦しみも乗り越えていくことができるようになっていくのではないだろうかと存じております。是非共に頑張って参りましょう。

また、悩みがある時には、いつも話を聞いてくれておりましたお父様の代わりといっては、まだまだ役不足かもしれませんが、是非、hasunohaへとこれからも気軽にご質問、ご相談なされて下さいませ。

川口英俊 合掌

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質問者からのお礼

お言葉ありがとうございます。
「会える」と断言してくれてすぅ~っと心が少し楽になっていくのを感じました。

小原様の言ってくださったこと、本当によくわかります。
つらい気持ちも、泣くことの意味も、感謝の気持ちも。
何度も読んでかみしめています。

中村様 手元供養という方法があるのですね。
ちょっと検索してしまいました。
手元におくといつまでもふっきれないのでは・・・とちょっと心配になりつつ、考えてみます。

釈心誓様
ちょうどうちが浄土真宗で最近お経に親しむようになりました。
きらきらと輝く極楽浄土で会うために、いまを生きねば・・・と思います。いつか会う世界を楽しみにしています。

川口様
49日法要が過ぎましたが、まだなかなか乗り越えられません。
他の方への回答を拝見させていただき、何度も言葉を読ませてもらいました。
誰にでもおこる苦しみで、ひとりではない、
皆つらく、それでもなんとか折り合いをつけようとしていると思うとそれだけでしっかりしないと!と思えます。
まだまだ迷いが多いですが、縁を探り解決していきたいです。
ありがとうございます。

「亡くなった・死んだ人に会いたい」問答一覧

父は今、笑顔でいますか?

はじめまして。いつも拝見させていただいております。乱雑な文章ですが、どうかよろしくお願いします。 今年の4月に父を亡くしました。人の住まいを作る、立派な父でした。 2ヶ月経った今も、ふと涙が止まらなくなります。 約1年前に病気がわかったときから、父はなにを考え、一日一日を過ごしたのでしょうか。 闘病中は家族みんな希望を捨てず、可能性を信じて父を励まし続けました。父はそれに応えるように、弱音を一切吐かず治療を頑張り、体が以前のように動かなくなっても“生きる”という意思を貫きました。私たち家族の為だったと思います。 亡くなる1週間ほど前に、私が「父さんは絶対大丈夫。絶対治る。」と言ったとき、父は「嬉しい。」と言って泣きました。父がこんなにも泣く姿を初めて見ました。 でももしかしたら、父は、“自分はこの先どうなるんだろう“という不安に寄り添ってほしかったかもしれないと、今更答えの出ないようなことばかり考えてしまいます。私がポジティブな言葉ばかりかけ続けていたのは、ただただ自分自身の為で、私が父の病気を受け入れられず、現実から目を背けていたのではないかと思います。 ときには不安を共有し、泣きたいときには一緒に泣いてほしかったのではないでしょうか。 自宅で明け方に亡くなった父は、家族に「おやすみ。」を言って、みんなが寝静まってから、眠ったまま逝ってしまいました。苦しんだ形跡もなく、寝入るときのままの表情だったので、本当に穏やかに眠ったのだと思います。父の最後が安らかで良かった、生前積んできた徳がこうして人生を締めくくったのだと思いました。 しかし私たち家族は旅立つ間際に手を握ることも、今まで大切に育ててくれた感謝を伝えることもできませんでした。 お医者さんや看護師さんは、“人は死に方を選ぶ”とか、“お父さんは自分で決めて、この時間に逝ったのだ”と言ってくれました。確かにこの言葉にどれだけ救われたかわかりません。 でも、私が眠らずに手を握っていれば…逐一様子を見ていれば…とどうしても後悔が消えません。 まだまだこの世でやりたいことが沢山あったと思います。でも強い人でしたので、自分の生きる世界が変わったことなど早々に受け入れて、新しい毎日を過ごしているのではないかとも思います。 父は今、笑顔で私たちを見守ってくれていますか?

