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前世の記憶

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前世の記憶があるというこどもがいるそうですが

なぜ、その子たちは前世の記憶があるのでしょうか?

また、前世の人がその子たち宿っているのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

唯識

唯識という考え方があります。
あらゆる現象は識(しき)、つまり心からできているという考え方です。
識には、第一識から第八識まであります。
第一から第五識とは、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の五つです。
つまり、五感の感覚それぞれが五つの識からできているというのです。
次に、第六識が、意識です。私たちが頭で考えることです。
第七識は、マナ識です。私たちの自我(これが私だ)を作っている識です。
第八識は、アーラヤ識です。この宇宙のあらゆる存在は、このアーラヤ識が生み出しており、すべてのデータがアーラヤ識にあります。
すべての生命のすべての前世の情報もアーラヤ識にあります。
しかし、マナ識という自我の枠は、すべての前世にアクセスするのを阻止し、自分の前世だけを枠にくくって執着しているのです。
そして、マナ識の情報すべて(あらゆる過去の自分)を意識(今の自分)が思い出せるわけでなないんですが、
精神的に能力の高い人は、マナ識(すべての自分)にアクセスして前世を思い出せるのです。
さらに、マナ識(自分)の枠さえも超えられる仏様レベルは、マナ識(過去の自分)だけでなく、アーラヤ識(すべての生命の過去)にアクセスできるのです。
前世の記憶を思い出せる子どもは、何らかの要因で(過去世で修行したとか)、精神的能力が高いのでしょう。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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それでもその子はその子

記憶があろうが無かろうが、それでもその子も、あなたも、「今日の今ここを生きている」こと以外に、何か別事がありましょうか?
記憶というものは、今の念でござる。
それは所詮、今の念、今の思いに過ぎぬ故に、相手にしても、そこには実質はもうすでにありませぬ。
それでも過去に興味がおありなら、アナタは前世の研究者に成るべく精進されるのも良いでしょう。
私たちはどんなに記憶、過去のDATAをDNA的に抱えていても、それでも今日は今日の命をこの体一つで生きています。
この体一つ、といいましても、道に生えている植物一本にすら、無限の虫、死骸の生命のカケラを有する。
その集合体が私達が食する命であり、私たち自身です。
それが命の実質なのです。
心臓移植で、タフな男性から心臓を女性に移植したら、今までその女性が食べたいとも思わなかったから揚げを食べたくなったとか、ビールを飲みたくなった、という症例もあるそうです。
それでも、そのひとを生きているのは、その人なのです。
あなたが、仮にどんな記憶があろうが無かろうが、その記憶のあった時代はとっくに過去であるし、生命として必要な情報はすでにDNAで授かっています。
小説家、夢想家になられるという強い志が有るのでもない限り、なるべく、妄想、ファンタジー、空想世界に旅立たずに、ちゃんと、今世、今人生、今世紀、今年、今月、今日の今というリアルタイムのLIVE会場で、対峙している今の出来事とのセッションの中で、ちゃんとライド・オンして即興してゆく中で、あなた自身の確かな記憶を、あなた自身が、この今において、鮮明に刻んでいくことがあなたの人生を一番色濃くすることです。(-ω-)

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昨日のあなたはもう必要ない

まつなかさん、こんにちは。

前にも、前世もあなただと言いましたよね。

私たちの目の前の現実というのは、全てがそこにあるという認識から生まれるという説があります。

ここで説明するにはあまりにも膨大で説明できませんが、私たちのこの身体さえも、ここにあるという認識から生まれているというのです。

その説によれば、私たちには、頭や感覚で認識できない深層意識があり、今の意識からは直結できないようになっています。

その深層意識は、私たちが経験した色んな意識をため込む「蔵」のようなものだと言われています。

ここからは想像ですが、前世の記憶がある子供は、今世に生まれてきたときに、その深層意識の蔵から、今世に生まれるために最低限必要な記憶を持ち出しているのかもしれません。

それらを扱う皆さん(仏教ではありません)の間では、子供が前世の記憶を持っているとしても3歳くらいから長くても4から5歳くらいまでで、その記憶は物心がつく頃には忘れているといわれています。

何故記憶があるかについても、その方面を扱う方々の説では、おそらく前世の宿題を何らかの形で実現するための環境を選んでくるからではないかといわれています。

しかし、何度も言いますが、仏教では今を大事にしなさいと教えています。

前世の意識に縛られると、今回この身体を持って生まれてきた意味が大きく失われてしまいます。

今世が前世の記憶からはじまるなら、全く違う環境に生まれた時には、その記憶と今を合わせるために莫大な労力と時間を費やすでしょう。

もしかしたら数十年?数百年?

物心ついたばかりの赤ん坊のあなたにそれが堪えられますか?

覚えていてはいけないから忘れるのです。
覚えているべきではないから覚えていないのです。

今を生きなければいけないからこそ、覚えていてはいけないのです。

その子たちに前世の人が宿っているもなにも、前世の人は、今世と違う人生を送ったその人本人です。

でも、今世のその人ではないので今世には必要ありません。

昨日のあなたが今日は必要ではないのと同じですよ。

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おきもち

質問者からのお礼

ありがとうございます

「輪廻転生」問答一覧

解脱する方法は確立されていますか?

