hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

騙されて200万円の負債。因果応報?私が何故こんな目に?

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

ご質問させて頂きます、ハルソラと申します。

事の発端は4年前、暴行事件に遭いました。
些細な事から言いがかりを付けられ、私は顔面を殴られ鼻骨骨折しました。本来なら相手が一方的に悪い事件ですが、相手は私を殴打した際に負った手の怪我を私にやられた、しかも後遺症が残ったと言い、裁判をした結果、私に200万円を支払えという、おかしな判決が出ました。

裁判は控訴する予定ですが、大変にショックを受け、200万円という額も私の収入では払うのが困難な為、苦しく生きる力が無くなりそうです。

私は2年ほど前に四国お遍路を歩きで結願し深い感銘を受け、その後も各地の巡礼、神社仏閣巡りをして素晴らしい学びと癒やしを得たと思っています。先日、結願した秩父三十四ヶ所で皮肉(?)にも「強く健やかに生きる力」を学び得たばかりなのに。

そんな私に何故、死にたくなるくらいの災難が襲ったのか?

……しかし仏教は因果応報と申します。
それを改めて考えるとふと思いつくのは、私が相手を追い詰めすぎたという点。鼻骨骨折の治療費の支払いに応じない相手に再三に渡り請求した結果、相手が逆襲に出た形になってしまった。

それとこれは我ながら愚かな事をしたと申し上げにくいのですが、この暴行事件が発生する前にカラスを殺してしまったかもしれません。近所で毎日鳴いてうるさかったので、毒入りの餌を置いたのです。数日してカラスが一匹、大通りで死んでいました。人目に付く場所でカラスが死んでいる事も珍しいですが、私が暴行事件にあった場所もそのカラスが死んでいた丁度、その場所だったのです。(だだの偶然か。)

もしかしてカラスの呪いなのか?いまなら絶対にその様なことはしないと大変後悔をしています。

一体、私はどうしたら良いのか落ち込む日々です。自殺したら駄目ですか?あと西国巡礼をし終えると百観音巡り結願なのですが、罪も滅んで救われるとか、自殺しても良いところに行けるとかありますか?

落ち込んでいるせいか分かりにくい文章になってしまったかもしれませんが、この様な逆境にあり、また愚かな私にアドバイス、お叱りでも構いません。この事を乗り越え、心穏やかに生きていく力を下さい。

よろしくお願い致します。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

因果は「原因と結果」の繰り返しです。

因果応報、と仏教では申しますが、世の中その言葉では言い表せないほど理不尽で不条理なもんですよね。
ひとつは、「良いことを為したからすぐに結果が出るとは限らない」ということです。良いことを行う事によって起こる最良の「結果」とは、その経験によって得た「穏やかな心」だからです。心のことは、すぐには結果には出にくいですよね。
もうひとつは、「結果だと思っていることが『因』や『縁』である」ということです。
なにかの因が、様々な状況(縁)によって結果を生みますが、その結果がまた新たな因や縁となり違う結果を生じさせます。これが、永遠に連なる因縁の法則です。

気休めにもなりませんが、いまのあなたの状況が「結果」でもあり「縁」や「因」なんです。
この因縁を良い方向に向け、良い結果を生むのはこれからのあなたの行動次第です。
死んでしまっては、あなたの心は救われません。極楽も地獄もあなたの心にあります。
あなたが幸せだな、と感じるまで「死ぬ気で生きましょう。」

{{count}}
有り難し
おきもち

たとえ自己破産しても生きていけます

200万を絶対に払わねばならない状況になったとして、払えないなら、自己破産してしまえばよいでしょう。
自己破産したって人生はやりなおせます。
死ぬ必要はありません。

200万、冷静に考えてください。
1年働けば200万は稼げます。
生活費が必要ですから、200万円を貯金するのは難しいですが、でも、たった1年で稼げる程度の金額のために、死ぬのはバカげていますよ。
あなたの命は200万程度ではないのですから。
10年働けば2000万稼げる体なのですよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

確かにたかが200万円で死ぬ事はないですね。そう考えると、とっても気が楽になりました!ご回答誠にありがとうございます!!

不悪口院 恵成さま、ご回答ありがとうございます!

最近、私の好きな言葉で「不祥をもって吉事を招く(悪いと思っていた事が、実は良い事をまねいていた)」というのがあります。

裁判の手間と負担のために定職につけない状況でありましたが、定職につかないから時間があり、その時間にじゃあ巡礼に行こうかとなってそこでの経験が私の人生観を良い方向に一変させる事になりました。

仰られる様に「因」と「縁」の結果はわからぬもの。ただ真の心の穏やかさを求めて邁進してまいりたいと思います!

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