自分が情けないです。回答受付中
私は今19歳ですが、高校生をしています。
今年単位を取れずまた来年も高校生です。
1度学校に行けず退学、その後通信制に入りましたが提出物が出せず単位を落とし続けています。
あとはお金の使い方も酷いです。どうしてかお金が少しでもあると使い切らなければいけない気がして、所持金以上にお金を使ってしまいます。カードも何枚も作って、結局自分で払えず親に出してもらって。
何度も何度も親に叱られてるのにやめられません。自分にすごく甘いのはわかっています。
すぐ調子に乗ってしまうことも。
そんな自分が本当に情けなくて、周りの人に申し訳なくて、
もう死のうと何回も考えています。
どうしても自分の人生を振り返ると自死をしないといけないと思ってしまいます。
そして、もし自死を選んだ場合、私は地獄に行くのでしょうか
この気持ちを相談するところもないので質問してみました。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
苦手な部分は対策を。一つ一つ試しながら自分に合う方法見つけて
自分のいい加減さが嫌になってしまうのね。
提出物の把握や金銭の管理、身の回りのことを自分で整理するのが一人では限界なのではありませんか。学習障害などがあるのかなと、心配です。
自暴自棄にならなくても大丈夫よ。自分が苦手な部分は、対策をしていきましょう。提出物は、メモに書いて、一つ一つ忘れないようにチェックする習慣をしてはどうですか。金銭管理は、カードやPayのキャッシュレス決済ではなく、現金のみにしましょう。出金ノートに書いて、出し入れを把握する。そんな管理法を実践していきませんか。
一つ一つ、やれることを試しながら、自分に合った生活を見つけていきましょうね。
様々な支援先もありますが、まずは自分の状態を知ることも必要。気になるようなら、ネットからも調べて見たり、受診もしてみましょうね。受診のためにも、親にきちんと相談してみませんか。
生きづらさと自分を責める心
1. 自分を責めすぎないでください
「怠けている」「甘えている」とご自身を厳しく責めておられますね。でも、通信制での提出や生活の管理は、思っている以上に難しいものです。提出物やお金の管理が苦手なのは「努力が足りない」だけではなく、脳の特性や心の疲れによることも多いのです。つまり、それはあなたの人間性の価値とイコールではありません。
2. お金の使い方について
「あると全部使ってしまう」「カードを何枚も作ってしまう」と書かれています。これは依存的な行動や衝動性の一つで、意思の弱さではなく「心のSOS」が行動に出ている可能性があります。医師やカウンセラーに相談することで、仕組みや対策(口座やカードの制限、使う前に一呼吸おく工夫など)を一緒に考えることができます。
3. 「死ななきゃいけない」という思いについて
「もう死ぬしかない」と考えてしまうのは、それほどまでに心が追い詰められている証拠です。でも仏教では、自死したからといって必ず地獄に落ちると決まっているわけではありません。むしろ、「苦しみから逃げたい」と思う心は、誰の中にもある自然な気持ちです。大切なのは、「死ななければならない」のではなく「今の苦しみをどう和らげるか」を一緒に探すことです。
4. いま出来る小さな一歩
専門の助けを借りる
心療内科や相談窓口につながってみてください。あなたの行動パターンは「意思の弱さ」ではなく、専門的な支援が必要なサインです。
誰かに気持ちを話す
親しい人でなくても、支援員や電話相談で大丈夫です。「死にたい」と思ったら一人で抱え込まず、必ず誰かに話してください。
小さな成功体験を積む
「提出物を全部」ではなく「今日は1ページ書いた」「今日はカードを出さずに過ごせた」といった小さな一歩を、自分で認めてください。
あなたが感じている苦しみは、怠けや甘えではなく「心が限界まで疲れているサイン」です。死で終わらせるのではなく、「どう生きるか」を一緒に考えていく道があります。あなたは生きていていい存在です。
合掌
こんにちは。
あなたの言葉、一つ一つ、胸に響きました。
「何度も失敗してきた」、「人に迷惑をかけてしまった」、「自分が情けない」
その思いが、あなたの文章のすべてに込められていて、それだけで、あなたがどれだけ誠実で、必死に生きてこられたかが伝わってきます。けれど、どうか忘れないでください。仏教は、「失敗したら終わり」ではなく、「気づいたところから始まる教え」です。
親鸞聖人は、こんな言葉をのこしています。「さるべき業縁の催せば、いかなる振る舞いもすべし」人は、どんなにまじめな人でも、環境や心の状態、出会った縁によって、思いがけない失敗をしてしまう存在だと。
あなたがしてきた選択の中には、もしかしたら“どうにもできなかった”ものもあったのかもしれません。学校に行けなかったとき。誰にも助けを求められなかったとき。不安でお金を使ってしまったとき。
人は時に「わかってるのに、やめられない」ことがあります。でもそれは、あなたが“だめな人間だから”ではなく、まだ心の痛みを抱えているからかもしれません。
その心が少しずつ癒えたときに、「ああ、あの時の自分も仕方なかった」と思える日が来ると、私は思います。そして、「死なないといけない」と思ってしまうほど苦しんでいるあなたに、伝えたい言葉があります。
「自死は地獄に堕ちる」と言う人もいるかもしれません。でも仏教の本質はそうではありません。仏教は、“裁く”教えではなく、“理解し、寄り添う”教えです。どんな苦しみの中にあっても、仏さまは見捨てず、あなたを包もうとしてくれています。
生きている間にどれだけ罪を犯したとしても、「こんな自分ではダメだ」と苦しんでいる心そのものを、仏さまは見ておられるのです。自死した人が地獄に行くのではありません。「こんな自分では愛されない」と思ってしまうことが、すでに地獄のような苦しみなのです。
今のあなたに必要なのは「死ぬこと」ではなく、「今までの自分を責めすぎずに、もう一度、生きてみようとすること」です。あなたの命は、かけがえのないものです。苦しみの中にいる今こそ、誰かとつながっていてください。お寺でも、支援団体でも、学校でも、病院でもいい。「もうダメだ」と思う前に、どうか助けを求めてください。
あなたの未来は、まだ閉じていません。それだけは、どうか忘れないでください。