自分を大切にするとは?
自分を大切にしなさいと言われました。
自分を大切にするとは具体的にどうしたらいいでしょうか?
自分の立場が悪くなるようなことはしない方がいいと、割りきることも大切だと、上司の言うことを聞いて仕事をしていれば、
「自分のために働いている」と責められ、
自分の思ったことを言えば、なんでそんなにこだわるのか、と責められる。
疲れているから休め、と言われるが、休んでいる余裕はない。
諦めれば楽になる、でも、諦めたくない
自分の体を大切にしろ、と言われるが、大切にする方法はどこにも書いてありません。
誰も教えてくれません。
自分の立場を守れと言われるが、お前は自分の立場を守っていると責められる。
心構えがないのは詐欺師だと。
人を信用するな、でも、信頼関係が大事だそうです。
自分の好き勝手やっている人は許されるが、
私が自分の考えを持てばそれは違うと否定される。
いろんな人から矛盾することを強要され
もう壊れそうです。
もう誰にも迷惑をかけたくない。
両親にも申し訳ない。
諦めたくない、でも私はいったいどうしたらいいのかもわかりません。
考えがまとまりません。
自分を大切にするとはどのようなことですか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
立場と相手で助言は変わり、それを選択するのはあなたです。
はじめまして。亀山純史と申します。
人は立場が変われば言うことも変わります。
私に対して、親が言う言葉、友達が言う言葉、上司が言う言葉、同僚が言う言葉、みんなそれぞれの立場でものを言うのです。ですから、時として矛盾とも思える言葉を言われたりするのです。
また、人は相手が変われば言うことも変わります。
お釈迦様の説法は対機説法と言い、その人にあった教えを説いたのです。そのために仏教の教えは、俗に八万四千の法門と言われているように、数多くの教えが存在するのです。
では、私たちはどうすればよいのでしょうか。
一つには、それぞれの人の立場を理解してあげることです。ある立場に立っているが故に、言わなければならないこともあるでしょうし、時には、あなたに同情の言葉をかけてくることもあるでしょう。
二つ目には、あなた自身が助言、アドバイスを「選択(仏教読みでは「せんじゃく」または「せんちゃく」)」していくことが大切だと思います。先ほど仏教の教えは八万四千あると言いましたが、その数多くの教えの中から、それぞれの宗派の宗祖の方々は、自分にふさわしい教えを選び取った(選択した)のです。「自分を大切にしなさい。」と言われたまるこるさん、是非、自分で、自分自身に問いかけられた「自分を大切にしなさい。」とは何を意味しているのかを、「選択」してみてください。
人はいい加減なことを言うものです
人間は時と場合によって言うことをコロコロ変えます。
本当に相手のことを考えていたとしても、その人に合った的確なアドバイスや指摘などはなかなかできないものです。
「自分を大切にしなさい」と言った場合、「自分の思うようにしなさい」「自己保身をしなさい」「他人は無視しなさい」「自分を安売りしないように」等、なんとでも解釈できますね。
個人的には、あまり人の言うことはまともに受けない方が楽な生き方だと思います。
みんないい加減なことばかり言うのですから、一つ一つ受け止めていたら大変です。
私は僧侶ですからお経の言葉を大切にしてます。
仏様の言葉は真実まことな言葉なので。
大切なのは本当のあなたです。
矛盾を強要されているとお感じのようですが、おそらく周りから言われたことを、あなたの中で整理出来ないというだけではないでしょうか?
自分を大切にすることは立場を護ることだとお考えでしょうか?
ならば、あなたは何のために仕事をしていますか?
生活のため、収入を得るため、夢の実現のため…
いろいろ理由はあるでしょうが、考えてみて下さい。
会社のためとかお客様のために働いているというなら話は別ですが、
そうでないなら、おそらく自分のために働いているのではありませんか?
ならば、自分のためにやっていることです。
いろいろな状況に於かれても、あなたがあなたでいるために力を使うこと。
それが本当に自分を大切にするということではないでしょうか?
あなたも「諦めたくない」とおっしゃっているように、責められるから諦めるなら、それはもうあなたではありませんね。
責められることもあるかもしれませんが諦めないでやり遂げて下さい。
自分のために働いているといわれるなら、その通りなのですから、会社の利益に貢献してお客様を喜ばせて下さい。
今は文句を言われても、いつか文句を言わせないあなたになって下さい。
その結果が立場にもなり収入にもつながります。
無理をして身体を壊しては元も子もありませんが、
今やらなければならないことがあるならば、それと休息を天秤にかけてみて下さい。
どちらを取るかで結果が違ってくるはずです。
人を信用するなと言われるなら、その人を信用した自分を信用して下さい。
そうしたら、何か失敗があってもその人のせいではなく、その人を信用した自分のせいです。
言い訳をしなくてすみます。
好き勝手をやって許されている人は、そうなるまでのプロセスを踏んできた人です。
自分もそうなりたいなら、あなたもちゃんとプロセスを踏んでみて下さい。
その時には、誰もあなたを責めなくなります。
「楽」でいることと「楽しい」ことは全くの別物です。
「楽」は、雨風を避け、平坦な道を選び、自分をごまかしながらでも休もうとすることです。
「楽しい」は、雨風がきつくても、道が険しくても、やりたいことのために努力しなければ決して得ることは出来ません。
本当のあなたを楽しませることを考えてあげて下さい。
ちょうどいい程度(いい加減・適当)に。
お釈迦様はこんな話をされました。
琴の糸は、強く張りすぎると切れてしまう。しかし、緩めすぎると音が出ない、と。
極端すぎるとうまくいかない。
ちょうどいい具合、適当、いい加減が良いのです。
お釈迦様のお弟子さんの中に、修行を極端にがんぱりすぎてダメな人がいました。また別のお弟子さんで、修行を怠けすぎてダメな人もいました。
お釈迦様は、前者にはもっと手を抜け(自分を大事にしろ?)と言い、後者にはもっと頑張れと言いました。
一見矛盾してるようですが、お釈迦様の考えるちょうどいい具合に比較して、言っているのです。
あなたの上司にも、その方なりの「ちょうどいい具合」があり、あなたは、時にはそのレベルを超えすぎ、時にはそのレベルより低すぎたのかもしれません。
問題点としては、一つは、あなたが生真面目すぎて柔軟性に欠けるのかも。
もう一つは、あなたのプライド煩悩が強すぎて、上司の考えている「ちょうどいい具合」に委ねてみることができていない、あなた自身の「ちょうどいい具合」が完璧だと思っているのかもしれません。
上司は、仕事上では経験もあり立場も上なのですから、仕事に関しては、あなたの判断基準をおいといて、上司の「ちょうどいい」を探り、委ねてみてもいいかもしれません。
もう少し上司を尊敬し、甘えてみては。