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おばあちゃんに会いたくて苦しい

こんばんわ。 先日もこちらで投稿させていただき、その際はお言葉をいただきましてありがとうございました。 大好きで大切だったおばあちゃんが旅立ち、告別式がおわり、通常の生活に戻ったのですが、ふとしたときにおばあちゃんに会いたくてお話ししたくて、苦しくなります。 おばあちゃんは生前からピンピンコロリといきたいと言っていたそうで、本当にその通りの最期だったのです。虚血性心不全の突然死でした。 しかし、こちら側としてはあまりに急すぎて、受け止めるのには時間がかかりそうです。 まだまだ、おばあちゃんは元気だとおもってました。なにも病気をしてなかったので100歳くらいまで生きて、ひ孫を抱かせることができると本気で思ってました。 90歳という年齢で、最期までほとんど周りの力を借りず、自分で料理や洗濯、身の回りのこともこなして生活をして、頭もはっきりしていて、ずっとニコニコしていて、かわいくて、本当に立派で尊敬できるおばあちゃんです。 でも、急すぎて伝えたいことを伝えることができませんでした。大人になってから1人でおばあちゃんちに遊びに行って、喜んでもらおうとおもっておばあちゃんにご飯を作ったりもしましたが、たったの2回しかできませんでした。もっともっとしてあげたかったです。大好きで大切で尊敬しているということを伝えたかったです。 おばあちゃんの遺骨や位牌やお線香などは実家にあるので、離れて暮らしてるわたしの家には小さい遺影しかありません。 わたしがおばあちゃんに対して思ってることを伝わるようにと思って、毎日遺影に話しかけています。ご飯も一緒に食べています。毎日お菓子やお水などもお供えしています。これからお線香をあげられるような小さい仏壇も買おうと思っています。棺にも思いを書いたお手紙を家族で書きました。 おばあちゃんにわたしの思いは伝わっているんでしょうか。伝わってると信じてますが… また、わたし以上に辛いのがお母さんだと思います。わたしたちの前ではあまり弱い姿を見せないのですが、本当はすごく辛いと思います。 わたしにできることはなんでしょうか。 また、おばあちゃんに会いたくて会いたくて仕方がないたきはどうすればいいですか。 長文乱文乱筆で申し訳ありません。お言葉をいただければ幸いです。

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お母さんに会いたい、声が聞きたい

6月末に母が亡くなりました。ガンでした。母の希望が自宅で生活したいと言うものでしたので、旅立ちは家でした。 旅立の日は家族みんなで同じ空間にいました。 リビングにベッドがおいてあります。 ちょっと台所に行くね と声をかけ しきりなしの台所に私が3分いって 帰ったよ と母のところに戻ったら息をしていませんでした。 静かでした。 父と兄と私と私の夫、2歳の息子、みんなで協力して母を支えられたと思っています。 本当にいい時間が過ごせました。 母は保育士をしていました。息子のいやいや期や人見知りをもろともしませんでした。 はいはい、可愛いねー(笑)って感じです。 最初は ばぁば好きじゃない と言っていた息子でしたが、旅立つ前日は ばぁばとぅきとニコニコ。 母は笑顔でありがとうと言っていたのが印象的です。 私には旅立つ前日、 おはぎ、ジュース飲みたい と大きな声でせがみました。 ジュースがなかったので息子のアンパンマンジュースを これで我慢して と言って渡しました。 頭をペコリとし、また穏やかにありがとうと言ってくれました。 親孝行できたし、全力で母の思いに答えられ、後悔のない看取りができたはずなのに、とてもさみしいです。 目を閉じると母が優しく微笑んでます。 おはぎと呼んで欲しい 膝枕して欲しい 母に会いたいです。

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どうしても亡くなった母に会いたいです。

私はうつ病とパニック障害を持っています。 診断されてから約二年半が経ち、一度復職したりもしましたが、結局続ける事が出来ず二年半ほぼ働けず過ごしています。 病気になる前からママっ子だったのですが、病気になってからはそれまで以上にママっ子になっていました。 お母さんの買い物についていくのが気晴らしで、買い物の帰りにコンビニでコーヒーを飲むのが楽しみでした。 診察の帰りに駅ビルに寄ってちょっとお買い物してコーヒーを飲むのが楽しみでした。 そんな母を今年の春、病気で亡くしました。 まるで心に大きな穴が空いたような気持ちです。約3ヶ月経ちましたが、その穴は埋まる事は無くどんどん大きくなっていっています。 毎日心の中で「迎えに来てね」と話しかけながら寝ていますが迎えに来てくれません。 母は私に生きていてほしいと思っているであろう事は分かっています。 でも、私はもう限界で母に会いたいんです。 あの世には天国と地獄があると言いますが、最期まで病気と戦い抜いた母はきっと天国にいます。 私は母に会いたいからと言って自殺するときっと地獄にいくんですよね。 すると母に会えないままなんでしょうか? どうにかして母に会える死に方は無いでしょうか。 少しでも早く会いたいと思っています。 お坊さんに死に方を聞くのはおかしな話だと思いますがお答え頂けますと幸いです。 あともう一つお聞きしたいのですが、四十九日も終わってしまった今、母は天国に上がってもう私の近くにいてくれてないんでしょうか? 長くなってしまいましたがお答え頂けますと幸いです。

