hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

他人を気遣う事ができない

回答数回答 2
有り難し有り難し 24

こちらで何度か相談しているものです。
以前の質問から、死にたいと思う気持ちが消えたり現れたりしてしまい、苦悩しながら生活を続けています。

こちらでありがたいご回答をいただき、自分なりに考えてきましたが
私には「他人を気遣う心」というものが無いのではないかということに気付きました。
正直にお話しますと、他人の事を気遣うことが大事と言われても、その言葉に煩わしさを感じたり
自分を犠牲にして、他人を気遣わなくてはいけないことに苦痛を感じてしまいます。

自分のことだけに集中したい、他人なんかどうでもいい。自分のやりたいことだけに集中していきたいと考えてしまう、私はダメな人間なのでしょうか。

今まで、他人を気遣い、他人に目を向けて生きてきましたが、やはり苦痛で仕方がありません。他人ばかり見て、他人がこちらばかりを見ている姿を見ていると、どうしても監視されているみたいで、とても怖くて仕方ないのです。

もう他人ばかりを気遣う生活に疲れてしまいました。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の感情が楽だと感じることをしましょう

金平糖様
こんにちは。拝見させていただきました。

「他人を気遣う心」というものが無いのではないかとのこと。それは出来ないと思います。なぜなら金平糖さんはずーっと気遣いの中で生きてきたのですから。ずーっと他人の価値観の中で生きてきたのです。不安を抱えた人間によって「自分には価値が無い」と思い込まされてきたのです。また家族に「受け入れて欲しい」という気持ちを満たされずにきたのです。残念ながら金平糖さんのご家族は強い不安を抱えて生きてきたのだと思います。それは両親の不仲で余裕がなかったのか、それともご両親もまたその上のご両親に愛されなくて育ったのか。心が不安でいっぱいになると他人を受け入れることは出来ません。それどころか他人を不機嫌な雰囲気や言動によって(あなたの為にという正論を使う)支配しようとしたり、相手をいじめる(無関心)によって自分を守ろうとします。

「死にたい」という思いは「存在の居場所が欲しい」「愛されたい」という心の叫びです。そんな不安な人間達の中で金平糖さんはそれでも生きてきました。努力と我慢の中で耐えてきた。一体いつ報われるのだと思いながら生きてきたのだと思います。自分自身に「がんばったねぇ」と声をかけてあげてください。価値が無いと「信じ込まされた」のです。あなたが悪かったわけではなく、心の不安な人達は近くの人に寄りかかろうとするのです。

まずは自分の人生を生きましょう。「つらかったなぁ」と声に出す。これが自分を受け入れるということです。「見返りを求めない範囲でできる自分がされたら嬉しいことをする」で十分です。他人が喜ぶかどうかではなく、自分がその事をして感情が楽だと感じる範囲で行えば良いと思います。日常の中で感情がどのように動いているのかを感じてみてくださいね。不安が襲ってきたら深呼吸3回。

価値が無いと思い込まされたのをそろそろ置いて一休みしませんか。ここまで生きてこられた金平糖さんは十分立派です。ゆっくりいきましょう。応援しております。

合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせて...
このお坊さんを応援する

人への思いやりです

拝読させて頂きました。なるほど、あなたの疑問もっともにも思いました。
あなたの今まで生きてきた中での人とのお付き合いの仕方にもやはり原因はあるように感じます。
他人を気を遣うということは私は人は一人では生きていくことはできませんから、自分以外の方々のお力を借りてお互いを尊重しながら助け合い生きていくことを通してお互いに思いやりの心をもって人に接することかと思います。
腫れ物に触る様に人の感情に対してアンテナを張って敏感に反応することとは本来的に違うと思います。
人が自分をどう思っているのか、どう対応すれば機嫌を損ねないかのような人間関係はお互いの利害関係ばかりを優先することですから、人を尊重して思いやることとは根本的に違うと思います。
先ほど申しました通り私達はみんな一人では生きてはいけません。様々なものごとや人々に囲まれて守られて生きているのです。その中でみんなが幸せに生きていくことが大切ですし、そうみんなで求めていくことが生きることの目的でもあります。
そうして生きていく為に本当に必要なことが人を尊重し思いやることつまり、気を遣うことにつながってくることかと思います。
あなた自身にもそのようなお気持ちはあるでしょう。
あなたがこれからの未来に大切な方々とのご縁に恵まれてお互いを尊重しあいながら共に助け合い、共に健やかに成長しあいながら心豊かにお過ごし頂きます様にと心よりお祈りさせて頂きます。
あなたの心が人々との信頼関係の中でご成長なさって頂きます様にと願います。

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

>一向寺 kousyo Kuuyo Azuma様

ご回答くださり、ありがとうございました。確かに、過去に困っている人などを見た時、自然と体が動いてしまい、気がついた時に相手から「ありがとう」と言われた時、とても気持ちが良く「あぁ、良かった」と思えることがありました。また、私自身も困った時、救われたことで感謝の気持ちを感じたことがあります。

そして、kousyo Kuuyo Azuma様がお話くださった「利害関係」を考えて行動した時もあり、その時は、とても不安になりながらも手助けをしていたことがあり、あまり良い気持ちにはなれませんでした。特に、小さい頃は、姉の言うことばかり聞かされ、聞かないことで暴力等を受けていたりしたので、そこから「私は利用される人間なんだ」と思うようになり、人を心から信頼することができませんでした。

kousyo Kuuyo Azuma様のおっしゃる通り、過去の人間関係に原因があって、その原因を自分の中で払いきれないことで苦しいのかなと思いました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