私には、「もう二度と人に生まれたくない」という、漠然とした、でも強烈な願望があります。 生まれ変わった自分は今の自分とは関係のない赤の他人であり、そんなことを気にする必要はない、なぜそのような悲しいことを考えるのか、もっと楽しく生きなさい なんてことを言われたりするのですが、むしろなぜ他のみんなはそう考えないのだろうと思うくらい 私にとっては本当に強く願っていることが「もう絶対に、絶対に生まれてこないこと」です。 仏教には輪廻転生の考え方があり、その輪から外れる方法が解脱だと聞き齧りました。 まだ仏教について何も知らない人間の質問で大変恐縮なのですが、 つまり解脱することができれば、もう命として何かに宿ることは二度とないのでしょうか。 私にはそれがとても魅力的なことに感じます。そこで、解脱の方法とは、こうである、と言うものが確立されているのであれば教えていただきたいです。 でもきっと、そんな簡単な、うまい話はないのだろうとも思いますし、この質問自体どこかズレているのかもしれません。 もし回答できるものではないのだとしたら、自己研鑽として、仏教について学びたいとも考えておりますので、何も知らない人間がまず手始めになにをすべきかを教えていただけますと幸いです。 このような場を設けていただいていること、質問のご縁をいただけたことに感謝致します。

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神通力

 前回「釈尊の悟りは神通力を得た結果?」を投稿しましたが、当たりのようです。  駒沢大学学長を歴任された水野弘元先生の著書「釈尊の生涯」の「成道と三明六通」には「(前略) そして濾尽智通以外の五神通は、必ずしも仏教者だけでなく他の宗教家や鬼神狐狸の類に至るまでも、浅深の差はあっても、これも得ることが出来るとせられる」と書かれています。  三明六通の「六通」とは先ほどにに記述の「五神通」とあるように、「六神通」と考えることが出来ますので、「神通力」を得たと考えて差し支えないと思います。  古代インド社会では「輪廻転生」は常識であったそうですが、当時のインド宗教者は、互いに神通力を競い合ったと考えられます。  三明の最初の一明は「過去に関するすぐれた智慧の宿命通(宿命明)」となっていますから、釈尊だけでなく、それ以前の宗教者にもそこに到達して、「輪廻転生」が世間に広まったと考えられます。  余談ですが、阿含宗を創設した桐山靖雄師は、著書「輪廻する葦」のなかで、成仏法と称して、神通力を修練することを勧めたようです。私は読んでいませんので想像ですが、論理の「阿含経」ではなく実践法の「雑阿含経」を研究していたようです。

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輪廻転生の考え方について

質問が2つあります ①仏教では輪廻転生と言う考え方で生まれ変わると言われていますが 人口の増減についてはどう考えているのでしょうか? 今の日本の人口は1億人を超えていますが 奈良時代 大宝律令ができたころは310万人~320万人ほどだったようです。 日本史の教科書では 昭和初期の満州事変が始まった頃のことを 日本は中国人4億5千万人を敵に回すことになった と書かれていますが 今は中国の人口は軽く10億人を超えています 同じ国籍だけに輪廻転生するとは限らない 世界規模で考えるべきとしても 現在世界の人口は70億人程度いるようですが 1世紀に前に比べても数倍になっています もっと言うなら 数万年前の ~~原人 とかいたころはどうなのか? とか いろいろ説明がつかないことばかりです。 昔の 江原啓之さんが出てくるような心霊番組はテレビでやらなくなりましたが (便乗した霊感商法 悪徳商法がはびこるようになるとか、輪廻転生を信じた人が人生をやり直すために自殺するケースが出たなどの理由で弁護士などがテレビ局に抗議したそうですが) 当時の番組では江原さんは輪廻転生を言っていて 「あなたの前世は~」と言う話になると 全て人間であり、他の動物だったケースは見たことがありません。 しかし 全ての人間が また人間に輪廻転生をするとすると 個体数の関係で辻褄が合わないことになります。 これは仏教ではどう考えているのでしょうか? ②私は亡くなったら全て「無」に帰す 霊魂も輪廻転生もないインチキだ と言う考え方は好きではありません。 それは 大切な肉親を亡くし時点で「永遠の絶縁」を意味するからです。 死ぬことは怖いとは思いませんが、肉親と未来永劫絶縁になると想像するほうが怖いです。 霊魂や輪廻転生を完全否定する宗教家の方もいるようですが、肉親を亡くしたら情なんて捨てろ と考えているのでしょうか?

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誕生の仕組み

 輪廻転生が真実であるとすれば誕生の考え方が大きく変わります。  まず結論から言いますと、「心は自分自身であり、親から貰ったものではない」と言うことです。 即ち自分の生老病死は自己責任であるということです。  ことわざからはじめますと、  「身体髪膚これみな父母より賜う。あえて損傷せざるは孝の始めなり」  これは身体だけであり、心は別ということになります。  「子は授かりもの」   もし心も親譲りであれば我が子であって、授かるとは言わないでしょう。  「とんびが鷹を産む」  親子の気質は別物であるという事でしょう。  「愚兄賢弟」  もし親譲りであれば、兄弟でも性格が違うとは、遺伝子的には考えられません。 原則的には類を以って集まるはずですから、性格が似ていることは多々あります。  臨死体験者(新堂のぶ子氏)の言葉(講演会にて)  「親が子を生むのではなく、子が親を選択する。」  ある宗教学者はネットで「龍樹と輪廻転生」と題し   「ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。」と述べています。  「意識」は心と同一と考えてよいと思います。   以上が結論の根拠です。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