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主人に会いたくてたまらない

いつもお世話になっております、先月四十九日の法要が終わりとてもほっとした自分がいました、四十九日の法要がいかに大切かということがわかり素晴らしい1日になったと思っています。その後から仕事に復帰しました朝晩読んだことのなかったお経をあげることで1日がはじまり1日が終わります、朝お仏壇に行ってきますと言い帰ってきたらただいまという毎日、ふと思うんです最愛の主人はいつもどこにいるんだろうと、毎日うちで可愛がっていたペットたちと留守番をしてくれているのか、仕事中もずっと私のそばにいてくれるのか?今どこにいるのと毎日何度も思います、仕事の帰りは運転しながら毎日号泣してしまうのですが、そんなとき私の前を走っている車が主人と同じ車だったり信号待ちをしてるとびっくりするくらい大きくてきれいな雲をみたり飛行機雲がみえたりします、そんな時は主人が合図してくれてるんだと思うのですが、夕べは主人が生きててよかったって主人に抱きついている夢をみて目覚めるとやっぱりいないんです、たまらないです、すぐにお仏壇の前に座り私からは行くことはできないから、あなたが迎えに来て私の手を引っ張って連れて行ってと泣いてました、いま主人はどこにいますか?私の姿は主人から見えているんでしょうか?教えて下さい。

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母と会いたいです。中々立ち直れません。

先月母が癌で亡くなりました。 私は学生で一人暮らしのため、両親とは離れ離れで過ごしていました。 母の病気については夏の帰省でおおまかに知らされており、「頑張って治すから勉強頑張ってね」と言われその言葉を信じてました。でも年末年始や2月の帰省と日が経つにつれ、母の状態が悪くなってるのは多少私も気付いていました。でも母は私の前では一切キツそうな姿は見せず、いつも笑顔で振る舞っていました。 そして3月下旬に父から「長くないかもしれないから帰ってきて欲しい」と言われすぐ地元に帰ると母は入院しており、いままでの姿とは変わり、とても辛そうでした。 それでも治ることを母も私達家族も信じていました。そして数日が経ち、いつも通り面会時間ギリギリまで一緒にいて「また明日ねーっ!」と笑顔で大きな声でハイタッチしてくれました。しかし、その数時間後に母は息を引き取りました。 母は、いつも私と姉のことを心配してくれて、私達のことをとても大切にしてくれました。そのため末っ子でまだまだ未熟である私には病気のことをあまりくわしく話さず、心配かけまいと母はしてくれていたと後日聞きました。医師から聞いた母の病も 自分が想像してた以上でした。それらを聞いて以降私はとても後悔して毎日涙が止まりません。ごめんねやありがとうも言えず、何にもしてあげれなかったし、ひとり暮らしで迷惑ばかりをかけて、ましてや母が病気と闘っているのに自分勝手になってしまい母の気持ちを傷つけたときもありました。 可能なら過去に時間が戻って、ずっと母と過ごしたいです。 泣いてばかりでたくさんの迷惑をかけたので母に合わせる顔が無いかもしれませんが、また会って笑顔でお話したいです。

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4年前に亡くなった親友

まだ20代前半だった頃、学生時代の同級生が急死しました。急性の病気でした。 わたしの学生生活は彼女がいなければ、つまらなかっただろうなぁと思うくらい、思い出がたくさんあります。 一緒に旅行にたくさん行きました。お互いいろんなことで悩んで、泣いて、励まし合いました。 夜中でも長電話に付き合ってくれました。 そんな彼女は大学卒業後まもなく結婚し、子どもを出産しました。幸せそうな親友を見られてとっても嬉しかったです。 それからたった1ヶ月後に亡くなってしまいました。 告別式後もしばらくは現実が受け入れられませんでしたが、それでも時間はたっていき、あっという間に30歳目前です。 わたし自身、幸いなことに身近な人が亡くなるという経験がそれまでありませんでしたので、どういう心持ちでいることが彼女の供養になるか、この4年間はっきりとわからずに過ごしてしまいました。 ふとしたときに、会いたいなぁ、話聞いてほしいなぁと思います。 遊びにいった場所など楽しかったこともよく思い出します。 わたしが仕事でストレスを抱えて精神的にきつくなったとき、たまに夢に彼女が出てきます。夢なので、気のせいかもしれませんが、それでもなんとなく元気になれます。会えた気がするので… 故人との思い出を思い返したり、また会いたいなと思うだけでも、伝わるのでしょうか。 今は苦しみのない世界で過ごしていてほしいなと願っています。

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