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大切な家族の命を奪った自分に、生きる資格はあるのでしょうか

我が子のように可愛いくて仕方のなかった小鳥を、自分の手で殺めてしまいました。
とても人懐こい子で、家にいるときは肌身離さずくっついているような子でした。
この子は人の手の中が暖かいのを知っていて、その日もいつも通り私の手の中で小鳥は眠り、私もそのまま眠りについてしまいました。
朝起きると小鳥は布団の中で息を引き取っていました。
昨日まで病気ひとつせず元気な姿をみせてくれていた子が、全く動かないことがしばらく信じられませんでした。
しばらく手の中であたため、心臓をマッサージをしてみても、一度失われた命は戻ってくることはありませんでした。
悲しみと、自分への怒りで涙が止まりません。
とても優しくて可愛い子だったのに、もっと長く一緒にいられたのに、私の手で終わらせてしまったのが悔しくてたまりません。
そして、更に許せないのが、その子が死んでしまった苦しみから、同じような容姿の子をまた飼い始めてしまった自分の責任感のなさです。
その子にも同じ名前を付け、また同じように可愛がろうとしているのです。
まだ、先立った子への悲しみから立ち直れず、毎日墓前で手を合わせごめんなさいと言葉を交わして、涙を流しているにも関わらず、次の子は大切に大切にしてあげようと、可愛がろうとしているのです。
次の子は先立った子とは見た目は似ていてもやはり違う子なのに、なんて馬鹿なことをしているんだろうと、本当に自分が嫌で嫌でしょうがありません。
今の子は人にはあまり慣れておらず、ゆっくりと時間をかけて接して可愛がっていますが、同じ名前、似ている容姿の先立った可愛い可愛い小鳥が頭を過ぎり、すぐに涙が止まらなくなってしまいます。
このままでは、何ものにも代え難い小さな命を、大切に育ててあげることが、もう自分には出来ないのではないかと思えてきます。
自分の命を分け与えることができるなら、今すぐにでも与えてあげたいという、本当に馬鹿なことしか考えられなくなってしまいました。
このまま生き続けても、不幸な小鳥が増えてしまう、そう思うと自分はなぜ今も生きているのか、分かりません。
幸せな時間を、与えてくれた子たちに、どうしたら報いることができるでしょうか。

有り難し 21
回答 3

質問投稿日: 2016年12月13日 0:42

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

ペットは大切な家族ですが動物であることも忘れてはいけません。

おおはらさん、こんにちは。

小鳥を愛しているのですね。今はペットも家族同然に愛する方が増えました。私も同じです。捨て子のワンちゃん、マニちゃんも私の家族の一人です。動物を通して愛情を育むことは素晴らしいことです。

 でも好きが行き過ぎて、逆にこれは動物虐待ではないかとも思うことがあります。あくまでもペットは動物であって人間ではありません。ペットの生命は大切ですが、人間と同列に語ることができません。
今回、おおはらさんは小鳥を抱いて寝てしまいました。いくらかわいいとはいえ、小鳥を抱いて寝てしまえば、あなたの寝相で圧死してもおかしくありません。それはあなたの要望であって小鳥の要望ではないのです。小鳥は小鳥の持つ生き方を尊重してペットのお付き合いをしてください。

 本当に小鳥とどう関係をたもつのか、最初の小鳥はあなたにそれを教えてくれたのです。だから反省して供養をしてあげてください。近くのペット供養をするお寺があると思います。お参りだけでもかまいませんし供養をされてもいいでしょう。ご縁がなければ私のお寺でも供養していますので依頼してください。
 前述したように小鳥は鳥であって人間ではありません。罪悪感は反省して動物愛に変えてください。私たちは他動物の命をもらわなければ生きていくことができません。そこから動物への愛をはぐくんできました。動物を食べるが故に動物を大切にする。日本人は特に動物すら神と祭って感謝します。そこが西洋の過激動物保護団体の偏狭な動物愛とは違うのです。ペットも私たち人間の心が豊かになるために飼われました。もしその過程で謝って亡くしてしまったら、さらに自分の心を豊かにするためにペットの愛し方を変えましょう。

二人目の子どもは、そのことを踏まえて大切に育ててください。そうすれば最初の小鳥さんは霊界で喜んでいると思います。合掌

2年7ヶ月前

生きているのは生まれたが故で資格などいらない

私も子供の頃に、不注意でインコやフランスカモやクジャクを放鳥してしまったり
いけないとわかっていても怪我をした瀕死の
野生の鳥を救いたくては拾って、まず殆ど救えず殺してしまい…
子どもの頃の事ですが一つ一つが鮮明に覚えており
今もその命に申し訳ない気持ちでいっぱいになります

今考えてみれば、この苦しみはどんな命にも尊厳を持つ事を教えてくれたのだと思います
それに、そのような経験から私は自然に蚊を殺す事すら慎重になるようになりました

今回おおはらさんの苦しみを受けて私は思うのです
それらの殺してしまったり、救えなかった命は
死に関係した人に命に慎重になるように教えてくれる事象でもあり
結果、他の命を活かす事にもつながると

今だけを見てはいけません
確かに苦しみから逃れようと新しい鳥を迎えた事は
身勝手で賢いとはいえないのかもしれません
しかし、貴方はまだ鳥の野生性について学ぶ機会を得たわけです

犬猫と違い触れる事が鳥にとってどんな事なのか
懐かせすぎる事の問題点(ここは染川師が述べられた通り最も大事な所)
適切な距離の取り方について
病気について
貴方がすべき事は悩む事では無く学ぶ事です

命は神秘すぎて貴方の起こした事故が
長い目で良かった事か悪かった事かそれすらもわからない
ただ貴方が学ぶことで
必ずや次に授かった命にプラスになるのは確かな事

人は寂しいから、幸せになりたいから動物を伴侶にします
そこに縁あって飼い主と巡り合った命なのですから
共に幸せになる事が
授かった命を全うさせるという事につながるのに
貴方が不幸になっては先に旅立った子に不義理でございましょう?

そして、いかに容姿が似ていようと別の命
混同は良くありません

鳥と共に幸せである事をお祈りします。

合掌

2年7ヶ月前
回答僧

願誉浄史

ペットも虫も魚も命

ペットだけが特別な命ではありません。
蚊も、鮭やマグロも命です。

人間の都合でたくさんの命を犠牲にしているのは、あなただけではありません。

だから、あまり悩み過ぎないでください。
過去について後悔するのはやめて、
未来に対して気をつけるようにしましょう。

個人的には、私は、ペットを飼うことには反対派です。(家畜は人間が生きるために仕方ないですが。)
鳥にとっては自然の空を飛んでいる方が良い気がします。

2年7ヶ月前

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