回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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唯識
唯識という考え方があります。
あらゆる現象は識(しき)、つまり心からできているという考え方です。
識には、第一識から第八識まであります。
第一から第五識とは、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の五つです。
つまり、五感の感覚それぞれが五つの識からできているというのです。
次に、第六識が、意識です。私たちが頭で考えることです。
第七識は、マナ識です。私たちの自我(これが私だ)を作っている識です。
第八識は、アーラヤ識です。この宇宙のあらゆる存在は、このアーラヤ識が生み出しており、すべてのデータがアーラヤ識にあります。
すべての生命のすべての前世の情報もアーラヤ識にあります。
しかし、マナ識という自我の枠は、すべての前世にアクセスするのを阻止し、自分の前世だけを枠にくくって執着しているのです。
そして、マナ識の情報すべて(あらゆる過去の自分)を意識(今の自分)が思い出せるわけでなないんですが、
精神的に能力の高い人は、マナ識(すべての自分)にアクセスして前世を思い出せるのです。
さらに、マナ識(自分)の枠さえも超えられる仏様レベルは、マナ識(過去の自分)だけでなく、アーラヤ識(すべての生命の過去)にアクセスできるのです。
前世の記憶を思い出せる子どもは、何らかの要因で(過去世で修行したとか)、精神的能力が高いのでしょう。
それでもその子はその子
記憶があろうが無かろうが、それでもその子も、あなたも、「今日の今ここを生きている」こと以外に、何か別事がありましょうか?
記憶というものは、今の念でござる。
それは所詮、今の念、今の思いに過ぎぬ故に、相手にしても、そこには実質はもうすでにありませぬ。
それでも過去に興味がおありなら、アナタは前世の研究者に成るべく精進されるのも良いでしょう。
私たちはどんなに記憶、過去のDATAをDNA的に抱えていても、それでも今日は今日の命をこの体一つで生きています。
この体一つ、といいましても、道に生えている植物一本にすら、無限の虫、死骸の生命のカケラを有する。
その集合体が私達が食する命であり、私たち自身です。
それが命の実質なのです。
心臓移植で、タフな男性から心臓を女性に移植したら、今までその女性が食べたいとも思わなかったから揚げを食べたくなったとか、ビールを飲みたくなった、という症例もあるそうです。
それでも、そのひとを生きているのは、その人なのです。
あなたが、仮にどんな記憶があろうが無かろうが、その記憶のあった時代はとっくに過去であるし、生命として必要な情報はすでにDNAで授かっています。
小説家、夢想家になられるという強い志が有るのでもない限り、なるべく、妄想、ファンタジー、空想世界に旅立たずに、ちゃんと、今世、今人生、今世紀、今年、今月、今日の今というリアルタイムのLIVE会場で、対峙している今の出来事とのセッションの中で、ちゃんとライド・オンして即興してゆく中で、あなた自身の確かな記憶を、あなた自身が、この今において、鮮明に刻んでいくことがあなたの人生を一番色濃くすることです。(-ω-)
昨日のあなたはもう必要ない
まつなかさん、こんにちは。
前にも、前世もあなただと言いましたよね。
私たちの目の前の現実というのは、全てがそこにあるという認識から生まれるという説があります。
ここで説明するにはあまりにも膨大で説明できませんが、私たちのこの身体さえも、ここにあるという認識から生まれているというのです。
その説によれば、私たちには、頭や感覚で認識できない深層意識があり、今の意識からは直結できないようになっています。
その深層意識は、私たちが経験した色んな意識をため込む「蔵」のようなものだと言われています。
ここからは想像ですが、前世の記憶がある子供は、今世に生まれてきたときに、その深層意識の蔵から、今世に生まれるために最低限必要な記憶を持ち出しているのかもしれません。
それらを扱う皆さん(仏教ではありません)の間では、子供が前世の記憶を持っているとしても3歳くらいから長くても4から5歳くらいまでで、その記憶は物心がつく頃には忘れているといわれています。
何故記憶があるかについても、その方面を扱う方々の説では、おそらく前世の宿題を何らかの形で実現するための環境を選んでくるからではないかといわれています。
しかし、何度も言いますが、仏教では今を大事にしなさいと教えています。
前世の意識に縛られると、今回この身体を持って生まれてきた意味が大きく失われてしまいます。
今世が前世の記憶からはじまるなら、全く違う環境に生まれた時には、その記憶と今を合わせるために莫大な労力と時間を費やすでしょう。
もしかしたら数十年?数百年?
物心ついたばかりの赤ん坊のあなたにそれが堪えられますか?
覚えていてはいけないから忘れるのです。
覚えているべきではないから覚えていないのです。
今を生きなければいけないからこそ、覚えていてはいけないのです。
その子たちに前世の人が宿っているもなにも、前世の人は、今世と違う人生を送ったその人本人です。
でも、今世のその人ではないので今世には必要ありません。
昨日のあなたが今日は必要ではないのと同じですよ。
質問者からのお礼
ありがとうございます